第4話 残響のEBS
★
俺は真子さんを探した。
自分でも可笑しくなるぐらい街中を駆けずり回った。繁華街から住宅街、橋の下から外国人街までも。でも真子さんは見つからなかった。あんなに情熱を燃やした情報発信についてもやる気が起きず、ここ数日はろくに情報収集もやっていない。
美しい人が消えた。
彼女は役割を終えて、俺の元から去っていった。彼女にとって俺はただの警護対象でしかなく、仕事上の付き合いでしかなかったのだ。それは頭では解っている。だが、心が受け入れようとしない。どれ程まで彼女を好きだったのか、失ってやっと気がついた。過去に何度も恋愛を経験してきたが、これほどの気持ちになったのは初めてのことだった。
やがて、俺はボロボロになった。嫌いだった酒を無理に呑むようになり、生活サイクルも滅茶苦茶になる。朝眠って夕方に目が覚めることもしばしばあった。気がつけば、7月も終わりに差し掛かっていた。
二日酔いで吐きそうな身体を引きずるようにして、俺は満員電車に乗った。行き先なんて何処でも良かった。
なんとなく乗り継いで電車を降りると、そこは代々木駅だった。別にアニメ制作には興味はないのだが、俺は駅を出て、風が吹く方へと歩いていった。
辿り着いたのは代々木体育館だった。
「健康優良児に混ざって爽やかな汗を流せってのかよ」
乾いた自嘲を口にする。広々とした体育館前を行き交う人々は鬱陶しい程に健康的であり、クソ熱い中、爽やかな笑顔を浮かべていやがる。すると益々惨めになって、俺は思い切り息を吸い込んだ。
「真子さあああああん!」
馬鹿みたいに声を張り上げる。我ながら、見事な狂人っぷりだ。
「はい」
背後から声がする。
あり得ない。感じながら、困惑混じりで振り返る。そこには、スーツ姿の真子さんがいた。
「え。なんで? なんでここに?」
「あ、その、仕事で……はい」
と、真子さんは微笑する。
つい、涙が込み上げて溢れそうになる。それを押し込めて、俺は静かに真子さんへと歩み寄った。
「ねえ真子さん、知ってる? ネット工作員って奴は、大抵二人一組なんだよ。あいつら口が達者な癖に、二人がかりでも劣勢になると、更に仲間を呼んで来やがるんだ」
「そうなの? それは良いことを聞いたわ。情報工作課の仲間に教えてあげないと」
真子さんも、少し寂しげな顔で歩み寄る。
もう、他に言うべき事なんてなかった。
「真子さん。好きだ。大好きです。俺と付き合ってよ」
縋り付くように言う。真子さんは少し困ったような顔で、ペコリと頭を下げる。
「ごめんなさい。貴方の気持ちには答えられません」
「そっか。そうだよね。俺、無職だし。フラれて当然だよね」
「そうじゃないの」
真子さんは両手で俺の頬っぺたを包む。
「私には、どうしても忘れられない人がいます。その人のことが、今でも大好きなんです」
そう言った真子さんもまた、薄く涙を浮かべていた。それで充分だった。
「そう。そうなんだね。いいんだ。ちゃんとフってくれてありがとう」
俺はポツリと言い、それから暫く、真子さんと肩を並べて歩いた。
「これからどうするの?」
真子さんが問う。
「やりたいようにやるよ。うん。思い切りね。だからここでお別れだ」
そう言った俺の心は、もう、靄が晴れてスッキリしていていた。真子さんもちょっぴり寂しげな微笑を浮かべ、俺の耳元に口を寄せる。
「最後だから、ひとつだけとっておきの情報を教えてあげる。世界は変わる。貴方はね、これからこの国にとって、とても重要な仕事をするの。私たちはそれを知ってる。だからこそ、守らねばならなかった」
「それって、ルッキンググラスの情報?」
「秘密よ? ルッキンググラスはね、最初は悪い人たちが使っていたの。でも、私たちの組織が奪取した。アメリカ大統領の暗殺が失敗したのもそのせいよ。もう、悪い人たちは未来を予知出来ない。黄色いキャラクターが出てくるプロパガンダアニメの予言も、ストリクスカードの予言も、もう当たることはない。世界線は明るい方へと分岐した。貴方のおかげなの。悪い人たちはルッキンググラスを失ったことを秘密にしたかったのに、貴方がルッキンググラスについて暴露しまくったでしょ? お陰で、悪い人たちがルッキンググラスを奪われた事が、裏の世界で広まったの。ルッキンググラスがあるからこそ悪い人たちを支持していた勢力がどんどん離れていって、彼らはとても焦った。そして、無理をしてアメリカ大統領の暗殺へと踏み切った。でも、それさえも失敗した。これで悪い人たちには本当に王手がかかったわ。本当に、貴方の功績は大きいの。それだけじゃない。貴方は未来でもっともっと大きなことを成し遂げる。誰もが貴方に敬意を払うようになる。貴方のことよ。貴方は自分の可能性を信じていいの。貴方の未来は光り輝いている。本当よ」
言い終わる時、何故か真子さんは泣いていた。今、この瞬間についての涙なのか、ルッキンググラスから得た未来の情報に関する涙なのかは分からない。
こうして、俺たちは軽く抱きしめ合って、互いに背を向けて歩き出す。
「もう一つだけ」
真子さんの声に振り返る。
「あのね、もう、明日なの」
「明日って、何が?」
「詳しくは言えない。でも覚えておいて。明日は、あまり遠くには出かけないで。十日分以上の食料を用意して、現金もなるべく下ろしておいて」
「それって、もしかすると銀行が機能を停止するってこと?」
「だから詳しくは言えない。でも、世界は真実を知る。私たちは勝った。勝ったのよ。貴方は戦いに勝ったの! 全てのテレビ、ラジオ、携帯端末。全世界同時よ。世界は変わる。貴方の端末が鳴ったら、必ず五時間以内にアパートに戻ってね。ローマよ。もう明日。明日なの。忘れないで!」
真子さんが叫びながら手を振る。これまで見た、どんな真子さんよりも素敵な笑顔だった。
★
翌日、俺は真子さんに言われた通りに食料を買い込んで、少し多めに現金も下ろしておいた。でも、丸一日待ってみても、それらしいことは起こらなかった。
何かトラブルがあって、光の勢力の計画が阻害されたのか?
そう思って調べてみたら、太陽フレアが原因で、世界中で停電が発生していることが分かった。もしかしたら、太陽フレアの電磁パルスか何かが、計画を遅らせたのか?
それからまた数日後、大好きなコーヒーが切れていることに気がついた。時計の針は朝の一○時を回ったばかりだった。
俺はアパートを出て、スーパーへと向かった。スーパーは人でごった返していた。真子さんの話によると、どうやらこの先、俺は何か大きなことをするらしい。今は想像もできないが、今はただ、これから始まる世紀のショーを待とう。
食料品売り場で目当てのコーヒーを見つけ、お菓子と共に購入する。そして店を出た瞬間、それは起こった。
俺の携帯端末が、否、道を行き交う全ての人の端末が鳴りだしたのだ。皆、突然の警報に驚いて、端末の画面に眉を顰めている。
ついに来た。でも、何故今日になって?
素朴な疑問を胸に、端末の日付けに眼をやった瞬間、真子さんの言葉が蘇る。
『──ローマよ』
そうか。あの時は意味が分からなかったけど、そういうことか。グレゴリオ歴じゃない。ユリウス歴の〝明日〟だったのか!
全てを理解して、顔を上げる。
さあ、ショーの始まりだ。歴史が変わる。急いで帰らねば!
高鳴る鼓動を押し込めて、俺は商店街の一本道を駆け出した。
はじまり。
陰謀のルッキンググラス 真田宗治 @bokusatukun
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