エンタメ禁止生活一日目の手記
ということで始まりました。いえぇぇぇい。エンタメ&読書&Twitter&執筆、すべて禁止の一週間です。
これをはじめた経緯というのがありまして。クラ転マスタの第二部がどうしても思いつかなかったんですよね。 そしてハイ。これが私なりのカンヅメです。
「飢えたライオン理論」というものがありましてね。これは私の命名なのですが、ライオンを餌のなり檻に閉じ込めると飢え死にます。しかし、人間を物語のない檻に閉じ込めると、なんと物語を作り始めるんですねぇ!
そもそも物語の起源というのは、むかしむかし洞窟に穴を掘って暮らしていた時代に遡ります。
思考力が発達した人間は、目の前の危機以外のこと、たとえば空から槍が降って来ないだろうか? とか、宇宙人がせめて来ないか? とか、いろんなことを考えて、不安に思うわけです。その不安に対して、何かしら解釈して安心したいのが人間というもの。
だから、死んだら天国に行けるとか、悪人はちゃんと地獄に落とされるだとか、神様の存在や精霊の存在、幽霊の存在、たくさんのものを編み出したんですねぇ。
けっきょく、不安に対して何か解釈をして安心したかった。というのが物語の起源であります。
孤独や寂しさを感じると、人間は物語を欲します。
だから人は小説を読む、アニメを見る、映画を見に行く、音楽を聞く。
ひとは本質的に寂しさに耐えられないから、自分の悩みとか葛藤に安心できなくなって物語を欲するのです。
現代社会は物語に溢れていますから、物語なんてものは求めればいくらでも手に入ります。
しかしもし、あなたが無人島にいて、物語が一つもなかったら。
不思議なことに、人は物語を作り始めるのです。
妻や子供はきっと元気にしているだろう。とか、きっと救助が来てくれるに違いない、とか。
これは自力で無人島から脱出するリアルサバイバル映画だとか。
自分のどうしようもない不安を解消するために、人は物語を作らざるをえません。
だから、どうしても物語が思いつかなくなったら、
まずはたくさん物語を浴びること、できれば面白くなってきた最高の盛り上がりの所で、読むのを中断するのが良いかもしれません。
気になった物語をたくさん抱えた状態で、一週間本禁止、活字を読むことを禁止します。
小説は書いてもいいですが、期間中にネットにアップするのはNGです。
完全に情報を絶ち、世間の物語から身を離すのです。
そして、フラストレーションをノートに書きなぐりましょう。こんな風に。
きっと一日もしないうちに、文章が書きたくて書きたくて堪らなくなるはずです。
絵描きの人は絵を描いても構いません。ですが本に描いてあるイラストや液晶で調べた画像を見るのは駄目です。
そとを散歩して現実世界からモチーフを探すか、想像で書くくらいがオススメです。
これは何をしているのかというと、ドジョウを料理する前に泥を吐かせる工程に近いですね。
ドジョウというのは水の底の汚い泥を吸って過ごしているので、捕まえたばかりのときはお腹のなかは泥でいっぱいなのですね。とても食べられたものではありません。
それを綺麗な水槽で何日か泳がせることで、お腹の中の泥を吐かせるのです。
話しを戻して人間の場合に適用すると、現代社会の人間は大量のエンタメの泥流のなかで毎日を過ごしています。それはまるで泥水のよう。たくさんのエンタメを吸い込みすぎているのです。
だからエンタメのない世界にいって、お腹のなかの泥を吐いてみましょうというのが、ここでいうノートを書きなぐってみましょうということです。
「あぁ早くあの小説の続きが読みたい」とか、「明日から月曜日ガチ最悪」とか、なんでも書いて構いません。
大切なのは、手書きで少なくとも1ページを一気に書き上げることです。
途中で少しトイレに行きたくなっても、「あぁトイレに行きたいなぁ」と書きましょう。
途中で料理をしたくなっても「あぁ料理がしたいなぁ」と書くのです。
途中で面倒くさくなって書くことがなくても「あぁもう書くことない。書くことない。面倒くさいって」と書きましょう。
もちろん、できる限り一息で書きましょうという意味です。限度もあります。
緊急地震速報が流れて来たり、家に強盗が入ってきたり、膀胱が破裂しそうなほど尿意が来た場合にはそちらを優先してくださいね!
私はその危険の責任は負いませんよ。
さーて。書いていくのですが。
今日はこれからどうしようかな。
無印良品で買いたいものがあるのです。行って来ようかな?
こうやって思いきった挑戦をするのは、結局うまくいかないかもしれない、良いアイデアは浮かばないかもしれないけれど……
きっと必ず、なにかしら財産や学びを得る結果となるだろう。
だから、最適解を求めるな。
失敗しそうな挑戦をしろ! とべ!
失敗したって大成功。成功なら大大大成功だ!!