空の海原
高黄森哉
空の海原
今日は相変わらず家にいる。マンションの五階から見る景色は、あいかわらず夏だし、空には細長い魚みたいのが、泳いでいる。
銀の体、赤いヒレ。まるで、風に吹かれて舞うビニールテープのように、身体の後半部を風につられながら、ただ頭だけはしっかり北を目指しているのだった。
あの向こうになにがあるのだろう、僕はただ思った。北の空に目的地があるのが、不思議で不思議でしかたなかった。そこで、家の本棚にある図鑑を開く。
図鑑の固いページの端で目をスパッと切らないように注意しながら、空にいる生き物の名前を探す。
それは夏の間は日本にいるらしい。冬の寒さからのがれるため、八月の終わりには、南へ逃避行を開始するとか。さっとベランダ越しの空を確認した。
手前は雲一つないが、奥には入道雲が控えている。入道雲の稜線はサインカーブを描き、その波は、右へゆっくり寄せていく。風が南へ吹いている。魚は図鑑とはあべこべに泳いでいる。
図鑑で書いてあるようには、いつも動かないのだ。それが、僕の周り特有の現象なのかはしらない。だから普段、あれれ、となって釈然としない気持ちを抱えたまま、生き物の気まぐれと解釈する。それが真逆の行為であろうとも。
僕は、固いベッドに腰かけて布団をかけるでもなく、目をつむるでもない。そして、壁にある木製の、おそらく釘をさすための場所にいる、小さな徘徊性のカニを見つめていた。あれは、樹上性ではないため、こんな場所まで登ってこないはずなのだが、いる。小さな浅黒い甲羅は心配になるほど乾いていた。
でも、それだけ見つめていても仕方がない。スマートフォンの画面へ目をやり、
もう一度、窓の外を見た。鯉のぼりのような魚は、さっきよりも北へ進んでいた。入道雲の大波は、山と谷をすっかり入れ替えていた。カニを見た。カニはもういなかった。蝉の声が聞こえる。そろそろ朝ではないらしい。ぱっと時計を見ると、まだ十時だった。
僕は、ようやく図鑑を本棚にしまう。風の唸りが耳に届く。もうこの本を見るのはやめにしなければならなかった。もう一度だけ、空を見る。あの魚はまだ同じ場所にいた。
空の海原 高黄森哉 @kamikawa2001
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