居候

惣山沙樹

居候

 エアコンが壊れて修理まで一ヶ月かかるのでその間泊めてくれとギャルがきた。

 ギャルというのはあだ名だ。本名は田中だったか鈴木だったか、ありふれた苗字だったと思う。いにしえの黒ギャルのように浅黒い肌に長い金髪をしているのでそう呼ばれている男だ。

 ギャルとは日商簿記二級を取りたいがために入った簿記サークルで知り合い、そちらにはもう顔を出さなくなったのだが、なんとなく仲が続いていて今大学三年目。


「ありがとうなぁ粕谷かすやくん。君にしか頼めへんと思って」


 そう言ってギャルは自分のスペースだと定めたらしいソファにあぐらをかいてリュックサックの中身を取り出し始めた。着替え。充電ケーブル。歯ブラシ。ワイヤレスイヤホン。


「……まあ、昼間は僕バイトやから。これ合鍵な。出入りは自由にしてもろたらええよ。タバコはベランダでな」

「ほんまありがとう」


 夏休みはエナジードリンク「テラブースト」を街頭やらキャンプ場やらで配るバイトをすることに決めていた。このクソ暑い季節に屋外での労働だが配るだけだ、愛想は最低限でいいし難しいことを覚える必要もない。体力だけあればなんとかなるだろう。

 ギャルは料理には自信があると言い出して夕飯作りを申し出てきた。居候させる分の対価だと思えば丁度いいのだが、あいにく僕は自炊をまるでせず調理器具がこの部屋には存在しない。

 キッチンの戸棚を見せ、すっからかんであることを証明すると、ギャルは自分の部屋からフライパンなり何なりを持ってきた。

 嫌いな食べ物を聞かれ、ネバネバ系、納豆オクラ山芋がダメだと話すと、それは避けると言って今度はスーパーに出かけていった。

 初めてギャルが作ってくれたのはオムライスだった。ふんわりやわらかな玉子に甘いケチャップライス。自信があるというのは本当だったらしい。


「……めっちゃ美味い」

「よかったぁ。こんなんやったらなんぼでも作るでぇ」


 食後にギャルとベランダでタバコを吸った。今夜も熱帯夜。男二人のむさ苦しい生活が幕を開けたわけだが悪い気はしていなかった。ギャルなんていう名前も見かけだけで内面はそこまで陽キャじゃないことは知っていたしそれだからこそ今回のお願いを受け入れてやったのだ。

 シャワーは僕が先に浴びて次にギャルが終わるのをベッドの上でぼんやり待った。あの長髪だから洗髪には時間がかかるらしい。ずいぶん経ってから出てきた。


「ギャル、明日早いから僕もう寝たいんやけど」

「おっけー。家主の都合に合わすで」


 ギャルが髪を乾かす時間だけは与えてやって電気を消した。ギャルの方がすぐにソファで寝息をたてだし、その規則正しい音を子守唄代わりにして僕も寝た。

 翌日からはひたすらテラブースト配りだ。支給されたTシャツを着てキャップをかぶり横断歩道の前で通行人に差し出した。日給とは別にテラブーストを持ち帰ってもいいことになっていて僕はギャルの分と合わせて二本貰ってきた。


「粕谷くん、おかえりぃ」

「……ただいま?」


 二人でテラブーストで喉を潤し美味いメシを食う。そんな日々が二週間続いてギャルが居ることが当然になってきて、僕は言わなくてもいい過去の話を話すようになったしギャルも適度な相槌を打ちながらそれを聞いてくれていた。


「僕、一浪して入ったって説明したやん。あれ、ちょっとだけ嘘。高校の出席日数足りんくて四年通った」

「……そうかぁ」

「まあ……しょうもないイジメやったで。今となってはそう思える」

「辛かったんやん?」

「それなりにはな」


 逆にギャルの事情は聞かなかった。何一つ。僕はギャルの家族構成も友人や恋人付き合いも何もかも知らずにいたしそれでいいと思っていた。

 ギャルに興味がなかったわけではない。その逆だ。しかし、踏み込むことで今のバランスが崩れてしまうことを僕はおそれていた。

 とにもかくにも僕を頼ってくれて料理を作ってくれて話を聞いてくれる存在。それだけで十分だった。この夏が終わり、大学を卒業し、就職すればどうなるかわからない仲だ。

 それは、予防線と言えるものだった。

 テラブーストのバイトが一段落つき休みになった。ギャルが何か夏らしいことをしたいと言ってきたので僕は案を出した。


「海」

「遠い」

「山」

「虫嫌い」

「プール」

「人多い」

「スイカ」

「そんなに好きやない」

「風鈴」

「うるさい」

「もう、何がええねんな」


 僕はベッド、ギャルはソファに寝そべり、互いの顔も見ずにそんなやり取りをしていた。あっとギャルが声をあげたので僕は身を起こしてギャルのにやけヅラを確認した。


「かき氷! かき氷しようなぁ! 俺、買ってくる!」


 そう言うが早いかギャルは電動かき氷機を買ってきた。イチゴにブドウに宇治抹茶のシロップも一緒だ。まずは氷を作らなければならないので専用の容器に水を入れて待つことになった。


「粕谷くん、何して待つ? なぁなぁ何する?」

「昼寝」

「……さよかぁ」


 連日の外仕事で疲労が蓄積していた。ギャルほどではないが日焼けもしたと思う。ベッドに横たわり目を閉じると蝉の大合唱、それにギャルの猫なで声。


「なぁなぁ……俺眠くないし一方的に話してええ?」

「作り話に限る」

「よっしゃ任せとけ」


 この辺りで打ち明け話をされるのはたまらなかったのでそういう言い方をした。ギャルが語り出したのはよくある怪談話、肝試しに出かけた大学生が酷い目に遭うやつだった。

 何でも、ギャルの地元では有名な遊園地の廃墟があるらしく、そこに五人で行ったら次々と怪奇現象が起きて慌てて逃げ帰り、ファミレスに避難したら六人になっていたが誰がその増えた六人目なのかわからず仕舞い、というネットに流れているようなものをツギハギしたようなシロモノだったが、ギャルの語り方が案外上手かったので最後まで聞いてしまった。


「……おもろいやん」

「でな、粕谷くん、俺がその六人目」

「そのオチはおもろない」


 それきりギャルは黙りこくってしまったので僕は意識を手放した。夢に見たのはテラブースト。魂にブーストをかけろ。夏季限定トロピカルフレーバー。音楽に疎いのでそれがレゲエなのかはよくわからないがともかくレゲエっぽいズンチャッチャしたリズムに合わせて配る僕。受け取る人。配る僕。受け取る人。


「……はぁ、はぁ、はぁ」


 ぐっしょり汗をかいて目を開けるとギャルが僕の顔を覗き込んでいた。


「粕谷くん、大丈夫かぁ? うなされとったけど」

「……夢の中でもバイトしてた」

「よっぽどやな。氷そろそろできたで。食おう食おう」


 かき氷作りはギャルに任せた。円柱状の氷をセットしスイッチオン。シュリシュリと軽快な音がしてふんわり綿みたいなものが削り出された。それなりに「ええやつ」をギャルは買ってきたらしい。

 僕はイチゴ、ギャルはブドウを選んだ。シロップをかけると山の形は一気に崩れてドロドロ。かけすぎたかなと思ってギャルの方を見たら同じ事態になっていた。

 見た目はともかくかき氷はかき氷だ。スプーンですくって口に放り込む。一口目でアレがきた。頭キーン。氷は噛む暇もなく舌の上で溶けて甘さだけが残り、僕は次から次へと涼を求めて無言で食い尽くした。


「ギャル、美味かったな」

「毎日食おう。機械使わなもったいない。減価償却」

「それは意味違わへんか?」


 まあ確かにせっかく買ったので僕とギャルは毎日かき氷を食べた。味のネタが尽きてきてテラブーストをぶっかけてみたらこれが絶品。それしか食べなくなった。

 テラブースト配りのバイトが終わってそれなりの給料を貰い、すっかり浮かれた僕は高い肉を買ってきた。それをギャルに見せると奴はにぱぁと笑った。

 ギャルはステーキを作ってくれた。どういう方法でやると家庭用のフライパンでも焦がさないでキッチリ火を通せるのかとつらつら説明されたがすぐ忘れた。肉汁あふれるステーキに食らいつきそれだけでも満足だったのだがギャルはガーリックライスまで作ってくれてすっかり腹も気持ちも膨れた。


「なぁ、ギャル。そろそろエアコン直るんと違うの?」


 ギャルが来てから一ヶ月が経っていたので、ベランダでタバコを吸いながらそう聞いた。


「ああ、アレなぁ。エアコンなぁ。アレなぁ。嘘やねん」

「……はっ?」


 ギャルは薄く煙を吐き出した後白状しはじめた。


「うん……その。粕谷くんとの思い出作りたくて」

「なんやそれ」

「えっ、気付かんかった? 全く? 一切? これっぽっちも?」

「だからなんやねん」

「えっとさぁ……俺さぁ……粕谷くんのこと好きやねん」


 僕はぱちくりと瞬きをしてギャルの下がった眉を見つめた。多分冗談じゃないだろうしこちらもふざけて返すわけにはいかないし、けれど何を言うのが正解なのかわからなくてとりあえず自分のタバコの火を消した。


「ごめん……粕谷くん、迷惑やったよなぁ」

「いや……そんなことあらへんよ。びっくりしただけ」


 僕がギャルの嘘に怒っていたのであれば今すぐ出ていけとケツを蹴っ飛ばしただろうが、そういう気にならないということはどういうことなのだろう。僕は思い浮かんだ単語をぽつぽつと口に出してみることにした。


「悪くなかった。ギャルとの生活」

「うん」

「メシ、美味かったし」

「うん」

「話、聞いてくれたし」

「うん」

「だから……なんなんやろ。僕もようわからへんよ」


 一旦物理的に冷やそうか。


「ギャル、かき氷食おう」

「ええで」


 部屋に戻ってテラブーストかき氷を食べた。あんな告白の後なのでギャルも静かだ。僕が思い返していたのはギャルとのこれまでの一ヶ月間で、毎日毎日僕のためにメシを作ってくれたのはすなわちそういう感情からくる奉仕心だったと結びつければ納得がいき、そこまで到達すると気恥ずかしくなってきた。


「なぁ、ギャル」

「うん……」

「いつから好きやったん、僕のこと」

「一回生の時から」

「えっマジかよそこから三年間?」


 ギャルが巧妙に隠していたのか僕が鈍感だったのかその両方か。


「嘘ついてごめんな。ほんまの気持ち言わんと卒業してもよかってんけど……言うてしもた」


 そんな捨てられた猫みたいな顔をするな。拾うか放っておくかの選択肢を迫ってくるな。僕は、僕は、僕は、お前に対する気持ちをどのカテゴリに振り分ければいいのか皆目見当がつかないんだから。


「なぁギャル。もうちょっとだけ、うちおってもええよ」

「……ええの?」

「ギャルの話、ちゃんと聞きたい。僕が答え出すのはそれからでもええやろ」


 この夏をなかったことになどはしたくはない、それだけは確かだったから、僕はまずギャルの本名をきちんと聞くことから始めようと思って口を開いた。




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居候 惣山沙樹 @saki-souyama

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