第1話 初めの一歩
生まれて初めてログインするVR世界は、想像していた以上のリアリティでリーシャの前に広がっていた。
六月の札幌の穏やかな空気。
吸い込まれそうな青空と白い雲。
大地に広がるのは豊かな森林と美しい水を湛えた湖沼。
どこからか木こりの斧の音が響き、人々の気配はあれど喧騒と言うには程遠い。
川には魚を獲っているのであろう人々がおり、弓を手に森へと出入りする人々もいる。
集落の家々は、多くがチセと呼ばれるアイヌの建築様式のものだ。
開拓以前の札幌は、このような姿だったのだろうか、と思わせる風景だ。
そんな中で、リーシャを含むプレイヤーはかなり浮いているだろう。
アイヌ風の衣服や顔立ちのNPCたちの中で、顔立ちも、髪や瞳の色も、衣服や装備品も多岐に渡るのだから。
まあ、その辺りはゲームの快適さを優先しているらしく、プレイヤーがNPCから奇異の目で見られたりはしない。
もっと言えば全世界で同じ通貨を使っているし、単位も現実の国際単位系を使用している。
リーシャ自身にしたところで、プレイヤーアバターの髪は水色に、瞳は瑠璃色になっている。
顔立ちは弄らなかったが、色ぐらいは変えようとランダム設定をしたら、そんな色合いになったのだ。
装備は二メートル程度の槍に、革の鎧。
いわゆる初期装備だ。
中にはコットンらしき素材のインナーを着ており、これはレーティングの関係で絶対に脱ぐことができない。
防御力も耐久値も設定されておらず、ゲームシステム的には無意味だが、破損することも絶対に無い。
刃物で切られた場合などにシステム的なダメージを受けても、インナーにもその下の体にも目に見える形で傷は付かないそうだ。
極めてリアルに作られたゲーム世界だが、そう言ったところではゲームとしての配慮が優先されている。
周囲には多くのプレイヤーがいた。
現実の百万都市とは違い、狩猟採集の小村落に過ぎないこの札幌では、NPCよりも多いだろう。
だが、札幌のプレイヤー数は、かなり少ない方だ。
ゲーム内の日本を舞台にプレイする人々の大多数は本州にいる。
本州の方が難易度が高い分、強力なアイテムなども多い。
北海道はわりと難易度が低いエリアだ。
北海道に限らず、島は比較的難易度が低いらしい。
何でも、開発会社がワールドを生成した際、現在の地球の地形データに各種動物やモンスターを乗せて生態系をシミュレーションしたところ、自然と離島は比較的穏やかな生態系になったんだとか。
なので、ヨーロッパならブリテン島、アメリカならバハマ、インドならスリランカ、といった地点を選ぶのが初心者向けだそうだ。
ただ、島と言ってもどこでも平和なわけではない。
この世界には魔法が存在し、魔法に関わるマナとかいうエネルギーが存在するのだが、大陸プレートの境界はマナが濃いという設定らしい。
そのためプレート境界付近では海でも陸でも強力なモンスターが多く、本州やアイスランド、ニュージーランドは修羅の国といった様相を呈しているそうだ。
特に本州中部のフォッサマグナ大ダンジョンは世界最大クラスのダンジョンであり、三つのプレートが交差する富士に至っては、人類はいまだに近づくこともできていないと聞いている。
そんな敵が強力な設定とバランスを取るためか、本州のNPC社会の戦士、「武士」は非常に強力であり、その武器である日本刀や、日本刀を使用するスキルを求め、世界中からプレイヤーが集まっているんだとか。
日本人はもちろん、サムライ、ニンジャが大好きな外国人も大喜びでプレイしているそうだ。
本州がそのような状態なので、北海道は危険度の低さと豊かな自然があいまって、エンジョイ勢のリゾート地のような状態だ。
確かにゲーム内でスローライフを過ごすのであれば、最高の環境だろう、と納得できる景色だった。
そんな北海道でプレイを始めたいプレイヤーは、全て札幌からスタートしなければならない。
このゲームでは多くの初期地点からプレイを開始できるが、さすがにどこからでもできるわけではない。
北海道で選択可能な初期地点は、札幌しかない。
札幌を選択するプレイヤーは、大別して二通りだ。
一つは難易度の低い北海道である程度レベルを上げてから、本州に移動して攻略に参加する者。
もう一つは札幌周辺に留まり、スローライフをエンジョイする者。
今、リーシャの周囲にいるプレイヤーたちも、そんな初心者かエンジョイ勢なのだろう。
見た目こそ様々だが、のんびりとした空気が共通している。
かく言うリーシャも、初心者かつエンジョイ勢と言えばエンジョイ勢だ。
もっとも、周囲にいるプレイヤーとはエンジョイの仕方がだいぶ異なるだろうが。
『野生のシャチと遊びたい!』
それだけの動機で、リーシャはこのゲームを始めたのだ。
シャチがこの世界に存在していることは確認されているらしい。
現実の方でも、シャチはほぼ全世界の海に生息していている。
この世界にはメガロドンやモササウルスと言った古生物も存在しているため、現実よりは生息域が限られているかもしれない。
あるいは、狩猟方法の違いから獲物が違うため、上手いこと棲み分けをしているか。
棲み分けをしているとしたら、アフリカのサバンナのようなイメージだろうか。
ライオンとチーターとヒョウが、同じエリアで争うことなく共存しているような。
想像するだけでワクワクしてくる。
古生物はあまり詳しくないが、首長竜や魚竜もいて、空に翼竜が飛んでいたら完璧だ。
もしかして、海底にはハルキゲニアとかもいたりするんだろうか。
ファンタジー生物もいるらしいから、海棲のドラゴンとか、火山島に営巣するドラゴンとかもいるのかもしれない。
SNSなどで調べた範囲では、イタリアのヴェスヴィオ火山に真っ赤なドラゴンが生息しているのは確認されているらしい。
期待に胸が膨らむ。
物理的にはそんなに膨らんでいない胸だが。
「さあ、行こうか!」
初期資金を使い、札幌のショップで準備を整えたリーシャは歩き出す。
目的地は遥か東。
シャチと言えば、知床だ。
シャチと征く海 長月 史 @kiriha34
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