オシャレとラスク

高橋 白蔵主

オシャレとラスク

 宗谷そうや酉子ゆうこが自身の能力に目覚めたのは、高校二年生の春、放課後の教室で友人とこっそりおそろいで左のピアスの穴をあけた夜だった。

 ひそひそ声のように、帰りの電車で色々な声が聞こえた。その時はやけに車内が賑やかだな、という程度にしか感じなかったが、今にして思うとそこが始まりだったのだ。


 背伸びして、なかば見せびらかすようにピアスを揺らすと、出迎えた母があんぐりと口をあけた。

「あんた」

 その声にだぶるように(耳たぶ)とはっきりした声が聞こえた。声が、ずれて重なっているようだった。続けて母はもう一度、今度はきちんと喉を震わせて「耳たぶ」と呟いた。

 そしてすぐ、どうしようもなく漏れた息のように母は、あああ、としゃがみ込み、やはり

 重なるように(どうしよう、この子も)という声でない声が聞こえた。

 その様子に、慌てて助け起こそうとすると、母は彼女の手を払おうとした。だが、それは拒絶ではない。よろめき、結局は彼女の肩を借りて、彼女を半分抱きしめるようにして母は耳元で囁いた。


「ごめんね」

(きちんと伝えておかなかった、わたしが悪い、わたしが)


 どちらの声にも偽りはなく、酉子はぼんやりと自分が取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと考え始めていた。たぶん、ピアスの穴を開けたことがいけなかったのだ。柄が悪いとか、親から貰った体に傷をつけるなとか、たぶんそういう次元ではない話のようだ。何か、だいぶマズいことをしてしまったのだ。


 その後、母が語った途切れ途切れの話と、それに重なる解説のような二重の声を総合すると、きわめて突飛な話ではあるが事情は概ね彼女が推測した通りの「マズそうな事態」だということがわかってきた。


 もともと宗谷の家系には耳の良いものが多かったのだという。それも、ただの聴力の鋭さだけではなく、もっと異質の能力だ。酉子が幼い頃に亡くなった父にもその能力の断片はあったという。嫁いできた母には当然その特質はないが、何年か前に家出したきりの兄の辰人たつひとには、その能力が発現していたのだそうだ。


 おそらくそれは、内心の声を、声に載せて聞き取ってしまう能力だ。たぶん、それは声帯を震わせた「音」から聞き取れる。相手が無言の時、その内心の声は聞き取れない。


 能力の特性を伝えることなく父は亡くなったが、家出する前の兄、辰人たつひととのやりとりから能力の発現するトリガーが「耳たぶを傷つけること」ではないかと母は考えていた。兄の辰人も、ピアスを開けてから様子がおかしくなってしまったのだという。

 当時のことを途切れ途切れに、絞り出すようにして話す母の声の裏には、おそらくは彼女の思考が漏れ滲み出ている。そして酉子はそれを「聞き取れる」ようになってしまった。

 兄の辰人に対する悔恨、懺悔、そして酉子についての心配、おそれ、不安。母の内心の声は、ひどく曖昧なことも、恐ろしくはっきりしていることもごちゃ混ぜに聞こえた。


「わお。サイキッカー家系じゃん。カッコいい」


 酉子が明るく呟くと、母は力なく首を振った。あのね、と口を開きかけるのに重なる内心の声。(そのせいで辰人は)。


「お兄が?」


 聞き返すと母は口をつぐんだ。酉子はまだ自身の能力が制御できていない。母が実際に口に出したことと、内心の声を区別できないでいる。そして、聞き返しながら酉子はすぐに思い出した。家出をする直前の兄は、ノイローゼになって耳たぶごとピアスを引きちぎったのだ。その理由にも今なら想像がつく。きっと、兄はこの能力が強く出てしまったとか、聞きたくないことを聞かされてしまったとか、その辺りのことでノイローゼになってしまったのだ。


「調べたら、そのままにしておけば、穴、塞がるみたいだから、悪いことは言わないから、ピアスは外しておきなさい」


 話の最後に母は、彼女の肩を掴んだ。真剣な顔だったし、内心の声も寸分違わぬことを言っていた。


   * * *


「でもさァ、かわいいから開けたわけじゃん、ピアス、穴」


 翌日。彼女は小さいピアスを指で弄びながら呟く。隣にいるのは昨日、一緒にピアスを開けた友人の仲御上なかごのじょうひとえだ。ぱっちりした目をした彼女は、その目だけで酉子に同意を示す。


「ていうか能力者ってカッコいいし、むしろ別に困んなくね?って思うんだけど」

「わかる(わかる)」

「でさあ、今日もう一個ピアス開けて帰ったら、ママ気絶するかな」

「死ぬんじゃね?(死ぬんじゃね?)」

「確かに」


 ひとえの内心の声は、相槌と完全に同一だ。自分には友人選びのセンスがある、と酉子は少し誇らしいような気持ちになった。こんなに裏表のない人も珍しいのではないか。


「うち母子家庭だし、ママには長生きして欲しいけど…でもピアスももう一個つけたい」

「究極の二択じゃん(トロッコ問題…ではないか)」

「単んち、昨日なんか言われた?」

「あー」


 友人の言い淀んだ声に重なったのは(うち、それどころじゃなかったんだよね)。


「どしたん」

「お、心の声聞こえたやつ(どのくらいまで?)」


 酉子は返事の代わりに上唇を舐めた。よく考えずとも、内心の声がダダ漏れになってしまう相手と会話することには、明確なリスクと、そして嫌悪感があるはずだと彼女は考える。むしろリスクしかない。自分だったら嫌だ。


 そして、単は決して頭が悪いわけではない。そこに思い至らないはずがないのにこうして、秘密を打ち明けた後も昨日までのように接してくれること自体が、とても尊いことだと思った。

 だがそれはそれとして、「それどころじゃなかった」というのは一体どんな事情なのか。


「実は、私んちもエスパー家系だということが昨日分かってェ(鍛えたら殺人光線出せるようになるらしい、私)」


 嘘でしょ、と声が出た。


「と、思うじゃん(うちの場合は別にピアスあけたの関係ないらしいんだけど)」

「どっから出るの、ビーム」

「そりゃ、ビームって言ったら目でしょ(うお、すご、しっかり伝わってるし)」


 二人は、ほとんど同時に笑い始めた。


「酉ちん、マジで会話ラクになるね(これ、あーとかうーとかだけで会話成立するんじゃね?)」

「わたしは喋んないと、単には伝わんないじゃん」

「あー、じゃあダメかあ(ていうか、私だけ唸ってんの、よく考えたら絵面ヤバいな)」


 そう言って単は酉子の瞳を急に覗き込んだ。薄暗くなってきた教室、二人の顔は近い。

 ゆっくりと単の瞳の外周が、薄青く光りだした。それは、エキゾチックな彼女の顔の造作と相まって、とても魅力的に見えた。吸い込まれそうな瞳の、輪郭の色。


「待って待って、撃たないで、殺人光線でしょ」

「出ないし(まだ)」

「いつか出るんじゃん」

「でもさ(でもさ)」

 二人は指を差し合って、声が揃った。


「だいぶかわいい」


 結局、光る瞳の方がピアスより魅力的なのでやる気が削がれ、2個目の穴を開けずに帰ることになった。私も我慢する、と単も二つ目のピアスは開けないという。


「でさ、なんかうちの家系、代々この能力が目覚めたら定番のメニューでお祝いするんだって。今日の晩ご飯(ホタルイカだって。光るから?安直すぎじゃね?)」

 単がぼやいた。

 話のオチが聞こえてしまった。

「でも、殺人光線だよ?(お祝いとかするべきじゃなくね?)」


 あんまりにももっともで、酉子は笑う。お祝膳。ふと、赤飯のことを思い出した。


「でも初めての生理んとき赤飯炊くのも、お祝いとかじゃなくね?って感じするよね」

「わかる(わかる)」

「まあ昔の人からしたら、なんか、節目の記念って、あるんだろうけど」

「でさ、うちの晩ごはん、何出てくると思う?(ホタルイカの沖漬け)」


 言い淀んだのと、表情で、オチがすでに筒抜けになっていることが伝わってしまったらしい。落語家殺しじゃん、と単は笑って、旬じゃない時に能力目覚めたらどうすんだっつうの、と毒づく。


 そしてふたりは手を振って別れ、酉子は昨日からさらに増して、乗客たちの心の声でうるさくなった電車に乗って帰った。確かに、咳払いなどから誰かへの呪詛やら、公言するのが憚られる独り言が漏れ聞こえてくるのは心地良くはない。

 母の言うとおり、ピアスを外し、穴が塞がるのを待って人の心の声が聞こえなくなるのを期待すべきなのかもしれない、とも思う。


 だが、穴が塞がったところで能力が消える保証はないし、と彼女は思う。それに、かわいいから開けたわけだし。

 まずは、ピアスについて母を説得してみようと彼女は考えた。そんなふうに比較的、前向きな気持ちで玄関を開けた彼女の鼻腔をくすぐったのは、なんだか甘い香りだった。


 見ると、母が台所で揚げていたのは砂糖をまぶしたパンの耳だった。

 ラスクだ。

 嘘でしょ、と彼女は目を丸くする。殺人光線の家庭のお祝い膳がホタルイカ、耳の能力の家庭のそれは、パンの耳な訳?


「おかえり。酉子、好きだったでしょこれ(昔よく作ったよね)」


 母は、揚げ作業をしたまま、背中越しに彼女を迎える。これは、「そういうやつ」じゃねい。おそらく、たぶん、まあまあの確かな確率で、「たまたま」パンの耳だったのだ。


 そうか、そうよな。まあ、能力に目覚めても別に家庭が崩壊するわけじゃないし、儀式とかがあるわけでもないよね、と酉子は奇妙な、それでも不思議と暖かいような気持ちになる。


 今頃、単の家ではホタルイカをみんなで食べているのだろうか。というか、彼女の家族には「もう殺人光線を撃てる」ようになったひとがいる可能性もあるわけか。その辺、明日くわしく聞いてみないと、と酉子は思った。


 一個もらうぜ、と背後から手を伸ばして、揚げたてのラスクを齧る。まだ父も存命で、兄も元気だった頃のことを少しだけ思い出した。小さい頃に食べた味。匂い。

 もしかしたら母も、久しぶりにその頃のことを思い出したのだろうか。おいしい、と声をかけて酉子は笑う。油使ってるし、今は抱きつくの危ないからやめとこう。


 そして、ピアスのことについてはどうやって切り出すべきかな、と少しだけ考えながら、彼女はラスクの揚がる幸福な音を聞いた。

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