スランプ

こくまろ

スランプ

【才能ないアマチュア物書きは書くネタがなくなると『小説書いてる小説』を書きがち(笑)】


というネット記事のタイトルを見て俺は爆笑した。ほとんど悲鳴のような笑い声だった。抱腹絶倒。腹筋完全崩壊。まさに狂気の爆笑だった。勢い良く椅子から転げ落ちてもまだ笑いはおさまらず、腹を抱えながらなんとか椅子に座り直しもう一度モニターを見た。



【才能ないアマチュア物書きは書くネタがなくなると『小説書いてる小説』を書きがち(笑)】



 もう一度同じ文章を見てハハーーッ!!と肺の空気を全部出し尽くすようにまた爆笑した。涙を流して笑い転げた。四つん這いになってハヒ、ハヒ、と呼吸困難に陥りながら俺はやっと言葉を絞り出した。



「ず、図星……!」



 そう、完全に図星だった。

 悲鳴のような笑いは本物の悲鳴だったし笑いながら流した涙は本物の涙だった。人間はあまりに的確に図星を突かれると心理的防衛反応として爆笑してしまうことがあると己の身を持って知った瞬間だった。


 そう、俺はスランプだった。爆裂的スランプ。なんとか何かを生み出そうにも一向に何も生まれる気配すらない。これが便秘ならとうに死んでいる。何も書くネタが思い浮かばず、進退窮まりとうとう書こうとしていたのがまさに【小説を書こうとしている(のに書けない)自分を題材にした小説】だったのだが、その矢先にネットサーフィンをしていたらこの記事にぶつかってしまった。あまりに酷い海難事故だった。

 発作のような笑いもまだ治まらないなか、よせばいいのに俺の右手は記事タイトルをクリックして内容を確認しようとしていた。タイトルだけでこれなのに中身を読んだらどうなるのか。ほとんど自殺行為に近かった。


 カチカチッ


 クリックすると記事内容が表示され、否応なしに文字列が意味をなして俺の眼球に飛び込んできた。



【まず小説が書けなくて悩んでいる人はインプットが全然足りていません。普段の生活からも、好奇心を持って過ごせば様々な気付きが得られるはず】



 瞬間、画面が真っ暗になった。パソコンの電源が落ちたのかと思ったが違った。あまりの心理的ダメージのために視界がブラックアウトしたのだ。

 インプット?足りてるわけないだろう、そんなものが!俺の私生活を侮辱するな!定職にもついていないしそもそもコンビニに行く以外に部屋から出ることがほとんどない。コンビニと自宅をシャトルバスみたいに移動するのが俺の生活のすべてだ。ここからなんのインプットが得られるのか教えてほしい。シャトルバスをテーマにした小説でも書けばいいのか?あ?

 キレながらも俺の右手は画面をスクロールすることをやめていなかった。記事の続きが視界に入る。



【あと、人と普段から会話してないとまともな会話文が書けません。家族や友人、同僚と積極的にコミュニケーションを取りましょう。】



「ギュイーー!!ギュイーーー!!」


 どこかで大型哺乳類でも鳴いているのかと思ったが、その鳴き声は俺の口から漏れ出ていた。網の上で焼かれる芋虫みたいに身をよじって本能のまま咆哮し続けた。傍から見ると完全に気が狂っているようにしか見えなかっただろう。だがここは俺の部屋であり、この醜態は誰にも見られていないため誰にも狂っているようには見えない。つまり俺は正気だと言える(?)。良かった。

 自分の正気が論理的に証明された気がして幾分落ち着いたが、既に精神も肉体もボロボロだった。四つん這いで息も絶え絶えになりながら俺はこの記事を書いたやつを心の底から恨んだ。


 なんでこんな記事書いた?言って良いことと悪いことがある。

 この世に生を受けたあらゆる命は等しく尊いが、死んだほうがいい奴というのは確かにいる。この記事を書いたやつ、てめーだよ。お前だけは絶対に許せねぇ。人を傷つける真実に何の価値がある?むしろ真実は時に何よりも残酷に人を傷つけるということをお前は分かっちゃいねぇんだ。道徳の授業寝てたのか?

 上等だよ。こんなやつにね、負けるわけにはいかんのですよ。やってやろうじゃねぇのインプット。

 俺の行動範囲と交友関係の狭さは"世界"を狙える水準にあると自分自信でも思うが、友人と呼べる人間が一人だけいると言えなくもない。高校の時のクラスメイトの田口だ。スマホを取り出し連絡先を開く。連絡先を登録している人間が表示される。母、叔父、田口の三人だけだった。探すという手間すらなかった。どうかしているこの連絡先。一瞬の迷いもなく田口の連絡先をタップしスマホを耳に当てたがコール音を聴いている間に段々とホカホカの頭が冷えてきた。

 田口とは卒業以来一度も連絡を取っていない。いけるのかこれ?どう考えてもいけるはずがない。今は平日の日中だから社会人は電話に出られるかどうかすら怪しいじゃないか。というか高校以来会ってないクラスメイトからの電話なんてほぼ詐欺を疑うだろ。あかん、出るわけない。そもそもめちゃくちゃ仲が良かったわけでもなかったかもしれ


『もしもし、田口です』

「うおおおおおおん出たああおばああああ」

『えっ、えっ、なに』


 電話に出てくれただけで感極まって咆哮してしまった。当然相手はドン引きである。俺の情緒どうなってるんだろう。だが、せっかく出てくれたのにここで引くわけにはいかなかった。

 俺は涙でぐちゃぐちゃになりながらもスランプで小説が書けなくて相談したくていきなり電話をしてしまった旨を必死に説明した。

 田口は最初こそドン引きしたものの、たまたま有給休暇だったため一応通話は大丈夫らしく、むしろ途中からは『うん、うん、それは記事が悪いね』などと相槌まで打ちながら話を聞いてくれた。どう考えても面倒くさい電話をここまで親身に聞いてくれるなんてひょっとすると田口はとんでもない聖人なのかもしれない。一通りこちらが話を伝え終えると田口は少し興奮気味に喋り始めた。


『いや、プロはやっぱ大変やなってことは分かったけど。でもさ、小説家になるなんて凄いやん。俺、小説読むの結構好きやからさ。小説書いてるってだけですげぇ尊敬するよ。いつプロデビューしたん?』


「いや、プロには、その」


『ん?プロが?』


「プロには、その、なってない」




 気まずい沈黙が流れた。




『あーーー、趣味で小説書いてるんか。ウェブ小説とかかな。俺ウェブ小説も結構読むよ。PV数競ったりするんよな。どこに投稿してるん?』


「いや、あの、投稿は」


『え?投稿は?』


「してない」


『え?投稿はしてない?』


「投稿は、してない」


『……え、どういうこと?せっかく書いた作品全部どこにも発表せずに全部書き溜めてるってこと?』


「いや、書き溜めてはない」


『は?書き溜めては?』


「ない」


『え、じゃあ今まで完結させた作品は?』


「完結させた作品は、ない」


『完結させた作品が?』


「ない」


『えーと、じゃあ、その、つまり』


 もうやめよう。その論理的思考は誰も救わない。



『お前は今まで一つも小説を発表したことはおろか完成させたことすらないのに小説が書けないって悩んで泣いて俺に電話してきたってこと?』


「はい」


 自然と敬語が出た。

 この世には死んだほうがいい奴というのが確かにいる。俺だ。


 はぁ~~と深い溜息がスマホの向こうから聞こえた。当然、田口にはどれだけ深い溜息でもつく権利がある。

 そして俺には例のネット記事を見て爆笑する権利も泣く権利もなかった。なぜなら一度も小説を書き上げたことがないのだから。俺はただの気が狂った大型哺乳類だった。


『あのさ、桐生院』


 田口は高校生の頃のように苗字で俺を呼んだ。どうして俺は苗字だけこんなに無駄にかっこいいんだろう。


『俺も小説書いたことはないから分からんけどさ、桐生院は『小説を書いてる小説』を書こうとしてネット記事見て傷ついたって言ってたやんか。』


「はい」


 もうその敬語やめろって、と少し笑ってから田口は続けた。


『あのさ、俺はそういうのが良くないと思う。それってさ、やる前からかっこつけてるやんか。かっこつけるのなんて後で良いんじゃないの。【小説書いてる小説】が書けるんなら、それ書いてみればいいじゃん。それ以外でも、なんでもいいよ。流行りネタでもアイデア被りでも、とにかく書いてみればいいやんか。会話文苦手なら会話文なしでもいいんだしさ。どんだけ短くてもいいんよ。とにかく、まずは書けるもん書いてみようよ』


 俺は一日に何度涙を流せば気が済むんだろう。でも、今日一番穏やかな涙が頬を伝っていくのが分かった。どうしてこんな俺に、ここまで良くしてくれるんだろう。俺はこの善意に報いることができるだろうか。


「あの、ありがとう。俺、なんでも書いてみるよ。ダサくてもバカっぽい文章でも、とにかく書いてみる。変な電話かけてごめんな。」


『良いって。俺もちょうど仕事行き詰まってたしさ。お前からアホな電話掛かってきて良い気分転換になったわ』


 笑いながら、田口はなんでもないことかのように言う。おそらく、俺の気持ちを軽くしようとして。久し振りに受けた人の温かみが俺の胸を熱くするのを感じた。


「すまん、本当にありがとう。俺、今すぐ書くわ!絶対書く!書き上げるよ!ありがとな!」


『おー頑張ってな。書いたら講評してやるしウェブ小説ならURL教えてな』


 田口との電話を終え、宣言通りすぐにパソコンに向かい小説投稿サイトを立ち上げた。とにかく書くんだ。細かい部分はキーボードを打ちながら考えれば良い。修正も後で良い。ひたすらキーボードを叩く、叩く、叩く。こんなに何かに夢中になったのは久し振りだった。時間を忘れて俺は、書いては直し、消しては書くのをひたすら続けた……。






 そうして、俺の人生初の【小説】は完成した。題材はよくある勇者と魔王をベースにした。これなら自分にも馴染みがあるし書きやすいと思ったからだ。会話文はやっぱり無理だったのでほとんど削除し、一人称独白体で書き上げた。文字数は結局、三千字にすら満たない。


「タイトルは……決戦、魔王城……と」


 タイトル欄を入力し、これで後は【作品を公開】のボタンを押せば全世界に公開される。

 本当にこれを小説と呼んでいいんだろうかと今更不安になるが、いや、誰がなんと言おうとこれが俺の書いた小説なんだ。これが今出せる俺の全てだ。

 これが公開されたとて、一体何人が読んでくれるのかすら分からない。ましてや面白いと思う人間がいるのかどうか。

 それでも俺だけはこれが面白いと胸を張って言おう。なぜなら、俺の書いた小説だからだ。

 万感の思いとともに、俺は初めて【作品を公開】のボタンを押した。




 パソコンの前でしばし放心していると、玄関の扉が開く音がした。母が仕事から帰ってきたのだ。普段はおかえりもただいまも交わさないのに、今日だけはどうしてもこの喜びを分かちあいたかった。部屋から出て駆け足気味に階段を降りる。母は少し驚いたような顔でこちらを見ていた。


「母さん、あのさ、俺……俺、初めて小説が書けたよ」


 母は驚いた表情をゆっくりと微笑みに変えながら言った。


「今日はハローワークに行くんじゃなかったの……?」


 俺は爆笑した。



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スランプ こくまろ @honyakukoui

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