「起きて、頭が痛くって」


 目覚めは最悪だった。

 まぶたを開くと、頭のなかがじくじくと痛み、身体中が気怠くて、思わず僕は顔を顰めてしまう。


 僕がまず感じたのは、どうしようもない罪悪感だった。

 あぁ……やってしまった。


 昨夜は窓を開けて寝たから、すでに部屋の中は太陽の光で蒸し暑くって、頭が沸騰してしまいそうだった。


 夜ふかしをしてしまった。それも昨日昼寝した分、たっぷりと。

 今日は。浴衣を買いにいって、髪を切りにいくって、

 母さんと明美と約束したのに……

 まったく僕は、何をやってるんだっ……


 歯をぐっと噛み締めたけれど、身体に力が入らなかった。

 まるで昨日の魔法がとけたみたいに、僕の両足はまるで自分の足じゃないみたく、ぴくりとも動いては暮れなかった。


 これは……まるで筋肉痛だ。

 股間節から太もも、足首までの筋肉が焼けるように熱い。

 僕はひとつ思い当たる節があった。

 昨日の散歩である。

 昨日は久しぶりに外を歩いたから、その疲れで昨日の午後は爆睡したし、今となって筋肉痛で動けなくなっているのではないかって。


 健康のためとか、元気になるためだと思っていた昨日の散歩が、今は酷く恨めしかった。

 ……なんで、僕はあんな数分の散歩で、立ち上がれなくなるほどの筋肉痛になっているっていうのか?

 ……ばかか、ふざけんなよっ。こんな身体で、どうすれば良いって言うんだよ。

 悔しくて、惨めで、自分に苛立って僕は泣いてしまった。

 

 だめだ……こんな僕じゃ、髪を切りになんていけない。

 買い物になんて行けるはず無いんだ。無理だよ……


 僕は完全に心が折れてしまった。

 不甲斐ない自分がどうしようもなく憎らしくて、大嫌いで、殺してやりたいと強く思う。


「……あぁ、ダメだ。自殺だけはダメなんだ。

 ぜったい、ぜったい……だめなんだ……」


 僕はかろうじて、自分の洗脳するみたいに自殺はダメだと呟き続けた。

 そう言い聞かせていないと、また頭がおかしくなってしまいそうだった。

 お母さんのことも、明美のことも……今は誰のことも考えたくなかった。

 二人のことを考えると、どうしても自分の不甲斐なさに目を向けなくちゃいけなくなるから……


「……千夏……」


 僕は、死んだ幼馴染の名前を呼んだ。


「なぁ、千夏……どうしたら良いんだろうなぁ……?」


 天井に手を伸ばして、天国の彼女に問いかけてみても、聞こえた来るのはジンジンとしたセミの声ばかり……


「……生きるのって、辛いことばっかりだよな。……どうしてだろう? お母さんは僕のことを、たくさん愛してくれてるのにな……」


 僕はぎゅっと目を瞑って、あの崖の上の夜空の下、再会した千夏の姿を頭のなかに思い描いていた。

 世界中の不幸や絶望を背負ったような痛々しい白いドレスの彼女は、まるで幽霊みたいに美しくって、

 漆黒に染まった瞳から、溢れ出す涙の鈍い輝きは、息を飲むほどに美しかった。

 やっぱり僕は、あの幽霊みたいな千夏を忘れることができなかた。


 重力が加速する中で、君は僕に向かって崖を飛んだ。

 君は僕に抱きついて、抱き寄せて、

 まるで僕を助けるみたいに、自分が下に入れ替わって、

 ぶつかるようにキスをした。

 夢の中のような断片的な記憶だけど、触れ合った唇の感触だけは、今でも鮮明に覚えていた。

 君の唇は、凍えるみたいに冷たくって。

 僕には君の体温がまるでないように感じられた。

 幽霊みたいなひんやりとした冷たさに。

 僕は地面とぶつかる間際、僕は鳥肌が立つほどゾッとした。

 その感情が恐怖なのか愛なのかは、今となっても判断がつかないけれど……


「……愛してるよ。千夏…… 先に死んでいった君が、僕にはどうしようもなく羨ましいよ……」


 思わず漏れてしまった弱音。

 言ってしまった途端、僕はハッと我に返った。


「何言ってるんだよ僕は、千夏が命を助けてくれたんだろうが……千夏のぶんまで幸せに生きるんだって、誓っただろうが……」


 たぶん、今の僕は、ひどく病んでいるのだと思う。

 考えても考えても悲観的な想像しか浮かんで来ない。

 僕は、枕元のスマートフォンへと目を向けた。

 そして飲み込まれるように画面を開いた。


 11:04


 午前11時4分。僕は心がギュッと痛くなった。

 あぁ、どうしよう。母さんや明美との約束、守れそうにないや……

 僕は視線を下に移した。

 そこには、普段見慣れない通知があった。


[七河明美から新着メッセージがあります]


「……明美……」


 昨日の約束のことを考えると、僕は死にたくなって仕方がなかった。

 内容を確認するのが怖かったけれど、好奇心には抗えない。

 僕は息を飲みこんで、通知を開いた。


『頑張れ! 応援しとるよ!』


 それは明美からの応援のメッセージだった。

 よく知らないゆるキャラのスタンプを添えて、僕に向けた応援のメッセージだった。

 着信日時は、朝の7時過ぎ。

 僕が眠りについた三時間後ということになる。


 僕は、嬉しい気持ちと同時に、心が痛くてたまらなかった。

 女の子から頑張れって応援されるのは、素直に嬉しかった。そんな経験ずいぶんと久しぶりのような気がする。

 でも、今の僕じゃ、明美の期待には答えられない。

 僕は少しの散歩でくたばる雑魚なのだ。こんな人間に何ができる。

 僕はスマホを我慢できず夜ふかししてしまう雑魚なのだ。こんな人間に何ができる……


 悔しい……

 頑張れって言われて頑張れる人間が、僕はひどく羨ましく思える。

 女の子に声援を送られてそれをパワーに変えられるのは凄い奴らだ。

 僕はだめだ。今は皆の応援や期待がひどく痛いんだ。

 お母さんからの優しさも、明美からの優しさも、僕にとっては酷く痛くて苦しんでしまうことがある。


 どうせ僕は、ダメ人間なんだって、だからどうか期待しないでくれ優しくしないでくれって、思ってしまうときがある。


 頑張ろうと思っても、筋肉痛か何かで身体が動かないんだ。

 だから、もう仕方がないよね。

 僕は起きる気力も沸かなくって、熱い部屋でヘッドホンを付けて、

 そのまま昨日のyoutu◯uの続きを見はじめてしまったのだ。




 トイレがどうしても我慢できなくなって、布団に漏らすわけにはいかず、僕はなんとか歯を食いしばって布団から起き上がった。

 立ち上がると貧血みたいに、全身がふらふらしておぼつかなかった。

 ついでに窓を閉めて、エアコンを付ける。

 そのままフラフラと、僕は自室の扉を開けた。



 トイレから返ってくると、扉の横にはいつものように、お母さんの作ってくれた朝ご飯があった。

 しかし今日はそれだけじゃなくて、書類の入ったクリアファイルが一緒にまとめて置かれていたのだった。

 クリアファイルの中に、まず目に入ったのは、


[無理は禁物。辛かったら行かなくてもいい。休んでもいい]


 そんな風に手書きで書かれた文字だった。


「母さん……」


 心のどこかがふっと軽くなったような気がして、僕は今日はじめてちゃんと息を吸い込めたように思えた。


 朝ご飯とともに、クリアファイルを室内に持って入った。

 エアコンの風量を最大にしたお陰で、室内は既にそこそこ涼しかった。


 クリアファイルのなかには、近所の服屋さんの位置、散髪屋さんの位置、そして受付の手順などが丁寧に手書きで書かれていた。


 母さん……これを全部僕のために……


 ふぅぅと僕は、ため息をついた。

 ヘッドホンをつけて、youtu◯uでVtub◯rの動画を流しながら、冷めた朝ご飯に口を付けていた。


 書類の最後の一枚には、母さんが長文で、「頑張りすぎるのはよくない。しんどかったら休みなさい」という内容の手紙が書かれていた。


「だめだ。しんどい」


 ご飯を食べても、身体のダルさは消えてはくれなかった。

 身体を起こしているだけでもしんどいのだ。

 じわじわと体力が削られていく感覚、いわゆるスリップダメージである。


 エアコンで涼しくなって、少しはマシになったけれど、


(休もう……)


 そして僕は、また布団のなかに身を投げ出した。

 寝転がれば、だいぶ身体は楽になる。

 それでも、少しはしんどいけれど。


(どうしよう……髪を切りにいったり、浴衣を書いにいく約束は……)


 どうしても僕は考えてしまうのだ。

 考えたってどうしようもないのに。

 どうせ今は身体が動かない。

 悩んだって悩まなくたって、いま家の外に出るなんて不可能だ。


(でも、もし頑張れば……血反吐を吐く思いで力を振り絞れば、行けるかもしれないじゃないか……)


 そんな事を、どうしても考えてします。


(自分が、怠け者なんじゃないか)


(休んでいるのは甘えなんじゃないか)


 というような、自分の傷つける思考が、次か次へと沸き起こる。


 僕はそんなネガティブ思考から少しでも逃げだしたくて、面白そうな動画やアニメを片っ端から開いて視聴していた。


 僕はそんな僕が、やはりどうしようもなく殺したくてしかたがなかった。


 

 


 

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