第11話 紅葉狩り

 季節は巡る。あの煌々と燃え盛るような色をした紅葉。木に点いた炎は昼夜問わず踊り明かしてやがて地面を彩るレッドカーペットへと姿を変える。そんな体験は何年も前に担いだ出来事。きっと去年も一昨年も彼らは恵みの季節が来る度に懸命な様で人の目を惹き付ける美しさを飾り付ける事だろう。本命は果たして誰なのだろう。あの紅葉たちは誰にアプローチを試みているのだろう。

 車は駆け抜け、乗せられた身体をしっかりと運んでいた。乗っているのは四人。運転は背の低い女が担当していた。目の下に刻まれたくまはいつになっても深いまま、私生活の問題か、勉強と入れ替わりで訪れた労働が原因か。きっと永遠にそのままなのだろう。

「運転サンキュー」

 秋男は感謝を言葉に変えていた。冬子は運転に集中しているのか、一言も声にならない。

「春斗もよく来てくれたな」

「昔のことは本当にごめんね」

 秋男と小春の二人の言葉を同時に浴びせられ、春斗は困惑を顔に出していた。

「やっぱり許してくれてない」

「それは気にしなくていいって」

 困り顔の意味を取り違えた彼女の言葉はあまりにも鋭く感じられてしまう。

 車は山を登り続ける。急な坂を懸命に上り、忙しなくうねる道をしっかりとなぞり、進み続ける。ガードレールによる支えはあるものの、気を抜いては道を外れて転がり落ちてしまうかも知れない、そんな危険が詰まった道で慎重に進む車の速度はあまりにも緩やかだった。

 こうして過ぎて行った時間の果てにたどり着いたのは空が広がる一つの休憩所。車を降りて迎えた景色、澄んだ青と燃え上がる紅葉の紅が混ざり合った奇跡のような塗り合わせに見蕩れてしまう。

 一人一人心が異なることは承知の上ではあったものの、明らかに周りの感動を崩す声が流れてきた。

「燃えてるみたいだ、不死鳥とかいないかな」

 雰囲気を崩してしまうような子どもじみた感想を耳にして冬子はその言葉の主を睨み付ける。

「そんな子どもじみた人柄でよく小春と付き合えたな」

「モテないからって嫉妬するなよ」

 勘違いも甚だしい、秋男の持つ心の力に呆れつつも冬子は口を塞ぎ言葉を抑えて沈黙の城を作り上げる。そんな様子を見つめながら小春は笑っていた。

「冬子さんもモテそうだけどね」

「お世辞は慣れない相手だけでいい」

 冬子の態度、機嫌を損ねる流れを見つめつつ小春は春斗へと手を伸ばしそのまま人差し指だけで示した。

「春斗がよく冬子さんを見てるよ」

 途端に紅葉顔負けの紅を思わせる熱が巡り、春斗は内心を誤魔化すべく緊張で硬くなった口をどうにか動かし声を震わせる。

「俺のは、あれだ、あれだよ」

「なに」

 小春の意地の悪い微笑みは誰に似てしまった事だろう。間違いなくここ数年で築き上げられたものだった。

「別にいいだろ、言っても」

 冬子は街の乾いた空気と比べて心地よい湿りを含んだ涼しい空気を味わいつつ、大きなため息をついた。

「霊の事だな」

「本当かな、春斗、正直に言ったら」

 小春に促されるものの、言葉が喉元で詰まって出てこない。緊張とは起きている身にも金縛りを引き起こすものだろうか。春斗の言葉が出ないうちに状況を把握していない秋男が自分の想いを持ち込み話題を逸らす。

「それより昼ごはん」

 おにぎりを両手に乗せた男の姿は欲望に忠実だった。ラップに包まれたそれは小春と秋男が懸命に握ったもので、作った本人が誘うのならば食べるしかない、そんな㎜力を感じさせる一品だった。

「そうだよな」

 春斗は振り返る。視線を動かす際に生じた景色のブレの隙間に黒々とした影の存在を認めた。そこから締まる表情を見つめ、冬子もまた薄暗い顔をしていた。

「気が付いたか」

「もちろん」

 冬子は俯き、より一層暗い影で顔を覆って立ち尽くす。ただ見つめていた春斗だったが、やがて冬子の身体がふらつき春斗に向かって寄り添うようにも倒れるようにも見える力の抜けた動きで寄ってくる。足はもつれ気味で目の下の深いくまも相まってあまりにも弱々しく見えてしまう。

「ごめん、疲れた」

 運転による疲れに加えて心霊を見た事の自覚、辟易と負担は計り知れないものだった。

「そっか、ちょっと座ろうか」

 冬子の身体に腕を回してすぐそばに備え付けられた丸太を半分にして脚を付けたようなベンチの方へと冬子を運ぶ。

「冬子さん大丈夫かな」

「少し休ませておこうぜ」

 心霊現象が起きてしまったらすぐにでも車へと運び込めるように、心構えを固める。この場所でも心霊現象が起こるのだという噂は誰も聞いていなかった。地元で軽く語られる程度のものか、或いは忘れられた存在の悪夢か。

「昔の俺なら喜んだんだけどな」

 秋男は過去を思い返しては随分と落ち着いてしまったものだと自嘲気味な笑みを作り、小春を見つめる。

「そうだね、随分変わったよね」

 これが彼女を支えながら、彼女に支えられながら生きるといった現実を知った男の姿なのだろうと小春は何度か頷きながら見つめていた。

「今すぐ離れたいけど」

「別の紅葉スポット探すか」

 秋男は車のキーを冬子から受け取り辺りを見回す。紅葉の擦れあう優しい音の隙間に霊の存在は響いているだろうか、秋男の感覚ではどれほど探しても見ることが叶わない。もしかすると相手が強く望むのであれば姿を拝むこともあり得るかもしれない。

「冬子を不幸に合わせるとは俺としたことが」

 避けるための心霊調査が足りていなかった。ただそれだけの話。

「冬子、どうしたの」

 春斗の声が流れてくる。山の空気を伝って響く。大した声量もない彼の声でもしっかりと聞かせて見せる山の魔力に感謝しながら秋男は冬子が苦しそうに揺れる姿を見つめる。

「見ちゃだめだよ、大丈夫、俺が一緒にいるから」

 春斗の頼もしい言葉に思わず吹き出してしまいそうになりながらも秋男の手は車のドアの方へと伸びていく。視線はまさにこの場所を抜けるための未来へと向けられていた。

 冬子は春斗に身体を寄せながら空虚に向けて指を伸ばしていく。

「向こう」

 冬子の言葉に従い春斗の目は空しき空へと向けられた。そこに立つ何者かは間違いなく二人を睨み付けていた。

「平和にはいかないよな」

「だろうな」

 いつもよりも弱々しい声は春斗に届けるだけで手いっぱいのよう。春斗は小春を呼ぼうとするものの、その動きを見て冬子が声もなく止める。

 そのまま運ばなければならない、そこにいる霊は今にも二人を呪ってきそうな凄みを顔に込めている。

 このままではいられない、決心を込めて春斗は冬子のうでを肩に回して立ち上がる。寒々しさを増したように感じられる空気は大変居心地が悪い。重々しさが紅葉の気高い紅に重なり異様な空気感を演出していた。

 そんな中でどうにか車へと運び込み、小春と秋男は素早くシートベルトを締める。エンジンをかけて走り始めたその時、ベンチの向こうにいたはずの顔の見えない男がその顔を露わにした。ぼろきれのような白い衣を纏った人物は白目を剥いていて、髪は伸びきっていて傷みつくしていた。ガラスの向こうで鍬を構えるその姿はいつの時代の人物なのだろうか。

「急ぐぞ」

 車をバックさせ、山を降りるべく曲がる。これからの行先など決まっていないものの、落ち着いて楽しむことのできる場所をとだけ。今は生きるために逃げることで必死だった。

 山を下りている途中、秋男は考える。あの霊は昔から伝わっていなければおかしいのではないだろうか。あのような格好をした、落ち武者を思わせるような姿、百姓の一人ではないだろうか。

 そこまで考えつつも車を進め続ける秋男の目に映る一つの光景は感情を奪い取ってしまう程の迫力を持っていた。あの百姓の姿がそこにあり、隣には立派な赤黒い鎧をまとった馬に乗った何者かが逞しい刀を振り、百姓を斬っていた。

 そんなドラマの撮影のようでそれを超えた行為の光景は見事に秋男のブレーキを踏む足のタイミングを遅らせる。

 強いブレーキの反動ともう一つの反動が巻き起こり、衝撃が車内を大きく揺らす。踏み遅れた、明らかに武士を轢いてしまった。

「大丈夫だろうな」

 秋男はこれまでになかった不安を抱きつつも車を降りることもなく進め始める。生きている相手であれば間違いなく重い罪だったが生きていない相手である事は間違いなかった。恐る恐る速度を上げ、曲がりくねる坂を、蛇のような道を進み下りていった。



 公園にたどり着き、春斗と秋男は自販機で飲み物を買っていた。いつもと同じで特に語ることもないラインナップ。秋男は小春と二人で春斗と冬子から離れ、二人だけを残す。

 冬子は春斗に手渡された温かな缶コーヒーを手にしてより温かな視線を春斗に向ける。

「そういえば」

「何かあったかな」

 春斗の顔をしっかりと見つめる冬子、それに向き合う春斗は冬子の顔立ちが少し大人びていることに気付かされ、顔を赤くした。そんな顔色でも燃え上がるような紅葉の色に隠すことなど叶わずはっきりと見られていた。

「今日の春斗の目、私の事をどう思ってるのか訊かなきゃダメか」

 そんな疑問の一つで春斗の内側にて暴れる想いが更に膨れ上がって緊張は最大限に跳ね上がる。口は震え、声は出ない、息苦しくも心地よい、そんな妙な感覚に捕らわれていた。

「大丈夫、もう分かってるから聞かせて欲しい」

 もう、目を離すことはできない。あふれ出ては浮かぶ想いをを振り絞り、春斗は懸命に声に言葉に纏め上げる。

「好きです、冬子の事」

 冬子は表情が崩れてしまいそうな衝動を抑え、軽い笑みを浮かべるに留めていた。雰囲気で分かってしまうのはかつて一緒に出掛けていたあの日々の恵みだろうか。

「そっか」

 その声は少し明るく感じられる。黒い髪が揺れ、微かに漂う香りは艶やかだった。

「結構前から知ってたけど言われたら違ってくるな」

 一呼吸おいて、冬子は缶コーヒーに口をつける。少しぎこちない動きが心の揺れを示していることなど明白だった。

「ありがとう」

 やがて車に再び乗り込み、秋男を下ろして冬子の家にたどり着いた。今日は泊まることが決まったもので、緊張が止まらない。

 その緊張が意味を変えたのは車のドアを開けて顔を外へと出したその時だった。

 馬の鳴き声と共に聞こえる金属の擦れあう音。そこにいたのは見間違えようもない、紅葉の山にいたあの武士の姿だった。

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断末魔の残り香 焼魚圭 @salmon777

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