エピローグ Ⅱ

 彼らの生還を確かめる前、古い寝室にいたクロスとシャンナは、昨日全員に明かした『秘密』が目を覚ます瞬間に立ち会っていた。

「あ……」

 目が合うとシャンナは一音零し、窓辺のクロスがベッドの女性に近付く。

「あなた、たちは……」

 元より剥奪された機敏さが更に鈍くなり、椅子から立ち上がった侍女らしき格好の女性と、並ぶ眼鏡姿の老成をそれぞれ視認するのにも疲れる。

 状況はすぐに理解できたが、何故こうなったのかまでは分からず、ミナは自分の救命に貢献したとされる二人の様子を窺う。

「私たちのことは知っていますね?ランゼ様の従者で、味方です」

 クロスは眼鏡を外し、懐のハンカチでレンズを拭く。ミナからすれば二人を排除してこの場を去るなど容易に思えたが、それがいかに意味を為さない行動かを瞬時に理解して熱が冷める。

 ミナは生き残った。

 しかし、これから先、向かうべき目的地など特に無い以上は『救われた』とも言い難い。

 ミナはこれまでの報われぬ日々から前向きになれず、ランゼとまた会えることよりも、再会したところでもう彼女は自分を見てくれないと分かり切っていることで悲観的になる。

 だが、潤む瞳のミナにとって、従者の発言はあまりに埒外だった。

「ランゼ様より言伝です。貴女の処遇は貴女に選ばせる、と」

「何ですって?」

 思わず身を乗り出したいところ、体が重くて上体を起こすことも出来ない。

 寄り添う女性が慌て出し、体もシーツも全て清潔に保たれていると気付けば邪険にもなれなかった。

「勿論、国や民に損が生じない範囲での自由となりますがね。死刑を望むなら私がやると仰っていました。囚人として地下で過ごすのも、この無い窓から飛び出すのも、船を使って外へ逃げるのも、全て貴女に選ばせると」

 ミナは意味が分からず怪訝な表情。カームズ国の滅びを肯定したのは事実なのだ。その自分に何故、それほどの権利が与えられるのか、どうしても腑に落ちない。

 疑問を直接質すのも不本意。常にランゼと共にいた老紳士と、おそらく『シャンナ』と思われる侍女を相手に懲りたはずの意地が蘇り始めている。

「ランゼは変わったのね。大人になった。人に優しくなった。……いえ、私が知らなかっただけ?」

「はい。私とシャンナ殿は彼女の器量などとっくに見抜いていましたとも」

 ミナがオルダル級の眼力で睨むも、眼鏡を掛け直したクロスはニコニコと頬を緩ませる。

 板挟みのシャンナこそ落ち着かない。いい加減に、自分の気持ちなど知れず好き放題やってくれる悪党たちに不満を覚えていた、彼と再会前の憂鬱。

「ランゼ様の本性は平和とは縁遠いものなのかもしれませんね。ですが、我々のことを第一に想うランゼ様も、ランゼ様ですから」

「私だってランゼを危険に晒したいわけじゃないわ。ただ、好きに生きられないあの子が可哀想で……」

 同じようにランゼが健やかで在れることを願うシャンナは、ミナがいかに凶悪な存在かを知りながらも共感を免れなかった。

 そんなシャンナの同情の眼差しがミナを気まずくした。

「貴女方より預かったランゼ姫を庇護し続け、闘争心も抑制するよう心掛けてきました。ですが、結果はこの様。却って野心を育ませるどころか、いよいよ彼女の可能性に賭けるまでとなってしまった。クルーダ王や実の父君はさぞお怒りに違いない」

 クロスは語りながら背を向けて、ソファーに置かれた剣を拾った。ミナも見覚えのある無骨な剣だ。

 何だ、やっぱりランゼの意志は尊重されない。結局は殺すのね……と、ミナは失望したが、クロスは剣をまだ抜かない。無為に指示棒で手を叩く教師らしい所作で話を続けた。

「何よりランゼ様に施した教育方針自体が無用なものだった。案の定、我々も幼さの偏見に囚われていたわけです。……ランゼ様とは、元よりそのままの振る舞いを以て『正しい闘争』が出来る御方だったのですよ。それについていくら考えたところで結論など出るはずもなかったのです」

 騎士の言葉に苦悩するランゼを傍で見守ってきたクロスも、共にその意味について考えてきた。

 だが、頭で考えることが間違いで、ランゼこそがその言葉の体現者だったのだと知るのは、彼女を戦場へ放った後となった。

 悔い改めて、クロスは残る時間の全てを彼女のために捧げると独り誓った。

「単純に戦いたいだけ。爆発するように散っていきたいだけ。政治はやりたくない。……それらもランゼ様の真実です。しかし、彼女は無自覚かつ自由な判断で終焉へ向かうこの島国を救ってみせた。何故なら隣人を想う気持ちもあったからです。そこにはカームズもランページもなかった。彼女はもう、架け橋ではない。新たな『名もなき国家』の指導者に相応しい御方なのです」

 柄にもなく熱が入り、わざとらしく咳きをするクロス。シャンナも彼の忠心が偽りでないことで嬉しくなる。

「貴女もずっとランゼの味方でいられるの?狂っているのは同じなのよ?」

 ミナにそう問われても「あの子はきっと、何にでもなれるのです」と、実の子の功績を誇りに思う母のように温かく微笑んだ。

 二人は既に選択を済ませている。元よりランゼが狂っているだけではないと知っている。それぞれの孤独に救いの手を差し伸べていた彼女がこの先どれだけ存在感を増そうとも、時に暴走しようとも、傍で尽くすと決めた。

「生きていくのであれば、未来に期待した方がずっと楽しい。これだけ老けてようやく思い知らされましたよ。貴女はどうか?せっかく二度も死を免れたのです。試しに、何となく、適当にでも生きてみては?」

 ランゼの言伝からはみ出たもので、これもクロスの柄ではない。

 裏がありそうな眼鏡の老紳士についてミナは碌に知らないが、彼もランゼの光に当てられて前を向くようになったことだけは分かった。

 傷の痛みが残る。体は思うように動かない。どの道を選択しても、しばらくはここで手厚く看病されてしまうのだろうが、ミナの回答は自ずと決した。

 窓の外の陽光をようやく見つめるようになったミナの様子から、従者たちは目を合わせて共に頷いた。

 その反応もミナには癪で、ランゼは未だしもこの二人はまだ認められない。ランページ人としての誇りは捻じ曲がりながらも手放せず、悪態はこの先も続くこととなる。

 特にクロスは同志だった男たちの特徴が混在しているようで忌まわしく、見過ごすわけにもいかなかった。

 今のうちに余裕な態度を崩しておきたく、ミナは決して誰にも分かるはずもないその意味について無茶ぶりを仕掛けた。

「先生、ランゼにおける『狂奔』ってどういう意味か分かりますか?」

 世界で唯一人、ランゼを一時間机に向かわせることの出来る彼の知能など知るはずもなく、カームズ国を侮る癖がまだ抜けていないが故の慢心となった。

 クロスは不意打ちにも一切動じず、むしろそれを問われることさえ予測済みの速さで答えた。

「誰かのために勇気ある決断を下せる。それを、勇気とも考えずに」

 ランゼにも、この嫌な教師にも、『シャンナ』にも、まだ勝てないらしい。ミナはより深く頭を枕にうずめた。

 それから深呼吸をして、一筋の涙を気のせいとしてから、最早どうでも良くなってきた『秘密』について確かめることにした。

「それで、何で私は生きてるの?」

「ランゼ様には何回斬られましたか?」

「え?確か二回」

「いえ、一回だけなのです」

「……どういうこと?」

 ミナはおもむろに手を胸に当てた。上半身には痺れが残っているが、触れた部分に痛みは無い。要石がまだ健在なのは嫌だが、これは戒めとして受け入れるしかなく、それ以上に状況が理解できず困惑した。

「貫かれた瞬間を覚えていますか?」

「無いわよ。丁度意識が途切れたから……」

「そう、これでようやく終われると安堵して貴女は眠った。今まで目を覚まさなかったのは蓄積された心身両方の疲労と、後は傷がそこそこ深かったため。大前提として、貴女はトドメを刺されていない」

「でも、ランゼの剣先が触れたのが最後の記憶だから……」

「種を明かしましょう。シャンナ殿、ご安心を。中身は抜いてありますので」

 クロスは剣を抜き、鞘をシャンナに渡す。

 意地らしく間を作り、それから切っ先を掌に向けて思い切り突き刺した。

 その結果にミナはランゼみたく目を丸くした。とても妖艶な女性とは程遠い、若いリアクションで。

「全くあの子は……もう……」

「これを開発するよう指示したのもランゼ様です。私の授業からヒントを得たらしく」

 昔も今も大人を誑かして止まない主君の悪戯に、侍女たちは肩の凝りがドッと増した気にさせられる。それだけではないことも知っているため、あの子にはこの先も敵わないのだと溜め息を吐いた。

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