エピローグ Ⅲ(完)

 愛していたはずの相手を失った悲しみは、なおもランゼの胸を締め付けている。シャンナがずっと抱えてきた無念を自分も思い知り、闘技場へ足を運んでも気分は上がらない。

 至って真剣な演説をするつもりが、頻繁に噛み、無知を晒し、王の間に集う全員に大笑されたのも相まって、ランゼは自信を喪失していた。

 鬱憤を払うには戦いだ!……そう息巻いても、闘技場はしばらく様子見で利用されない方針に決まり、少し大人になったランゼは、皆が戦いの後始末に追われる中で自分の欲求を満たすためだけに誰かを稽古に誘うのを躊躇った。本心と異なる我慢である以上、このように無人の闘技場を訪れ、舞台の中心でボーっと青空を見上げるだけの無為な時間を過ごすことが最大限の我が儘だったのだ。

 誰か、自分と同じで、事後処理なんかより暴れたいと思っている人がいないものだろうか……。

 そう期待して『不惑の剣』を自分用と相手用で二本持ってきたのだが、より虚しくなるだけとなった。

「つまんな、帰ろ」

 新たな国王としての貫禄など微塵も無い。寂れた心を表情にそのまま反映させて闘技場を去ることにした。

「嘘吐き……」と、最後に言って。奴隷剣闘士だった彼が現れた、独房へ繋がる入場口を見つめるだけ。他に何もやらなかった。

 オルダルが遠征に出た今こそが好機と城を出たが、このように無駄足を踏む結果となるのは、考えれば分かることだった。

 それを今ようやく気付かされたことで自分の浅慮を痛感し、獣みたく呻いて退場する。

 奴隷剣闘士の彼も、騎士の彼も、もういない。

 彼は爆発に巻き込まれて散った。仮にその時点では生き延びていたとしても地下には失敗作の大群が待ち受けている。同じランページ人であるからには無害とはいえ、いずれは踏み潰される数だという。

 存命はない。同じランページの騎士たちが「そのくらいじゃ死なないと思いますけどね」とか言っていたが、ランゼには信じられなかった。

 それに、これで良かったとも思える。自分はまだ幼くて頭も足りないが、彼との無くした過去が、彼ごと過去になったことで新たな国の代表としてやりやすくなるはずだから。

 ……このような無理やりのポジティブシンキングを何度も繰り返して、それでも闘技場へ来てしまうのだ。

 この先も隙あらばここを訪れる習慣が身に付く恐れがある。

 生まれ変わる世界の中で自分だけが停滞する。それでは自分も、自分を信じてくれるようになった皆にとっても、未来に繋がらない。

 これをやめさせるには、ランゼ独りだけの舞台へ、おもむろに姿を見せた彼の言葉が必要だった。


「……は?」


 そう。どうしても諦め切れずにいた彼女の騎士が、確かに主君のもとへ帰還してみせたのだ。

「死んだはず……」

「貴女の命令に従うと言ったはずだ。死ね、とは言われていないのでな」

『蛇の塔』から火傷のみで生還したランゼと比べて、二日遅れて帰ってきた彼は黒一色の鎧がボロボロと剝がれていた。露わな素肌も赤い。

 それでも精悍な顔に珍しい微笑みを浮かべて、ここにいる。

 ランゼは二本の剣を手放して抱き着きたい気分だったが、これだけ自分を不安にさせた罰として斬り伏せてやろうかという考えも芽生え、それが困難な得物であるからにはどれも選べず、彼の眼前で立ち尽くした。

「生きてた……ザイ、生きてたぁ」

「オルダル殿からは『王として皆に認められた』と聞いたが……やれ、まだ半人前のようだ」

 泣き出すランゼだが、このところずっと泣いてばかりだったのを思い出して懸命に鼻を啜ると、美顔が台無しになるほど乱れてザイにも大笑されてしまう。

 遺憾ながら自分がザイを特別視する理由を知れた。記憶は蘇らないが、しかして想いは強まり、彼の生存を女性としても喜んだ。

「すまなかった。俺は全て知った上で黙っていた。教えてしまえば迷いが生じると判断したんだ」

「良いんです、これで。時間はこれから沢山ありますから……」

 簡単に許されたことでザイの罪の意識が増す。可能な限りでランゼの願いに応えていく決心がつくほどに。

 もっとも、ランゼの希望はザイと同様のものなのだが。

「ここにいるということは、まだ燃え尽きていないということでよろしいか?」

「よろしいです。でも、ザイは一度休まなくて良いのですか?」

「疲れはあるが、丁度良いハンデだろう。今の俺くらい軽く負かしてもらいたいものだ」

「フフ、貴方も私を侮っていますね。……そういえば、斧は?」

「塔の地下に置いてきた。使い物にならないほどヒビ割れていたし、他に優先すべきことがあったからな」

「これならありますけど……」

 うち一本を渡すと、ザイは「なるほど」と言ってまた破顔。

「思えば終戦を目指す私たちの象徴でした」と言ってランゼは剣を抜いた。


 ランゼの提案で開発された、奴隷剣闘士と、対戦するカームズの騎士に支給された剣は『突き』に殺傷能力を持たない。

 クロスが授業で使っていた指示棒を参考に、伸縮自在、切っ先には穴が空いてあり、押し込むと赤いインクを詰めた風船が中で破裂・滴下する仕組みとなっている。

 ミナも、奴隷剣闘士も、トドメを刺されたようで実は無傷。腹部を赤く染めて死亡したように演出したのだ。

 立案者がランゼだと知った時点でカームズの騎士たちはランゼに感心し、ランページの騎士について考えを改めるようになった。

 そして、ランページ村を救うために駆け出した彼女の勇姿こそが騎士たちへのトドメとなったのだ。これに関してもランゼは無自覚だが……。


 ランゼはその玩具を一度納める。

 ようやくザイと戦える。ランゼにとってこの上ない至福のはずだが……。

 それだけではないのが私だったのだと、先の戦いを経てランゼは自覚した。

「過去のこと、どうしても思い出せないのです」

「生きて会えたらまた剣を交えようと誓った」

「思い出せない。……それでも良い。私は『狂奔のランゼ』だから、過去に囚われず、高く飛んでいかないとね」

 全てを覚えているザイには未来を目指すランゼが眩しく映った。六年間の罪と罰、どちらも些事として洗い流されてしまったからだ。

「それなら俺も、改めて『ランゼの信じた国』のために生きると誓おう」

「これから忙しくなるかもしれませんけど、たまには相手してくださいね?」

「望むところ。王としての責任感も芽生えてきたようだ」

「でも、まだ少女です」

「俺は覚えている。だから……立派な淑女レディになられたのだと、素直にそう思う」

 伝えたかったことを、先に打ち明けたのはザイだった。

 それを受けてランゼも我慢をやめて、剣を手放して彼に抱き着いた。このように愛情を表現したことは過去にもなかったはず。

「差別とか身分とか才能とか……もう疲れたよぉ。また会えて良かったぁ……」

 ザイはこれでもかと弱音を吐きまくるランゼを甘んじて受け入れた。想いは昔から共通していたからだ。

 戦いの中にだけ幸福がある。

 そう思い込み騎士道を邁進してきたザイからしてみれば、将来を期待した幼き日の姫君がこのように育ち、やはりあどけなさも残してここにいることで、忠誠を誓った国が滅んでもなお凱旋を遂げることが叶ったように思えた。

 戦いの他にも幸福を感じられることがあるのだと初めて知った二人は、グシャグシャでボロボロの互いを笑い合い、二人でしか辿り着けない理想郷を目指して剣戟を交わした。

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狂奔のランゼ 壬生諦 @mibu_akira

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