第10話 過去
いつになく騒がしい太陽、降り注ぐ熱はあまりにも大きくて見つめるだけで苦しくなってしまう。息が苦しい、刺さる陽光が痛い、内側から湧いてくる熱が膨らみ今にも破裂してしまいそう。昔はそれほどまでに気温が高かったものだろうか。
それ程までに苦しく、生きていられないような外気を浴びながらどうにか歩いていく。どう足掻いても灼熱地獄と隣接しているように感じてしまう中で秋男と他三人、全て男である。性別一色などと必要性を感じられない言葉を秋男が忍ばせる一方、残りの三人の誰も彼もが会社内の女性に対する愚痴を放り込み続けていた。この熱波は負の感情の焼却炉となりえるものだろうか。秋男には想像も付かない。
「ここであいつが背筋伸ばせとか言うんだ」
「あの女はルールを守らないくせに都合のいい時だけルールとか言う」
不満の墓場、そう表現することが適切だろうか。大切な日になるはずだったそこに現れたものはあまりにも見苦しい愚痴の飛び交う現場だった。感情の清掃作業が必要に思えてくる。
「そもそもホラーの話しないようにってのもおかしな話だろ」
「コミュニケーション禁止令みたいなものだよな」
どうやらホラーが極度に苦手な女がそのような態度を取っているようだった。秋男はあまり話に加わったことがないため詳細は知らなかったものの時たま普通に話し合う人々の前に立って叱り付ける女の正体はそれなのかと今更ながら気が付いてしまった。
「じゃああいつらがドラマの話やってたらそんな退屈なものって言ってやろうぜ」
仕返しのつもりだろうか。あまりにもしょうもない男たちの考えに腹がよじれる程の笑いを感じるも無理やり押し込める。
やがて三人は立ち止まる。秋男も遅れて立ち止まる。もはや行動をまねしているだけに過ぎなかった。目の前にそびえるそれは大きな家。一人で住むにはもったいない、そんな感想を述べる者も現れるかも知れない、そんな白と紫がかった薄茶色の壁はしっかりと汚れを纏っていて年季を感じさせる。
「親はもう居ないから好き放題だ」
数年前に亡くして以来、こうして数人で飲み会を開くために使うこともあるようで、一か月に一度の恒例行事となっていた。
「酒とつまみはちゃんと持ってきたか」
「たんとある」
そんな返しを聞いて秋男は男という存在はどれほど年を取っても中身は若々しいのだと、己もそうなのだと思い知らされた。いつかは肉体という着ぐるみが皴だらけで節々の曲がった醜いものとなってしまうだろう。例えそうでも年老いた着ぐるみを着た青年でありたい、それが男ならば道から外れてしまうのが恐ろしい、そう思えていた。
「んじゃ、開くぜ」
そういってカギを差し込み捻り、無事に彼の自宅は開かれた。これから始まるそれはあまりにも明るく暑苦しい。家の中に太陽が忍び込んできたようにさえ感じさせる。
「しっかり飲もうぜ、明日は休みだ」
華の金曜日という言葉を思い出していた。しかし華金は昨夜の話、その日を秋男は知らなかった。噂によれば飲み呆けた五人で道路標識をよじ登りぶら下がっていた他、路地裏の壁に寄りかかっては座り込んで眠り始める人物すらいたのだという。まさに野生動物の様な有様といえた。
「昨日は楽しかったな」
この日秋男は蚊帳の外という言葉の意味を知ることとなった。小春に言いつけられて夜突然開かれる飲み会は禁止されているのだ。小春は時たま会社の人と外食に行くこともあったものの、意見を示すことは許されていない。
秋男は窓の外を眺めて思う。未だに昼間だというにもかかわらず本気でのみを行なうつもりなのだろうか。小春に二時間近く頼み込んだ末に現状が訪れたと考えるとそれだけで寒気が舞い込んでくる。あまりの虚しさに飲む前から吐き気を催していた。
「用意はいいか、氷ならいっぱいあるぞ」
グラスに瓶ビールを注ぐ者とグラスに氷を入れてウイスキーを準備する者に続いて焼酎と梅サイダーを混ぜる者もいた。掻き混ぜる度に氷とグラスがぶつかり合う音がして涼しさを運び込む。
秋男はというと全てノンアルコールのチューハイで誤魔化していた。
それから過ぎ去る時間、ベーコンやミックスナッツをつまみながら流れ出た時間の数々を惜しむ亡霊となっていた。
退屈に視線を流されるようにふと窓を見つめる。目に映る光景、カーテンを閉める事すらサボっているようで、明かりが外にまで零れていた。カーテンを閉めようと近づいたその時、秋男は大きな声を上げてしまう。
目の前にて白目をむいているのは若い女、首に巻き付いたロープが揺れ、女の身体は振り子のよう。
秋男の声に視線を奪われた人々はみな驚き震えていた。後ずさりする秋男の目に入った光景はそうした騒ぎの後の祭り。床に転がるグラスと液体に氷、おつまみがテーブルの上で踊ったかのように散らばっていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
怯え震える男は動くことすらできないまま、何かに対して必死に謝っていた。
気が付けば眠っていたようだ。気が付けば目が覚めていたようだ。体を起こすとともに秋男の背筋に寒気が走る。
天井から下がったロープ、首をくくられた女の顔が一人の男を指して通りの悪い声で必死に何かを訴えかけていた。耳をすませば聞こえてくる言葉に思わず目を見開いてしまう。
「殺せ、かたきを」
繰り返される言葉、何度でも同じ言葉が繰り返される。
秋男は振り返り、駆けだした。結局は逃げることしかできない。多少霊を視る事が出来たところでヒーローになどなれるはずもなかった。
そうしてドアを開き、外へと逃れて。それでも止まることなどせずに駆け抜けた。
次の月曜日、秋男は職場の仲間を三人も失ってしまった事を知った。女が指していた男はめった刺しにされ、残りの一人は一度だけ刺され、残りの一人は首を吊って泡を吹いていたのだという。あまりにも強い怨念が生んだ事件、その真相は警察の手をすり抜けて落ち、警察の方では仕事の不満が生んだ出来事として処理されたそう。
しかし秋男はあの霊の存在を見ていた。ただそれだけのことで見方が変わってしまう。あの家で何が起きたのか、男の本当の罪は何か、想像はあまりにも容易かった。
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