High-/-Quality(短編読切版)

hime

High-/-Quality(短編読切版)


追い風。勝負を決めよう。


ライバルの見守る姿が、視界の片隅に入る。


ゆっくり深呼吸をすると、大きな声で叫ぶ。


「行きまぁぁぁっす!!」



今でも鮮明に覚えている。人が5mもの上空を華麗に舞う姿。

「誰よりも高い空を跳びたい」

なんて夢、たくさん笑われたっけ。



踏み出した足は、少しずつ速く、そして力強く、テンポを上げて進んでいった。

大きく踏み切った体は、勢いよく上下反転し、5m55cm上空にかけられたバーの上目掛けて跳ね上がった…。






『続きまして、新入生お待ちかねの、部活動紹介です。まずは甲子園県予選でも準優勝の実力。野球部です!』


4月。桜舞うこの季節に、彼は高校生という長いようで短いその時間に、足を踏み入れた。

都心を少し西に外れた住宅街の一角にある、都立羽瀬高等学校。初々しい新入生達は体育館へ集められ、何やら学校のありとあらゆる流れや、諸先生方、諸先輩方の話を聞いた。

毎年、かなり熱のこもったパフォーマンスが有名な、部活動紹介。


『僕たち野球部は、昨年甲子園予選準優勝という結果に終わりました。今年こそは、甲子園出場を果たすために、皆さんの力が必要です。未経験者でも大歓迎!興味のある方は、放課後北野球グラウンドへ来てください!』


主将と思われる、ユニフォーム姿の上級生は力強くそう言った。


(…運動部…ねぇ…)


新入生の大半が、野球部のパフォーマンスに目を惹かれる中、1人つまらなそうに桜舞う体育館の窓の外を見上げる少年がいた。


彼の名は、若越 跳哉わかごえ ちょうや


『続きまして、サッカー部。よろしくお願いします。』


部活紹介のバトンは、サッカー部へと受け継がれた。


『えーっと、僕たちサッカー部はぁ、地区大会優勝目指して頑張ってます。…ぇぇ、本当に言うの…?…あー、サッカー部にはイケメンの先輩がたくさんいまーす!一緒に楽しい青春を過ごしましょう!…ハッハッハ!』


サッカー部の主将らしき上級生は、ヘラヘラとした口調でそう言った。


「何だよあれぇー!」


「イケメンの先輩だってぇ!キャーッ!」


若越の周囲の新入生は、それを見て浮かれた反応を見せた。


(…ふっ…くだらねぇ…)


若越は、呆れた。


(…これだから運動部は…)


若越が俯くと、部活紹介は次へとバトンが渡された。


『…新入生の皆さん。ご入学おめでとうございます。…自分は、陸上部部長、3年の室井 透治むろい とうじです。』


若越が再び顔を上げると、ステージにはマイクを持った、屈強な上級生がいた。

彼がそう言うと、先程までの浮かれた空気は一瞬にして静まり返った。


『…我々陸上部は…』


室井はそう言いかけると、マイクを下ろした。


「なんだ…?」


「どうしたんだろう…」


周りがざわつき始めると、室井は静かに体育館後方を指さした。


『我々陸上部についてダラダラと語るより、皆さん彼の跳躍を一度見てみてください。』


皆が室井の指す後方を見ると、そこには見慣れない大きなマットと、手作りと思われる50m程の助走路。そして、高く聳え立つ柱が2本、マットの左右に立てられていた。

その柱の上には、一本の棒が横にまっすぐ掛けられている。


「何だ?あれ」


「高跳びでもやるのかな?」


周りがまた、ざわつき始める。

すると、その助走路に、ユニフォーム姿の1人の上級生が、右手に一本の棒を持って現れた。

彼が手にした棒を、両手で地面に押し付けると、グインと大きくポールが撓った。


(…なんだあれ…?棒高跳び?)


若越は、興味を惹かれたように目を丸くして見つめた。


助走路に立つ上級生は、ゆっくりと目前に聳え立つ一本の棒を見つめた。


『彼がこれから見せるのは、陸上競技の1つ"棒高跳び"です。彼は、2年の伍代 拝璃ごだい はいり。現在、全国ランク4位の選手です。』


室井が紹介した伍代は、ゆっくりと手に持つポールを持ち上げた。


『彼は今から、5mのバーに挑戦します。これを跳べば、彼の自己ベストになります。その跳躍を、一眼見てみてください。』


室井が言い終えると、伍代は大きく息を吸った。


「っしゃぁぁ!!!行きまぁぁす!!!」


伍代はそう叫ぶと、右脚を大きく踏み出した。

軽やかなステップで、伍代は5mのバーに向かって走り出す。


マットに近づくにつれ、その助走は見てる者が感じ取れるほど力強く速くなった。


伍代は手に持つポールを素早く助走路の先に突き刺すと、力強く左脚で踏み切った。

大きく弧を描いたポールを軸に、伍代の体が上下逆さまに回り上がった。

ポールが反発によりまっすぐ元の形に戻ると、伍代の体はそのバーより5cm程高く上を跳び越える。



それはまるで、大空を羽ばたく1羽の鳥のように。



5mのバーは微動打にせず、伍代は勢いよくマットに落ちた。

伍代はすぐさま立ち上がると、右拳を勢いよく突き上げて深く一礼した。


体育館は、まるでスポーツの行われているスタジアムにいるかのような歓声と拍手に包まれた。


ほんの僅か10秒程の出来事に、若越は呆然としていた。

若越がハッと気がつくと、彼は呆然と立ち尽くして真っ直ぐ伍代を見つめていた。


歓声と拍手がサッと静まり返り、一斉に皆若越を見た。若越はそれに気がつくと、慌ててその場に座った。


(…何だよこれ…凄すぎるだろ…!)


若越は恥ずかしさで俯いていたが、何かを見つけたようにその表情は輝いていた。





放課後、グラウンドではそれぞれ部活が行われていた。


そのグラウンドの端にある棒高跳びのマットの隅で、伍代はストレッチを行っていた。

そこへ、1人の女子部員が近づいた。


「いやぁさっきのは流石だったね。拝璃。」


その女子部員は、水の入ったペットボトルを伍代に向かって放り投げた。


「ありがと、もも。まあ、先週の記録会よりはマシな跳躍だったと思うよ。流石に、あれだけオーディエンスがいるのに失敗はできないよ。」


伍代はストレッチをしながら、女子部員に向かって微笑んだ。

彼女は、桃木 玻菜ももき はな。伍代と同じ2年生で陸上部短距離ブロックと跳躍ブロックのマネージャーをしている。



陸上競技には100mから400mの短距離、800m、1500mの中距離、5000m以上の長距離、ハードルや水源を越えながら走る障害競走、跳んだ高さや距離を競う跳躍種目、投げて飛ばした距離を競う投擲種目、バトンを繋いでタイムを競うリレー種目、その他マラソンや競歩、各種目を何種類もこなす混成競技がある。


羽瀬高校陸上部は、それぞれをブロックという括りで振り分けし、基礎トレーニング以外の練習はそれぞれのブロックに分かれて取り組んでいる。



伍代と桃木が会話をしていると、そこに制服姿の若越が現れた。


「…あ…あのっ!」


2人は、声のする先に振り向いた。


「君は…」


桃木がそう言いかけると、伍代はストレッチの手を止め、若越を見上げた。伍代の表情は、桃木に向けた微笑みから一変、真剣になっていた。


「君、棒高やってた?」


伍代は、若越に問いかける。


「…い、いえ。棒高跳びというものを、今日初めて目にしました。」


若越の答えに、伍代は少し険しい表情を見せた。しかしすぐにその表情は溶け、先程の微笑みの表情で言った。


「そうかそうか。ここに来たってことは、俺に何か用かな?」


「…お、俺…自分も、棒高跳び、やってみたいです…!」


若越は、片言ながらも真っ直ぐに、伍代に自分の思いを伝えた。


伍代と桃木は、若越の言葉に驚いた表情でお互いの顔を見合わせた。そして、突然大きな声で言った。


「もも!!やったぜ!!後輩がっ!!」


「っーたぁ!!うちのブロックに後輩が来てくれたぁ!!」


2人はハイタッチしながらはしゃいでいた。

ひとしきり盛り上がると、思い出したかのように若越を見た。


「…にしても、理由は?やっぱ俺の跳躍凄かった?」


伍代はとびきりの笑顔で若越に言った。


「いやあんた、それ自分で言う??」


桃木は、すかさずツッコミを入れた。


「…自分は、これまで何かに興味を惹かれる事はありませんでした…。けど、先輩の姿を見て、自分もかっこよく空を跳びたいって…簡単に出来ることじゃない事は承知の上です。それでも、今はやってみたいという気持ちが勝ってます。だから…」


若越は、自分の気持ちを言葉を選ばず素直に伝えた。

若越の言葉を聞き、伍代は急に思いっきり立ち上がった。


「やろうぜ!棒高。練習ならいくらでも付き合ってやるし、高校生から始めるやつも多い。君がそれだけの思いを持っているなら、すぐ出来るようになるはずだ。」


伍代は、若越の肩を大きく2回叩いた。


(ちょっと触れただけでもわかる…この人の掌から伝わる、この人の努力の数…)


若越はハッと驚いた顔をした。


「拝璃、いきなりそんな熱くいったら引いちゃうでしょ?」


桃木は伍代にそういうと、若越を見て言った。


「そういえば新入生君。まだ言ってなかったね。私は2年の桃木 玻菜ももき はな。羽瀬高陸上部マネージャーですっ!んで、こっちは…」


桃木がそう言いかけると、伍代は右手を若越に差し出して言った。


「2年の伍代 拝璃ごだい はいりだ。改めてよろしく頼むよ。えーっと…」


伍代がそう言いかけると、若越は伍代の右手をしっかりと握りしめて言った。


「1年、若越 跳哉わかごえ ちょうやです。よろしくお願いします!!」



はじまりの追い風が、3人の背中を颯爽と吹き抜けた。


_


若越の加入から3ヶ月_


日差しは強く肌を刺激し、空は一面気持ちがいいほどの青空に包まれていた。


「若越。記録会に出よう!」


まだまだ不恰好だが、ポールを使って踏み切り、バーを越える事が少しずつできるようになってきた若越。

この日も何本か跳躍の練習を行っていた。


若越が軽く水分を補給していると、突然伍代がそう言い出した。

若越は飲んでいたスポーツドリンクを思いっきり吹き出した。


「…え?記録会?」


若越は驚きそのまま、目を見開いて伍代に問い返した。


「そうだ。早いうちに本番の跳躍に慣れた方がいい。まあ、上位大会への出場権があるわけじゃないけど、競技場で跳ぶ緊張感は味わえるはずだ!」


伍代の日差しより眩しい笑顔に、若越は圧倒された。


「…実はね、拝璃に言われて若越君も、来週の記録会にエントリーしてあるの。…あ、これ他の1年生にはナイショね。」


マネージャーの桃木が、若越にタオルと新しいスポーツドリンクを手渡しながら言った。


「本来なら、1年生部員は来月の記録会から参加するんだけど、拝璃がだいぶ監督に無理言って若越君だけ、入部した頃に既に選手登録してたんだ。」


桃木の説明に、若越は更に混乱した。


「まあ、拝璃はそれだけ若越君と一緒に棒高やりたいんだと思う。私たちと後輩の君達は、長くても来年の今頃までしか一緒に部活できないから。」


桃木は、少し寂しそうに若越に言った。


「俺も、来週の記録会を終えたらインターハイの関東予選がある。どうやら、今年の関東はそう簡単に全国へは連れてってくれないみたいなんだよな…」


桃木と若越の横で、次の跳躍練習の為に助走路で準備をしながら、伍代は言った。


「…え?それってどういう…」


若越の純粋な問いに伍代は答えることはなく、

視線を目の前に聳え立つ、練習用ゴムバーに視線を向けた。


「…おっ、いい風。若越、ちょっと足見てくれ。」


足を見る、というのは、踏み切り位置を確認するという事。ポールを握る位置によって、その踏み切る足の位置が大凡限られていて、その位置を大幅に外れて踏み切ってしまうと、力のかかり方が不安定になり、危険な跳躍となる可能性がある。


若越が踏み切り位置の近くに行き、伍代の跳躍を待った。その横に桃木も並んで、伍代が答えようとした続きを桃木なりに答えた。


「先月中旬の東京予選、拝璃は1位通過したから関東大会に出るんだけど…」


桃木の話の合間から、伍代がスタートの合図を若越に送った。


「その東京予選、5位で関東大会に通過したの、若越君と同じ1年生なんだ。」


若越は、桃木の話に気を取られてしまった。

その瞬間、伍代は若越の目の前で、大きく力強い踏み切りをして、跳躍した。


伍代は5mの高さにかけられた練習用ゴムバーを、身体に触れるギリギリで越え、マットに着地した。


「…あ、足…」


若越は、慌てて伍代の放ったポールをキャッチしたが、肝心の踏み切り位置を見逃した。

すると、桃木がすかさず伍代に言う、


「10cmくらい、前だったよ。拝璃、若干合わせてるというか前のめりな感じがする。」


桃木の専門用語的な言葉に、若越はまだまだついていけない様子だ。

伍代は、桃木のアドバイスを聞くと、頭を軽く掻き、納得しない表情を見せた。


「…継聖学院附属けいせいがくいんふぞくの、江國 途識えくに としき。奴は異次元すぎる。」


まるで、桃木と若越の会話を聞いていたかのように、伍代は言った。


「身長179cmの、棒高跳び選手にしては割と長身で結構ガタイもいい子だったね。あの子、その恵まれた体を生かしたパワーで、1年生ながら西東京、東京の予選を通過してるみたい。」


桃木が、脳裏に浮かぶ江國の姿を思い浮かべながら、若越に言った。


「中学生の頃はそんなに目立った記録はないみたいだけど、どうやら高校生になって急成長したみたいなんだ。」


伍代は、桃木に指摘された踏み切り位置を確認しながら、グインと大きくポールをしならせた。

伍代は普段あまり練習では見せない、鋭く険しい表情を見せ、言った。


「あいつは、いずれ俺だけじゃなくて若越、お前にとっても脅威な選手になると思うぜ。」


桃木が、不安の表情で伍代に続けた。


「どうやら、江國君も今度の記録会に参加するみたいなの。あの子のチームメイトも、関東大会に出る人はいるんだけど、今回はどうやら関東大会に向けての調整でエントリーしてないの。高校生としての試合経験の為なのか、関東大会に向けての自己記録上げなのか分からないけど、早くも2人の敵の姿をこの目で見れるみたいね。」


桃木の言葉に、若越の表情は固まった。


「まあ、それも勉強だな。俺の跳躍ばかり見てても、強くはなれない。若越は、奴の跳躍を間近で見て、勉強するつもりの気持ちでいいからな!」


伍代はそう言うと、もう1度助走路に立った。


「若越悪ぃ。もう1本行かせてくれ。感覚のあるうちに修正したい。」


伍代は手を合わせ、お願いポーズでそう言うと、もう1度跳躍をした。




練習が終わり、若越と伍代は日陰の涼しい風の吹く中、各々ストレッチをしていた。

若越は、練習中に聞いた話を何度も思い出しながら、不安になっていた。


「なぁに。若越が今そんなに気にすることじゃない。お前はまず、バーの上を跳べるようにならなきゃ。」


伍代は、普段よく見せるイタズラな笑顔でそう言った。


「…はは、そうですよねぇ」


若越は考え事を振り払い、伍代に答えた。


「ももがさっき言ってたみたいだけど、俺が若越と一緒に強くなれる時間は、そう長くない。俺は、早く若越と競えるくらい若越が強くならないかなぁって思ってる。…あ、別にプレッシャーをかけてるつもりはないぜ?多分ももだって、1番俺たちのことを近くで見てるから、その俺らが競うようになれば、あいつも楽しいはずだ。」


すると、保冷用の氷袋を2つ持った桃木が、2人の元にやって来た。


「はい!お疲れ様!…なんか私のこと言ってた?」


女の勘は鋭い…と言わんばかりに、伍代は苦笑いしながら桃木の差し入れを受け取った。


「もも、もし若越が俺と同じくらい強くなって、俺たちが同じ舞台で競うとしたら、どっちが勝つと思う?」


伍代は、率直に桃木に質問を投げかける。

桃木はそれを、軽く受け止めて答えた。


「若越君に勝って欲しいかなぁ~?だって、拝璃の負けたところ、見たことないし、拝璃が負けて悔しがるところ見てみたい!」


伍代は、予想外の答えだったのか、少し驚きつつも、その理由の浅はかさに苦笑いした。


「そっかぁ、てっきり俺は、ももに勝った姿しか見せてないから、俺が負けるところは見たくないのかって思ったけど、そんなこともないんだな?」


伍代は笑いながらそう言ったが、その言葉にどこか悔しさを滲ませていた。


「もちろん、拝璃にはこれからも勝ち続けて欲しいけど、若越君っていう新しい可能性に出会ったから、賭けてみたいかなぁって思うよ!」


「ちょ…可能性ってそんな…」


若越が何かを察したように、謙遜して言った。


「若越、お前は俺たちにとって可能性でしかないんだぜ?だって、今まで俺の跳躍とか記録で、心動いた奴いないんだから。」


伍代は若越の謙遜を抑制し、桃木と共に期待の眼差しを若越に向けた。


「…とりあえず、来週の記録会だ。若越、あえて俺から目標は与えない。自分で、ここまで跳ぶんだって目標を立てて、それに向かってみな。それがいい。」


伍代はそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、クーリングダウンに向かった。

若越も、伍代を追いかけるように一緒に立ち上がった。




_


1週間後_


呆然と立ち続けていれば、体の水分が蒸発し切ってしまいそうな程、気温の高い東羽瀬陸上競技場。


時折風が強く吹くが、それ以外は跳躍に影響はなさそうなほど、風は吹いていない。


「やっぱ競技場はいいな!やる気がみなぎるぜ!」


荷物を持ち、グラウンドに足を踏み入れた若越と伍代の姿が現れた。


「これが、競技場…」


慣れないコルクボードのような地面。

若越は、競技場内に入ると、その感覚を何度も足を踏み込みながら確認した。


「競技場に足を踏み入れるのも初めてって感じだな。」


伍代は若越のその初々しい姿を見守った。


「俺たちが競技する場所はあそこだ。」


伍代は、競技場の入り口から向かい側の直線ストレートを指差して言った。

そこでは、羽瀬高陸上部の2年生部員が、棒高跳びのピットを作る準備をしていた。


「みんな、ありがとう!今日もよろしくお願いします!」


バックストート奥の、棒高跳びピットに到着した伍代は、そう言うとテキパキと指示を出し、複雑なマットを組み立て、完成させた。


「みんな、ありがとう!」


伍代は記録があり強い選手という事を抜きにしても、人柄はよく人望が厚い。

同級生部員もそれは承知しており、伍代の要求に嫌な顔一つせず応じた。


「…そうだ!今日は初の今年の1年生出場。みんな、応援してやってくれ!」


準備の段階で少し疲れを見せている若越を指しながら、伍代は言った。


「…改めまして、1年、若越 跳哉です!よろしくお願いします!」


若越がそう挨拶すると、頑張れよと言わんばかりの拍手と声援が届いた。

羽瀬高陸上部は、決して最強チームとは言い難いが、良いチームである。


「…さて、準備は整ったし、ウォーミングアップするか!」


伍代と若越は、揃ってウォーミングアップを済ませると、跳躍用スパイクに履き替え、ポールを取り出した。


「いつも練習でやってる通りの流れでやってみるといいよ!少ししたら、ゴムバーかけて跳び始めるから!」


伍代はそう言うと、自分のウォーミングアップに入った。


そこへ、1人の長身の男子選手が大きなポールの入った筒を1人で抱え、現れた。


「おお、江國じゃん。おはよう!今日はよろしくな!」


伍代は彼の姿を見ると、嬉しそうに挨拶をした。

彼こそが、継聖学院附属高の江國 途識えくに としき。その体格は、目の前で見ると179cmよりも大きく見えるほどだ。


「…伍代さん、おはようございます。」


江國は、テンションの低い声で挨拶した。

そんな2人の姿に気づき、若越が近寄る。


「…お、おはようございます!羽瀬高陸上部1年、若越 跳哉です!」


10cm弱程の身長差の若越を、見下ろして江國が言った。


「…若越…」


江國は、その名前に何か覚えのあるような反応を見せたが、慌てて挨拶を返した。


「…継聖学院附属の江國です。よろしく。」


江國はまたも静かにそう言うと、そそくさと荷物を置いてウォーミングアップを始めた。


「…あれが、江國だ。ちょっと無愛想なとこあるけど、多分人見知りなだけだから、心配すんな?」


伍代は江國の塩対応を心配して若越に言った。


(…江國…途識…)


若越は、その名前を脳裏に刻み込むように心の中で復唱した。



棒高跳びの競技時間になり、若越、伍代、江國の3人が審判員の元に集まった。


「それじゃあ、最初の高さを指定したいんだけど…若越君は公認記録持ってないから、彼の高さに合わせよう。どうする?」


審判員が若越にそう聞いた。しかし、初めての若越は自分の高さをしっかり認識していない為、伍代に助けを求めるように顔を向けた。


「…えーっと、2m50cmからでも大丈夫ですか?彼、今日が初めてで…」


伍代は若越の代わりにそう審判員に言った。


「…初めてなんだ!そうか、てっきり若越君っていうから経験者かと思ったよ。それじゃあ、最初は2m50cmからにしようか!伍代君と江國君はどうする?」


審判員は納得し、話を伍代と江國に移した。


「自分は4m40cmからお願いします。」


江國は静かにそう言った。


「あ、自分も4m40cmからでお願いします。」


江國に続けて、伍代もそう答えた。


「それじゃあ、はじめましょう。バーの高さは2m50cmでお願いします。」


審判員が、補助員の学生にそう伝えると

マットの左右に立てられた支柱に、一本のバーが掛けられた。


若越は、自分の越えるバーがセットされた事を確認して、ポールを持ち、助走路にスタンバイした。


「2m50、若越君、1回目。」


そう言うと、審判員は白旗を大きく縦に振った。


(…この前の練習の感じ…)


若越はゆっくりと手にしたポールの先端を上にあげた。

そして、深く息を吸うと


「…行きます!」


一言、大きく叫ぶ。


若越はテンポよく助走を進めた。

踏み切り3歩手前、素早くポールを前に突き出し、その握る手を大きく上に上げた。


バァァン!!


ポールがボックス(※ポールを突き刺す所)に勢いよく突き刺さる音が響き渡った。

若越は推進力に体を任せ、その体を素早く振り上げてバーの上を狙い、体を上げた。


ポールを手放し、バーに当たらないように両腕を大きく上に逃がし、そのバーの上を越えていく。


バフッ!!


若越の体が背中からマットに勢いよく落ちた。

その瞬間、審判員は白旗を上げた。


「よっしゃ!」


真っ先に、伍代が喜びを口にした。


若越は、自分の越えたバーを見上げた。

そのバーは微動だにせず、青空を背景に聳えていた。


(…これが…棒高跳び…!)


若越は喜びが今にも溢れ出しそうなほど、満面の笑みを見せた。


「おおっ!若越君やったね!」


観客席から見守るマネージャーの桃木も、若越のデビューに喜んだ。


マットから降りると、若越はポールを受け取って伍代に駆け寄った。


「…やりました!」


若越は、初めて補助輪なし自転車に乗れた子どものように、今にもはしゃぎ出しそうな様子で伍代に言った。


「やったな!いいデビューだ。」


伍代は若越えの肩に手を当て、その健闘を称えた。


「…だが、まだ終わりじゃない。やれるとこまで思いっきりやってこい!」


そう言うと伍代は、視線で若越に、次の跳躍の高さを審判員に伝えろ。と指示をした。


そこから若越は2m60cm、70cm、80cmと10cmずつ高さを上げていった。


「若越、次は3だ。」


2m80cmの跳躍を終えた若越に、伍代は指を3本立て言った。

伍代の言う通り、3mへとバーの高さを審判員に指定した。

その表情には、少し不安が混じっていた。


若越が助走路に入ろうとする時、伍代が若越を呼び止めた。


「若越、失敗を恐れなくていい。俺の初戦の記録、教えてやるよ。2m50だ!どうだ?それより今のお前は高い記録を持っている。自信を持て。若越には、才能がある!」


伍代の励ましにより、心の不安が払拭されたのか、決意のこもった目で若越が言った。


「…やってみます!」


これまでより大きく息を吸った若越は、ポールを持ち上げると、思いっきり叫んだ。


「行きまぁぁぁっす!」


若越の掛け声により、競技場にいるほとんどの人が、棒高跳びのピットに注目した。


ゆっくりと走り出す若越の助走は、先程よりも軽いステップを踏みつつ、力強く速く進んでいく。


(…空高く…跳ぶんだっ!)


若越は、思いを胸に力強く踏み切った。


「行けぇっ!!若越っ!!」


伍代の思いが、声になり若越に向かって飛び出た。


これまで、練習でも思うようにポールを曲げることができなかった若越が、伍代の跳躍のように綺麗にポールを湾曲させた。


若越は、ポールの湾曲を自覚している様子はなかったが、その体を勢いよく振り上げて、バーに向かって真っ直ぐ突き跳んだ。



_


あたりの景色が、スロー再生のようにゆっくり流れていく。


不恰好ながらも、若越の体は3mのバーの1m50cm程上を跳び越えていた。


「…おいおい、まじかよ…」


若越の跳躍を、助走ピット傍から見つめる伍代は、驚きと喜びが入り混じったような…いや、驚き一色の表情だった。


若越は推定4m50cm程の高さから、マットへ向かって急降下した。

若越自身も何が起こったのか把握できず、呆然としたままマットに背中から落ちた。


今までで1番の衝撃を背中で受けた若越は、自分の越えたバーを見上げ、呆然としていた。


誰もが成功した!と思い、審判員も白旗をあげようとした瞬間…


バァァン!!


若越の頭の数センチ上に、支柱に架けられていたはずのバーが落下していた。


はっ!と我に帰り、若越が上体を起こして背後を確認しようとすると、若越の身体の右側に、若越が使用したポールが勢いよく倒れ込んできた。



「…っぁー!惜しいな…」


伍代は、マットの上で呆然とする若越の姿を見ながら、そう呟いた。


審判員が慌てて、赤旗を勢いよく振り上げ、若越の跳躍は終わった…。



その後、伍代は4m40cm、4m60cm、4m70cmを1発で越え、4m80cmの2回目の跳躍に挑んでいた。



助走路傍で伍代を見守る若越に、4m60cmの記録で跳躍を終えた江國が近づいた。


「…昔、棒高やってた?」


江國の不意の質問に、若越はえっ!と驚いたが、すぐに答えを出した。


「陸上自体、3ヶ月前から始めた。棒高跳びも、伍代先輩が跳んでいるのを見て初めて知ったよ。」


若越の答えに、江國は表情を変えずにいたが、その視線は2回目の跳躍に挑む伍代に向けられていた。


「…2年後、俺は5m55を跳んで日本高校記録でインターハイを優勝する。それが今の目標だ。お前の目標は何だ?」


江國の、静かながら力強い意志を感じる決意に、若越が答えた。


「…そうだね。そしたら、俺はそんな君にとって脅威になる、"ライバル"でありたいかな…なんて。」


若越はどこか不安げにそう答えたが、江國はそれを嘲笑う事なく、真っ直ぐ若越に答えた。


「…絶対に来いよ。俺は自分の記録にしか興味ないし、どんな奴が出てきても打ち負かす。」


江國はそう言うと、荷物のある選手控えのテントの下へと帰っていった。


「…江國君、俺は君に"ライバル"だと思ってもらえるところに、成長してみせるよ。」


そう呟く若越の前を、伍代が勢いよく助走して跳躍した。




全員の試技が終わり、記録は伍代が4m80cmにて1位。江國が4m60cmにて2位。若越は…。



「初回の記録会にして2m80cmなんて大したもんだ!…正直俺はここまで行くと思ってなかったよ。やっぱ、若越には棒高の才能がある!」


ユニフォームからジャージ姿に着替えた伍代が、荷物をまとめながら若越を賞賛した。


「…江國 途識…彼に勝ちたい。」


若越がそう呟くと、伍代は大きく若越の背中を叩いて、嬉しそうな笑顔で言った。


「勝とうぜ!若越!その意志が大事だ。」


「早速、帰って練習しましょう!」


若越は、満面の笑みで伍代に答えた。


「…いやいや、流石に明日からにしようや」


若越と伍代、少し落ちた日が真っ直ぐ2人を照らしていた。




伍代と若越がピットを後にしようとした時、江國が伍代を呼び止めた。


「なんだよ江國。俺に話か?」


江國は、伍代ではなくその先にいる若越を見ながら言った。


「…彼は、あの人の…」


江國の問いを察したかのように、伍代は江國の言葉を遮るように言った。


「…だったらどうなんだ?その血を受け継いでいるかもしれないが、だからと言って必ずあいつが強くなるとも限らない。けど、俺はあいつを、あいつ自身を強くしてみせるよ。」


伍代は、意味深にそう答えると若越と共に帰路についた。





2年後…


『バックストートで行われておりますのは、男子棒高跳び決勝。バーの高さは5m55cm。これを記録すると、高校生男子の日本記録となります。これに挑戦するのは、江國 途識君、継聖学院附属、東京。そして、若越 跳哉君、羽瀬、東京。』


場内アナウンスは、競技場の観客の視線を一斉にバックストートの棒高跳びピットへと集めた。


橙色をメインとし、その胸元に"KEISEI"と書かれたユニフォームを身に纏った江國。


水色をメインとし、白い帯状のラインの入った部分に"羽瀬"と書かれたユニフォームに身を纏った若越。



迷わず、一本のポールを手に取り、ゆっくりと若越が助走路に入った。



ーやっと、誰よりも高い空を跳べるー


若越の姿を、少し後ろから見守る江國…。


ー…まさか、本当にここまで来るとはな…ー


少し向かい風が吹いていたが、若越はポールの先端を高く上にあげて、深く息を吸った。


「行きまぁぁぁっす!!」


若越の掛け声が競技場にゆっくり響き渡ると、勢いよく追い風が吹いた。


力強く右足を踏み入れて、その空へ向かう姿は、まるで雛鳥の巣立ちのように…。



High-/-Quality(短編読切版ー終ー)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

High-/-Quality(短編読切版) hime @hime_write

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ