『ひかり』に乗って

mafork(真安 一)

『ひかり』に乗って


 あ、これ『ひかり』か!


 浜松駅に停車したことで、私は今乗っているのが『ひかり』だと思い出す。

 黒髪をなでて、メガネを直した。

 スマホを取り出すと、時刻はまだ午後4時。出張先の予定はすべて明日だけど、時間がかかる分、なんだか損した気分だ。

 画面を消すと、真っ黒な画面に疲れた目をした24歳の女が映っている。

 新卒で上京して3年目、初めての遠距離出張は、先輩の代打という無茶ぶりから始まった。

 前日に『佐藤由紀さん、お願いできる?』と言われて、バタバタ予定を繰り上げるなど準備をした。慌てて指定席をとったら、実は『のぞみ』じゃなくて『ひかり』で、仕方がないからそのまま乗ったのだった。

 仮に新幹線『のぞみ』に乗っていたら、東京から新横浜を過ぎると、後は名古屋まで一直線。

 でも『のぞみ』が特急だとすれば、『ひかり』はせいぜい快速だ。東西に長い静岡県を、えっちらおっちら止まりながら運行する。

 最近、任されることが増えて、気を張って疲れてた。

 手配ミスもそのせいだし、どうも乗車してすぐ眠ってしまったらしい。チケットを取り直さなかったのも、列車を間違えるミスを誰にも言いたくなかったせいだ。

 ふう、とため息をつく。

 窓の外、白のタイル張りのホームには、売店もなければ、人影もまばら。半端な時間のせいか、見ていて不安になるほど人気がない。ぴゅうと吹く秋風が似合いそうだ。

 しかし、新幹線『ひかり』よ。

 『ひかり』なんて一番速そうな名前なのに、実はあんまり速くはないとは。


「浜松か……」


 ぼんやりと思うのは、小学6年生まで暮らしていた街だから。

 白いタイルが延々と続くホームは、多分、家族とここを出た時のままなのだろう。浜松で生まれ、浜松で育った私は、この駅から別の場所へ引っ越した。

 その後も、大学、就職を境にあちこちへゆき、今は東京に住んでいる。


「――よしっ」


 窓に薄く映る自分に、ちょっと気合を入れてみる。

 車両が動き始めた。駅のホームはあっという間に遠ざかり、やがてきらめく湖が視界に広がる。

 浜名湖だった。


「懐かしいなぁ」


 大きな湖で、新幹線からみると遠くの陸地が島のようにも見えるんだ。

 家族も介護の関係で今は福島に住んでいるから、新幹線で浜松を通ること自体が、思えば4、5年ぶり。

 高速で過ぎ去っていく、きらめく湖面。


 ――『ひかり』なんて、一番速そうな名前なのにね!


 頭に、ふと思い出がリフレインした。

 子供の声だ。

 私が小学生の時、友達や、近所のショッピングモール、鞄の中で絶対に砕ける運命にある『ウナギパイ』とバイバイして別れた日、丁度お父さんにそんな言葉を吐いた。

 得意げに、うまいことをいったつもりで。

 思えば、あれは私なりの、寂しさを紛らわす強がりだったのだろう。

 お父さんはなんて答えただろうか。思い出せないな。ちょっともどかしいな。

 思い出はすれ違う新幹線の振動でかき消された。

 さて、目的地の大阪まで、仕事でもするか。

 結局ノートPCを開く。先輩から時間に余裕があるなら『ひかり』や『こだま』も快適だよ、なんて教えてもらったけど、確かにその通りなんだろう。

 ゆっくりな分、隣に人が座る可能性が低い。おかげで気にせず仕事できる。


「あっ」


 プレゼン用のパワポにしょうもない誤字を見つけた。

 安堵と、他の場所にも誤字や間違いがありそうな不安。眉間にシワを作って胃をキリキリさせていると、ほどなくお決まりの停車メロディが鳴る。


「次は、名古屋、名古屋です」


 ――名古屋か。

 まるで人生の早回しだ。

 私は浜松から引っ越した後は、受験を考えて名古屋に行き、そこで中学と高校時代を過ごす。今は疲れた社畜になりかけ、ギリアラサー未満のOLだが、あの頃は友達とけっこう楽しかった。

 ライブに行ったり推しキャラ語りをしたり――オタ友万歳。

 目をホームに向けると、巨大駅とあってさすがに人が多い。カートを引いたビジネスパーソン、高校生の団体客。

 がらんとしていた車内が急に騒がしくなる。


「あれ、ゆきちん?」


 急に左の座席から声をかけられた。驚きのあまり、メガネがずり落ちてしまったかも。


「あ、あかり……!?」


 隣に座ってきたのは、私の高校時代の友達だった。今でもLINEで時々話している。


「うっそ、すごい偶然」


 あかりは黒のショートボブを揺らして、大げさに身をのけぞらせる。垢ぬけたオフィスカジュアルなのに、言動は昔の馴染に戻っていた。


「――びっくりした」

「そーもー、私も座るまで気づかなくてぇ」


 軽快に弾む会話。時間が高校時代に戻ったみたいに、言葉が次から次へと引き出されていく。

 昔を、昔から順番に思い出していくなんて。

 これってまるで――


「走馬灯?」


 私はあかりをまじまじと見た。


「……幻じゃないよね?」

「へぇ?」


 あかりは目を丸くして、けらりと笑った。

 正直、昔馴染みとはいえ、急な再会のうえに隣の席ってそのうち気まずくなるかと思ったけど、ぜんぜんそんなことはなかった。

 コミュ強やばい。

 昔のこと、今のこと。私達は新幹線で迷惑にならない節度を守りつつ、それなりに話に花を咲かせる。

 同じ車両が明るく見えていた。


「なるほど、ゆきちんは東京で大きな仕事を任せられるくらいになったのね」

「大きくはないけどね」

「うそぉ」


 今回向かう商談は、『建築資材』という私の売り物としては中くらいの規模だ。


「まもなく、京都です」


 アナウンスに、あかりは手を挙げて席を立つ。


「次に会うまでに、リニア建てといてね」


 なかなか無茶なことを言って、春風のように去っていった。

 京都でも、降りる人、乗ってくる人、どちらも多い。


 京都、か。


 ごくっと喉が動く。

 京都は、あかり達のような高校の友達と別れ、大学時代を過ごした街だ。

 浜松で小学生のことを思い出し、名古屋で一番の仲良しと出会った。京都では――京都の思い出は――。


 由紀さん、と声がした気がした。

 穏やかな男性の声に、私は慌てて通路の方を向く。

 しかしそこに立っていたのは、杖をついたおじいさんだった。突然振り向いた私にきょとんとしている。


「どうか、されましたか?」

「い、いえ」


 私は席に座り直して、さっきまであかりがいた席に座るおじいさんを、できるだけ見ないようにする。

 窓の外は、すでに薄暗い。ピラミッドのような、遺跡じみた造形の京都駅、そのホームは写真を撮る外国人観光客や、家路を急ぐ出張帰りの人で賑わっている。

 私はほうっと息をついた。

 大学時代、付き合っていた人がいた。初めての恋人だったから、私は大好きになっていた。

 でも、だんだんと大学の卒業が近づき、いつまでも『恋人同士』でいられなくなって――その先の結婚とか、就職した後の付き合いを考える段階で、結局はダメになった。恋人はやりたいことがあって、就職先は遠方で。

 私達は、円満にピリオドを打った。

 私が怖いと感じるのは、納得してピリオドを打った、そのはずなのに、京都駅に戻ってきた時、彼をまだ探していることだった。

 『ひかり』が京都を出発する。

 彼は『光』について研究すると言っていた。光のようにぶれず、真っすぐに、最短距離で進む人だったのかもしれない。

 私はそういう人ではなかった。

 だから、ピリオドを打ったはずのことを思い出したり、小学生のことを感傷したり、昔の友達で癒されたりしている。

 私は鞄からノートPCを取り出した。

 新大阪まで、あと少し。

 久しぶりの、新幹線での旅も終わりだ。

 お決まりのメロディが、『日本のどこかに』の部分が車両に流れている。

 涙がにじむのを、メガネをとって、ぐしっと腕で目元を拭った。隣のおじいさんは気づきもしないで、眠っていて、助かった。

 暗くなった窓には、目元が赤くなった女が映っている。

 それは浜松にいた頃の私に、名古屋にいた頃の私に、京都にいた頃の私に――佐藤由紀に、順番に姿を変えた。


「……プレゼンは明日だし、今更焦っても、仕方がないか」


 ふっと無理にでも笑う。


「あ――」


 小学生の時、お父さんが答えたことを、ようやく思い出していた。


 ――『ひかり』なんて、一番速そうな名前なのにね!

 

 お父さんは笑って私の頭をなでたものだ。


 ――そんなに急ぐことはないんだよ。


 夜の京都が後ろへ過ぎていく。

 私はゆっくりと背もたれに身を預けた。

 新幹線ひかりは後戻りはしないのだ。


 私も進んでいこう。本当の光よりは、遅いかもしれないけどさ。

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