女の6回目
「ようやく見つけました。」
そう言われた時には、女の顔にはたくさんの深い皺が刻まれていた。
腰は曲がり、背は丸くなり、歩くのには杖があると安心だった。
年老いた女は、声に導かれて振り返る。
そこには、両手に抱えきれないほどの様々な花を抱いた、刈り上げた黒髪と金色の瞳の大柄の青年がいた。
「……誰だ、人が、何故ここにいる。」
拒絶するような低い声で女がそう言うと、少し寂しそうな顔をした青年は、花畑の中をゆっくり進み、女の前に膝をつくと、腕の中の花を差し出した。
「貴女に会いに来ました。」
女は首を振る。
「貴女に、ずっと会いたかったんです。」
いいや違う、お前じゃないと、女は首を振り、拒絶する。
男の子を葬ってから、女は一人で何万回、太陽と月を見送った事だろう。
今まで、どれだけ隠遁の術をかけていても、ここまで会いに来てくれていた。
なのにあれ以来、その気配を感じなくなった。
時折、森の中に落ちる意図的に折られたらしき花に希望を持つこともあったが、それもいつしか辞めた。
きっと、あの日、あの時、あの炎が縁の糸まで焼き切ってしまったのだと悟った。
だから、彼が彼らだと、女は認められなかったのだ。
けれど、青年はたくさんの花を差しだして、笑う。
「貴方に似合うと思って集めた花を、全部集め直しました。」
たくさんの花の中には、今まで見てきた花もある。
だが女は首を振る。
「貴方は私の待つ貴方じゃない。」
「いいえ、僕が貴女の待っていた僕です。いま、証拠をお見せします。」
立ち上がり、背負っていた荷物の上に抱えていた花束を置いた青年は、重たい旅のローブを脱ぐと、首を隠すように巻いていた布をはぎ取った。
首元に現われたのは、小鳥のように見える手のひらの大きさの痣。
「2回目、貴女に花と共に歌を贈った。」
女は重たくなった瞼をあげて、それをなぞるように見た。
にかっと笑った男は、今度は片方だけブーツを脱いで、その足首を女に見せた。
そこには罠にかかり、逃げようとしてもがいた獣がつけるような、傷跡のような痣があった。
「3回目の僕の手では、花を上手に摘めなかった。だから代わりに木の実やキノコを持ってきた。」
女はそっと、その傷に触れた。
痣は、あの日拾い集めた赤味の強い紫の、花弁の色によく似ていた。
「4回目。 貴女の膝の上で最期を迎えられて、本当に幸せだった。」
白い者の増えたまつ毛の下にある彼女の瞳を見つめる青年の金色の瞳は、小さな子猫を思い出させた。
真っ黒な可愛い仔だったと思い出し、青年の刈り上げた髪が同じ色であることに気が付いた。
「5回目は本当につらかった。貴方を置いて逝ったから。 本当なら、貴女を守り切って幸せにしたかった。」
緩めた首元のその奥。
青年の胸元には、がりがりに痩せた少年の胸にあった、焼かれた奴隷紋のような痣がある。
今は服に隠れるその背中には、矢じりを受けたような形の痣が無数にあるらしかった。
「あれからも、僕は何度も生まれ変わりました。 貴女に会いに来た。 でも森には入れても、ここにはどうしてもたどり着けなかった。」
隠遁の術は、確かに男には作用しなかった。
だがどうしても、その先には透明な壁があり、進むことが出来なかった。
「流れの魔法使いに聞きました。貴女の思いが強く働き、隠遁の術は強固な壁になっているようだ、これを解けるのは貴方だけ、諦めろ、出来ないのなら壁が風化するのを待て。そう言われました。……貴女に拒絶されたようで怖かった、けれど、僕はそれを待つために、何度もここに来て、壁に沿って花を置きました。貴女に届くように、と。」
その言葉に、女はようやく気が付いた。
森に落ちる手折られた不自然な花は、やはり彼の痕跡だったのだ、と。
そして彼が中に入れなかったのは、自分が心を閉ざしてしまったせいだった、と。
「でも、なら、今さら、どうして。」
しわがれた、乾いた声でそういう女に、青年は微笑む。
「いつか、壁が風化すれば、貴女の傍に行けると言われたから。」
男の前には目の前の魔力の壁が確かにあった。
その透明な壁の向こうでは、小屋の中で、花畑の真中で、ただはらはらと涙を流す女がいた。
その姿に、どれだけ駆け付けて抱きしめたいと壁を殴り、声を上げたかわからない。
何度生まれ変わり、傍に行くことを試みた。
しかし、人の姿はもちろん、鳥の姿でも、獣の姿でも、女の傍に行くことはかなわなかった。
拒絶されたようで辛かった。
それでも、女が一人悲しみにくれ、何万回の太陽と月を涙ながらに見送りながら、男は何十回も生まれ変わり、彼女に会いに来ていたのだ。
歳月をかけ、魔力の壁がほころびが出来るという不確かな言葉を信じて。
服を整え、靴を履き、置いていたもう一度花束を抱えた青年は、1度目よりも随分小さくなった目を大きく見開き、震える女の正面に膝を付くと、にかっと笑った。
「そして、貴女が年を重ねることで、ようやく僕は通る事が出来た……こうして、貴女の前に立つことが出来たんです。」
嘆き続けた女は、気が付かぬ間に年を重ねていた。
エルフ種としての全盛期を越え、老化と共に魔力は衰え、残りの寿命は人と変わらないほどに歳をとったことで、強固な魔力の壁に、彼が通れるほどのほころびがようやく出来た。
「……そんな、こと……。 あぁ、許して……。」
その事を理解して、皺の増えた両手で顔を覆い、首を振って謝る女に、青年はいいえ、と、首を振る。
「すべては僕が貴女を悲しませたせいなんです。 悪いのは貴女ではなく僕なんです。 でもようやくこうしてあなたの前に立つことが出来た。 もう一度言います、貴女が好きです。 傍に居させてください。」
真摯な言葉。
それに女は顔を覆って首を振った。
「私は貴方を惑わせて、貴方の命を何度も無駄にさせてしまった。貴方をこれ以上私に縛り付ける権利も価値もない……もう、こんなおいぼれエルフの女の事は忘れて……。」
「いいえ。」
青年は女の顔を覗き込むようにして、笑う。
「出会った頃から、貴女は変わらない。それに僕は惑わされたんじゃない。貴女に勝手に恋焦がれ、そのせいで貴女に不要な悲しみを与え苦しめてきた男なんです。 そんな僕を許してくれるのならば、どうか。」
ふるふると、女は手の隙間から涙を零す。
「いいえ、いいえ。もう私は長くない。貴女に嘆きを与えるだけの存在だわ。」
「それはよかった。今までは、ずっと僕が看取られる側で、置いて逝く貴女の事が心配でしょうがなかった。今度は僕が最後まで貴女の傍にいます。」
はらはらと涙を流し震える女に、青年はそう言う。
わずかに顔を覆った手を離した女に、青年は持っていた花束を抱えさせると、花束の中から赤味の強い紫の花を一本抜き取り、涙で頬に張り付いた、少しパサついた亜麻色の髪を力なく下がったとがった耳にかけると、そこに花を添えた。
「貴女の亜麻色の髪に似合う花を探してきました。」
その言葉に顔を上げた女をまっすぐ見た青年は、花を抱える手を自分の手を添わせ、微笑んだ。
「どうか、僕に貴方の名前を呼ぶ幸運を僕にいただけませんか。そして、僕を貴女の傍においてください。もう、ずっと、本当にずっと、貴女だけを愛していたんです。」
その言葉に顔を上げた彼女の顔は、乙女の様に頬を赤らめた。
「……エレオノーラ。」
女は静かに言った。
「私は、エレオノーラというのよ。貴方は?」
「エレオノーラ。 貴女に似合う素敵な名前だ。 ……僕は、アシュレンです。」
「アシュレン。古き時代にいた、良き王の名だわ。」
互いが頬を赤く染め、名を呼び合い、視線を合わせ、口づけを交わした時。
足元に咲く、腕に抱く、1000の種類の花たちは祝福するように弾けて溶けて、七色の雨になって二人に降り注いだ。
静かに唇を離した二人が互いに見たのは、一回目のあの日の姿だった。
それら、数え切れないほどの月と太陽を共に見送った2人は、手と手を取り合い、互いの名を知るまでの時間を考えればあまりにも短い、けれど、それまでよりはるかに幸せな日々を過ごした。
そうして春の陽だまりの下。
1000の花の咲く花畑の真ん中で安らかに眠った女を看取った男は、その翌日、彼女を抱き締めたまま、静かに眠りについた。
花で手繰り寄せる運命 猫石 @nekoishi_nekoishi
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