二百七十四話 修学、習熟

 泉癸(せんき)さんがいなくなった三角州の小さな私塾。

 私、翔霏(しょうひ)、軽螢(けいけい)、ついでにヤギは、引き続きここに逗留して、籍(せき)先生から農業を学んでいる。


「このように、肥料に硝石や糞尿を与えすぎると葉ばかりが育ち、実が生りにくいという弊害もあって……」


 ぐうう、と話の途中なのに軽螢のお腹が鳴った。


「おっと、もう昼か。続きはまたあとにしよう」


 籍先生は優しく笑い、軽螢は照れくさそうに首の後ろをかく。

 今日は「窒素系肥料の与えすぎによる作物への悪影響」がテーマだ。

 午前の授業が終わって、ひとまず休憩中。

 外の庭でおモチを食べながら、翔霏がしみじみと言った。


「不思議なものだな。あのモヤシが治めている街で、私たちがこんなに平和に暮らしているというのも」


 シャチ姐たちと東の海を冒険して、すでに月が三度は廻った。

 年も新しく変わり、冬も終わりを告げつつある。

 私と軽螢は数え年齢で十八歳になり、翔霏は十九歳になった。

 なってしまった。

 もう完全に「子どもだから」という言い訳は使えない身分だな。

 街は希春(きしゅん)の祭事を間近に控え、祭壇などが準備されている。

 結局、それまでの腿州公(たいしゅうこう)と側近の宰相は「健康上の理由」で長い休養に入った。

 今は宰相代理として姜(きょう)さんが腿州の政治を取り仕切っているのだ。


「海賊討伐も落ち着いたから、今度は内政に力を入れる段階なんだろうね」


 私も翔霏に並んで長椅子に座り、巨大な春巻のようなお昼ご飯をパクリ。

 トウモロコシの粉で作った皮で、肉や野菜の餡をぐるっと巻いたものだ。

 はじめて作ったけれど、なかなかイケる。


「麗央那、俺の頭いじるのやめろよ~」

「メェメェ」


 最近、髪を丸刈りにしてスッキリした軽螢。

 短い毛がショリショリするのが気持ちいいので、私は暇さえあれば軽螢の頭を撫で回している。


「ふふふ、そんな可愛い後頭部を私の前に晒しているのが悪い」


 必死に勉強してる毎日なんで、癒しが必要なのです。

 椿珠(ちんじゅ)さんからは、商売の進展について細かい報告がこまめに届く。

 重要な案件が発生したとのことで、近いうちに相談することがあると、手紙には記されていたけれど。


「あ、鶴灯(かくとう)くんだ」


 対岸から筏が近付く。

 そこには渡し守のおじさんと一緒に鶴灯くんと、それ以外の二人。

 一人は上下全身黒ずくめの服装で。

 もう一人は、真冬だというのに袖なしの上着から、両腕に彫られた刺青を晒している。


「シャチ姐さんと用心棒どのか。大事な話というやつに関わることで来たのだろうな」


 食事を済ませ、ぺろりと指を舐めた翔霏が言う。

 椿珠さんではなくシャチ姐が来たということは、特に海上で起こったことに関する話だろう。

 街、陸地での荷受けと顧客開拓は椿珠さんの仕事であり、両者は上手く役割を分担してい動いている。

 鶴灯くんは良く働く美点がシャチ姐に見初められて、一緒の船で仕事をしていることが多い。


「お久しぶりでありますね。少し太ったでありますか?」

「あはは、お恥ずかしい。ご飯が美味しいもので、つい食べ過ぎて」


 軽快にしてチクリと刺さる世間話を交わす。

 もう少し暖かくなったら、本格的に水泳でも始めて体を引き締めないとな。

 と、明日やろうはバカ野郎理論を私は胸に抱き、手に入らない魅惑のマーメイド体型を夢に描く。


「先生はご在宅でありますか? 専門の方の意見も伺いたい事情がありますので」

「はい、いますけど。シャチ姐が畑や野菜の話をしに来るのは珍しいですね」


 姜(きょう)さんの船団がやっていたように、海上の島々に畑を作って食料基地でも構えるつもりかな?

 疑問に思いながら、私たち全員が母屋に集まる。

 シャチ姐はまず、布の小包を二つ、卓の上に置いて一方を開封した。

 中にぎゅうぎゅう詰めで入っていたのは、白黒二色の、ふわふわの鳥の羽だった。


「これは……カモメの羽ではないようだ。なんだい?」


 籍先生の疑問に、シャチ姐が答える。


「角州(かくしゅう)のさらに北、もうじき斗羅畏(とらい)サマの蒼心部(そうしんぶ)が見えるかと言うくらいの彼方の海に、無人島を見つけたのであります。ただの岩礁かと思って通り過ぎようとしたのでありますが、こちらの鶴灯が調べてみたいと言ったのでありまして」

「と、鳥が、たくさん、出入り、してた、から。ど、洞窟に、鳥たちが、山ほど、いて、巣を、作ってた。可愛かった」


 要するに、北の果ての海で鳥の営巣地になっていた小島を見つけた、と言うことだ。

 シャチ姐は斗羅畏さんのエリアとも通商の海路を開くために、北方海域も入念に調べていたんだな。

 確かに見事な羽毛なので、これも良い商品になるかもしれない。

 けれど本題はそうでないことが、籍先生とシャチ姐の表情から察して取れた。


「洞窟の中に鳥の巣、と言うことは……」

「お察しの通りであります、先生」


 二つ目の包みを、シャチ姐が解く。

 そこには乾燥した砂利石、まるで猫ちゃんのトイレ砂のような、まだらな色合いの細かい鉱物らしきものが収められていた。

 首をひねる翔霏と軽螢に、先生が教えた。


「先ほど教えた、燐と硝石の結晶だよ。船長どの、これは一体、その島にどれくらい埋蔵されていそうだね?」

「ワタシの船でチンタラ運んでいては、一生かかっても採り尽くせないくらい、でありましょうか」


 ぽかーん、と音がしそうなくらいに籍先生は驚き、目と口を見開いた。

 そこまで大げさな話かな?

 もちろん、効果の高い有用な肥料、鳥獣の糞から成る燐と硝石の入手先が増えたというのは、喜ばしいことだ。

 私たちのような農業の学徒にも、これから再開発しようとする神台邑(じんだいむら)の将来にも、グッドニュースであるのは間違いない。

 けれど籍先生が言葉を失うほどに驚嘆している理由が、イマイチわからないな。

 そんな私たちの無知をあざ笑うかのように、黒ずくめの用心棒さんが説明した。


「新しい島を発見したとき、土地は国のもんになる。この場合は昂国(こうこく)だな。だが島にある資源の所有権、その一割は発見者が得られるというのが航海法令で決まっている。要するに、そこの金髪の兄ちゃんてことだ。もちろん俺たち船員全員が、分け前にあずかるが」

「なんですと!?」


 運び切れないほどの膨大な、糞が化石化したリン鉱石と硝石。

 一割と言っても莫大な量に違いない。

 それらがいきなり鶴灯くんたちの、私有財産になるということか!?

 いやはやそれは、籍先生も言葉を失うはずだよ。


「よくわからんが、良かったな。せいぜい親孝行しろ」


 お金にも数字にも関心の薄い翔霏が、軽く言う。

 笑顔で鶴灯くんが返す。


「こ、紺たちの、邑の、ために、使えないか、考えてる。これも、みんな、紺や麗の、おかげ、だから」

「かかか鶴ちゃん、早まンなって! ちゃんと母ちゃんとじっくり相談しろよ!」


 深刻さがわかっていない鶴灯くんに、軽螢が全力で突っ込むのであった。


「思いのほか、大変なことになっちゃったみたいだねえ」

「メエェ……」


 その日の夕方。

 ひとまず寝床に帰ったシャチ姐たちと鶴灯くん。

 唐突に手に入った肥料の扱い、まだ籍先生に相談したいことがあるようで、明日も来ると行った。

 筏に乗った彼らを見送った後。

 翔霏は「少し一人にしてくれ」と言って、中州の砂浜で佇んでいる。

 私と軽螢は勉強小屋の横で、ヤギのブラッシング中。


「ありゃ、鶴ちゃんになにか言われたなきっと。嫁に来てくれ、とかだったりして?」

「まさかあ。いや、でも有り得るかも。鶴灯くん、大金が手に入りそうだし」


 もともと、翔霏の魅力に一目惚れしてナンパして来たのが出会いの始まりである。

 その後も鶴灯くんは一貫して、翔霏を喜ばせるための行動を取り続けた。

 美味しいおかずを獲って来てくれたり、海の仕事を教えてくれたり。

 翔霏が戦っているときは、真剣な目で応援し、彼女の勝利を願っていたり。

 そして今、故郷の神台邑を復興するために、文字通りのすべてを投げ打って力になろうとしてくれている。

 前に翔霏が、気軽な女子トークの中で言っていた言葉。


「私は、私を喜ばせられる男が好きだ」


 その現実主義的な条件に、見事に合致している男性は、鶴灯くん以外に考えられない。


「翔霏が他の誰かさんのものになっちゃうのは寂しいなあ。でも親友として、応援してあげなきゃダメなんだよね」

「まだそうと決まったわけじゃねえけどな。それより麗央那は自分の心配をしろよ。歌も踊りも絶望的じゃ、嫁の貰い手なんかないぜ」

「なにおう! う、歌はダメでもなー、踊りのひとつくらい、できらあ!!」


 おだてられなくても踊り出すチョロい私。

 去年の春に、水神祭りで踊っていた漣(れん)さまの様子を思い出し、その舞を真似てみる。


「えーと、こっから、こうして、こうなって……」


 うろ覚えを頼りに、手を振り足を運び、右へ左へ行ったり来たり。

 水が流れる様子を、体の動きで表現してーの。

 同時に龍の神が、天空を優雅に飛んでいる力強さも匂わせてーの。


「ぎゃぶん!」


 考えながら踊ったせいで、混乱して足がこんがらがっちゃった。

 バンザイダイブで転んだ私の手を引っ張り、軽螢が立たせてくれる。


「それ、水神さまの踊りか? ならこうして、ゆーっくりと腕を振ってさあ」


 私と向かい合わせで手を握った軽螢。

 こう踊るんだぞと、優しく教えはじめてくれた。

 

「滝が落ちるように、すうっと頭を下げてサ。岩に当たった水がはじけ飛ぶように、パッと両手を開いてサ」

「え、すご、なんで軽螢は踊れるの?」


 失礼な話、彼と舞踊がまったく結びつかないのだけれど。


「そりゃあ、これでも長老の孫だからなァ。祭りのときは水の神さんに踊りくらい奉げるよ」

「ああ、そっか……」


 漣さまが生まれ育った尾州の街も、軽螢の故郷の神台邑も、山がちで高低差の激しい土地である。

 そんな地域では河川を鎮めるため、象徴たる龍神への共通した信仰が根強いんだな。

 私は軽螢の手ほどきを受けながら、徐々に少しずつ、その水神へ捧げる踊りを習い、覚えて行く。


「これを踊れンのも、邑じゃ俺一人になっちまった。でも麗央那が覚えてくれれば……」

「うん、あんたが風邪なんか引いたときに、代役で踊ってあげるよ」

「そうしてくれっと助かるぜ。そんなへっぴり腰じゃ、神さんも気まずいだろうけどナ」

「うるせーわよ。もっと上手くなるし。軽螢より私の踊りの方が見たいって、龍神さまに思ってもらうくらい、上手くなってやるからね」

「ははは、いつまでかかるモンだかなあ」


 私と軽螢が踊る三角州。

 あたりを夕闇が染めて行く。


「メエェ……」


 ヤギだけを観客に、私と軽螢は水が流れるように、ゆっくりとした所作で舞い続ける。

 大きな川も小さな川も、等しく高いところから低いところへ。

 流れ流れて、すべての水は海になる。

 命の熱が溢れる、海沿いのこの街で、私たちは踊り続ける。

 

「いつまでかかったって、上手く踊れるようになるんだから」

「わかってるって。ちゃんと見てっから心配すんなよ」


 沈みゆく太陽に、私はなにを誓ったのだろう?

 きっとまだ、恥ずかしくて言葉にはできないことだ。

 もうすぐ、希春のお祭りがある。

 去年の私よりも、今の私はちゃんと習い、学べただろうか?

 少しくらいは、まともな大人に近付けたのだろうか?


「とりあえず、今はこの踊りをしっかり覚えよう。軽螢の足を踏んづけないくらいには」


 軽螢の掌から伝わる体温を感じ、私はそう思った。

 邑のためでもなく、仲間のためでもなく。

 私の心が、ただそうしたいと思ったのだ。





(波濤と業火の喰らい合い、泳ぎて踊る創身の少女 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第六部~ 完)

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波濤と業火の喰らい合い、泳ぎて踊る創身の少女 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第六部~ 西川 旭 @beerman0726

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