蛹 〜彼は女の体を求められた〜
橘スミレ
男は語る
こんにちは。
君が私の話を聞きたいという物好きですか。そのためにわざわざこんなところまで来たのですね。変わってますね。私も人のことは言えませんが。
本当はお茶でもお出ししたいところなんですが、あいにくこんなところですから。時間もないしさっそく本題に移りましょう。
私は小さいころから弱虫でした。
小学校一年生になってもよく転んでは膝を擦りむいて泣き、怖い絵本を読めば昼間でもトイレに行けなくなるような子供でした。
親にはよくみっともない、くよくよするなと怒鳴られていました。
今となっては懐かしい思い出の一つですが、当時はそれが顔から火が出そうなくらい恥ずかしくてたまりませんでした。悔しくて、惨めで、辛かったです。
でも私は幸せな人間です。
良き友人に恵まれました。泣いているときには大丈夫かと手を差し伸べてくれ、トイレに行くのを怖がっていたら一緒についてきてくれる優しい友人です。
彼は運動神経がよくドッジボールではいつも大活躍、勉強もそれなりにできて、ムードメーカでクラスの人気者。そんな良い小学生でした。人が困っていれば手を貸せるほどの余裕と優しさを持った人でした。
彼は常に強くなりたいと言っていました。
昔一度だけテレビでみた戦隊のヒーローに憧れ、強くなりたいと思ったそうです。親の方針でヒーローを見たのは一度だけ、それ以外のときはヒーローに触れることは禁止され、魔法少女やアイドルのアニメを見させられたと言います。
またズボンを履くことも禁止されていました。社会で女らしいとされる身なりや行動を強要されていました。ですが私たちはまだ性別も常識もない小学生。彼はスカートの方が動きやすいやと言って下着が見えるのも気にせずにジャングルジムに登ったり、鉄棒で逆上がりをしたりして遊んでいました。
さらに私が上級生にいじめられているときにははドロップキックで追い払ってくれました。彼は大食いなこともあり体つきが良かったので上級生も半分くらいの確率で立ち去ってくれました。二回に一回は一緒に殴られてくれました。
彼は給食の残飯を無くす部隊を立ち上げたリーダーで、他の大食いな友人と共に少食な人が残したご飯を食べていました。残飯ゼロキャンペーン中に申し訳なさそうにご飯を減らしてもらう子に「食べたい人が食べればいいんだ」と声をかけるくらい彼は周りが見えている優しい人でした。
なお彼の親はそのことをよく思っておらずたびたび先生に文句を言いにいったり、彼を怒鳴りつけたりしていました。それでもめげずに戦い続けました。
彼は何度も私を救ってくれました。彼がいなければ私はもっと卑屈な人間になっていたでしょう。それこそインターネットでよく見かけるような人の幸せに対する文句を打ち込むだけのボットになっていたと思います。本当に彼は私の羅針盤のような存在です。常に正しい道を示して私を導く存在でした。
中学に入ると彼はいっそう強くなりました。
親の勧める吹奏楽部を蹴ってアメリカンフットボール部に入った彼は厳しい練習に必死に取り組み、すぐにレギュラーとなりました。そこでも彼はすぐに先輩たちと打ち解け、場を盛り上げる存在になりました。
私はいつも彼がグラウンドで練習する様子を図書室の窓から眺めていました。もちろん図書室で勉強もしていました。部活動で忙しい彼に勉強を教えるためです。ですが彼の頑張る姿はとても格好がよく見ていてとても気持ちの良いものだったので私の密かな放課後の楽しみとしていました。
夕方6時ごろ、彼の練習が終わったら私か彼どちらかの家に行き勉強をするのがいつものルーティーンでした。彼のおかげで毎日が輝いていました。
いつしか私は彼のことが好きになっていました。
憧れや友人としての好きではありません。恋人としてずっと彼の隣にいたいと思いました。隣にいて彼を支えたいと思いました。
そしていつの日かいつも私を助けてくれる彼を助けたいと思っていました。
そのチャンスが訪れたのは突然でした。彼が十五歳になる少し前のことです。その日のことはよく覚えています。人生で二番目に鮮明な記憶です。
彼は突然、朝早い時間の教室に私を呼び出しました。
私はどうしたんだろうか、もしかしたら告白だろうか、なんてワクワクしていました。
「俺を殺してくれ。俺を男として死なせてくれ」
彼は教室に入ってきた私を見るなりそう言いました。
殺す。死ぬ。どちらもいつもの彼からは遠く離れた言葉だったので私は何か幻でも見ているのかと思いました。
ですが彼はもう一度、ハッキリと言いました。
「俺を、殺してくれ」
水が布に染みるときように彼の言葉はじんわりと、それでいて確実に私の身体全体へと行きわたりました。世界の速度が遅くなったような気までしました。ゆっくりと言葉を紡ぐ彼の唇の形までよく覚えています。
「何があったんだ?」
私はなんとかそれだけの言葉を口にしました。
まだ脳は衝撃で痺れたまま正常な思考回路を再構築できていません。
「……親に薬を打たれた」
「何の薬を?」
「羽化後、必ず女になる薬だ」
彼は悔しそうにしていました。
当時十五歳。まだ蛹になる前でした。
蛹になって、羽化して、そこでようやく性別が決まります。そのときの性別は本来それまで過ごしてきた環境や本人の意思によって決定されます。
しかしその薬は彼の過去も意思も打ち消して強制的に女性にするんだとか。噂には聞いたことがあった。だがそんなもの存在するはずがない。さらに言えば手に入るはずがないと思っていました。
だが彼の親はそのいかにも怪しく効くかどうかも何の副作用があるかもわからない薬を持っていて、彼に使用しました。
彼の家は女系の家だが彼の他に子供がおらず何がなんでも彼を女にする必要があったらしいです。もっとも彼によれば大した家柄ではないらしいですし、私もその家のたいそうな話は聞いたことはありませんでした。怪しい薬まで打って守るべき家柄とは到底思えませんよ。
「なんとかならないのか?」
「おそらく、無理だ」
というのも打たれた薬の種類がわからなければ薬の入手元もわからない。打つのに使われた注射器だって安全なものかわかりません。そんな薬、いや毒の方が近いでしょう。何の情報もない毒の解毒剤なんて私たちでは手に入れることができません。
私のちっぽけな頭では彼を殺す以外の救う方法は全く思いつきませんでした。
「女になれば筋肉はつきにくくなる。もしかしたら今ある力も消えてしまうかもしれない。それに極限まで鍛えられた女の体よりも極限まで鍛えられた男の体の方が強い。これは覆せない」
彼は皆を救えるヒーローになりたがっていました。
そのために毎日筋トレとストレッチを欠かさずにしていました。
さらなる強さを求め、体質的に筋肉のつきやすい男性になることを望んでいました。
それをよくわからない薬によってぶち壊される。
酷い話ですよ。
このときばかりはいつも自信満々で強い幼馴染がとても弱々しく見えました。今までの努力の成果が失われるだけでなく努力では埋まらない差をつけられる。何とも恐ろしいことです。
「この一番強い身体のうちに俺を殺してくれないか?」
彼の声は震えていました。年が五つも離れた上級生に向かっていく時でさえ自信満々に笑っている彼の声が震えていました。
彼は僕の手を取り、首へ持って行きました。
「人が来る前に絞め殺してくれ」
「……わかった」
私は後にも先にもあれほど真剣な目にはお目にかかったことがないです。私をまっすぐと見つめて貫くような視線でした。
そんな目で見られたら断れるはずもありません。
私は一つ深呼吸をしてから彼の首を絞めました。硬くて太い彼の首を絞めると脈拍が手のひらに伝わってきました。心地良いくらい規則的なリズムで彼を生かそうとしていました。
私ははやく終わらせるために親指に力を入れて気道を絞めました。彼の顔が苦しそうに歪みました。まだ中にいた空気が漏れでて苦しそうに呻きました。ゲボゲボと苦しそうにむせ、腕を暴れさせる彼を見て私は怖くなってしまいました。自分は人を殺そうとしていると実感してしまったのです。思わず血の気が引き、手をはなしてしまいました。
彼は地面にしゃがみこんで苦しそうに咳をしています。彼にぶつかられた椅子や机がいくつか倒れて大きな音を立てました。
「ごめん。僕には殺せない」
足が生まれたての子鹿のように震えていました。自分が首を絞められたわけでもないのに息が苦しくなりました。あのときの自分には人を殺すだけの度胸がありませんでした。だからこうなってしまいました。
今思い出しても弱っちい自分が嫌になります。
「そうか。頑張ってくれてありがとな」
息が整った彼はどこか悲しそうな目をしながら僕の頭をくしゃくしゃと撫でてくれました。やっぱり彼は優しいです。ヒーローに相応しい人物です。だからこそ彼が彼らしさを失ってしまうことがとても悲しかったです。
一週間後、彼は蛹になりました。結局私は彼を殺してやることができませんでした。本当に情けないですね。
「男として羽化しますように」
俺にできたのは祈ることだけでした。一人で今まで大して信じてこなかった神に祈っていました。来る日も来る日も正しい方法なのかもわからない祈りを捧げていました。
もし彼が女になって蛹から出てきたら、そう考えるだけでとても恐ろしかったです。きっと彼は私にも想像がつかない程に落ち込み苦しみ悲しむでしょう。そのとき私は彼になんと声を掛ければ良いのか全くわかりません。検討もつきません。これは当時の私には、という話ではありません。今の私もです。
私は男として羽化しました。この姿を彼に見せれば、余計彼を傷つけるでしょう。もし女となった彼が事件に巻き込まれ私が助けるようなことがあれば、きっと彼の自尊心を深く傷つけることになります。だからといって私は彼を見捨てることはできません。ならば私は隣にいない方がいい、いや隣にいる資格などありません。私はすぐにでも地球の裏側まで引っ越して二度と彼に会わないようにすべきとまで思いました。けれど幼馴染であり想い人である彼に会えないのはつらくさびしく耐え難いことなのです。
ずっと隣にいて、私を守ってくれた幼馴染を傷つけたくはありません。だからといって、情けない話ですが、私は彼から離れられるほど自立した人間ではないのです。
私は今まで何度も助けてくれた彼を一つも助けられずにうだうだと彼から離れる決心ができずにいるのです。
「あのとき、僕が殺していれば」
私は何度もそう考えました。
彼を殺せば彼は女になることはありません。つらい思いをすることがありません。彼から離れることもありません。
最善策はすぐそばにありました。ですが私が意気地なしだったばかりにあのような状況に陥りました。
私はは枕に顔を押し付けて、声をころして泣きました。
目が腫れるのも、枕が使い物にならなくなるのも気にせずに泣きました。
残念なことに、どんなにつらいことがあろうともそれだけで世界が止まったりはしません。
私を放って世界は日常を進めていくのです。
「朝ごはんできたわよ」
翌日、母の呼ぶ声で目が覚めました。
いつのまにか泣き疲れて寝ていたらしい。
「すぐ行く」
母にそう返事して立ち上がると頭がガンガンと痛みました。
泣きすぎですね。
服を着替え、顔を洗ってから朝食を食べました。
ぼんやりとしたまま食パンをジャムも塗らずに食べて口の中がモサモサして、ようやく目が覚めた私に母が封筒を差し出しました。
「あんた宛だよ。珍しいね」
送り主の名前は書いていませんでした。
癖のある字で宛名が書かれていました。
「開けないの?」
「急ぐから。ご馳走様」
私はもしやと思い急いで部屋へ戻り封を切りました。
封筒の中には小さなメッセージカードが入っていました。
カードには「すきだった」と一言。
急いで裏をみると幼馴染の名がありました。
「なんで、嘘だろ」
彼が私を好きなはずがない。
ずっとそう思っていました。
けれど字は確実に幼馴染のものでした。上に重しを乗せられたかのように潰れた字を書く知り合いは彼しかいません。
「ごめんね。ごめんね」
ぽろぽろと涙がこぼれてカードについて字をにじませました。制服にもぽつぽつとシミができました。
「僕だって、君のことが好きなのに」
いつも私を守ってくれるところも、自分の理想を目指してストイックに努力を重ねるところも、周りに人に優しいところも全部愛していました。それなのに、私は彼の望みを叶えることができなかったのです。思わず手に持っていた封筒を握りしめました。
「あれ、中にまだ何か入ってる」
シワのできた封筒から二枚目のカードを引っ張りだしました。
内容はこのようなものでした。
月~金、10:00〜16:00両親共に仕事で不在
蛹は裏口から入ってすぐ左の部屋。
鍵はこのカードの裏面に貼ってある。
頼んだぞ。
「僕に、もう一度チャンスをくれるのか。君は本当に優しいんだね」
私はカードをポケットにしまいました。
鞄に必要そうなものを入れました
今度こそ、彼を救ってあげる。
彼に恩返しをするんだ。
そう決意しました。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
母に見送られて学校へ行きます。
長期休暇前なので学校は半日だけで、授業は十二時半に終わります。ラッキーなことに彼の親御さんが帰ってくる16:00まで十分に時間があります。とんでもないヘマでもしない限り、うまくいくでしょう。
先生は返却した期末考査の解説をしていましたが全く頭に入って来ません。あの計画は英文法なんかよりもっと大切ですから仕方がないですね。
計画の必達目標は彼の家族にバレないように潜入し、サナギを殺すことでした。
これが彼の望みだからです。確実に成功させる必要がありました。
そして努力目標でしたが、ドロドロになった彼や、彼のサナギを回収しようと考えていました。
サナギになって彼の面影がなくなったとしても彼は彼です。普通に殺しても最後は骨になるんですから見た目など些細な問題です。
大事なのは彼と共にいることだけです。
彼の液体を回収するための大きなバケツは学校から家と反対方向に少し行ったところにあるホームセンターで調達することにしました。
それくらいのタイムロスならどうってことはありません。
他に必要なものがないか、当時の私の小さな頭脳でぐるぐると必死に思索を巡らせました。万が一にも失敗がないように、あらゆる可能性を考えました。今までなんやかんや生きていますがあの時が最も脳を酷使したと思います。あれほどチャイムが憎かった時もないですね。間抜けなチャイムに思考を邪魔されて腹が立ちすぎてスピーカーを破壊したくなりましたよ。
周りの人たちは友人と夏休みの予定を話している中でも私は計画を練っていました。
私の友人はサナギになっていて教室にいませんでした。
そして翌日からは死んでいて教室どころかこの世にさえいなくなるんですけどね。
今までずっと彼と一緒にいたので初めて一人になり、かなり落ちつかなかったです。私があわあわしている時に声をかけてくれる彼はいないので仕方ありません。
もし私がこの計画を中断すれば彼が戻ってくるんじゃないか、なんて悪い考えも浮かびました。けれど私は彼に恩返しをしなければいけません。これは義務です。返しきれなくなる前に返済しきる必要があるのです。せっかく彼が与えてくれた二度目の返済チャンス。無駄にしてはまた借りが増えてしまうというものです。
私は彼からもらった手紙に勇気をもらいながら計画を立てました。
二限目、三限目、四限目。
刻々と時間は過ぎていきました。
「起立、気をつけ、例」
決まりきった号令に従って立ち上がり礼をし、体を起こすと同時に制鞄を持ち上げすぐさま教室を出ました。
焦る心を押さえつけて極めて自然に、それでも少し早足でホームセンターに向かって、目当てのものを手に取りレジへ並びました。
ここまでは計画通りです。しかし私はふと考えていなかった可能性を思いついてしまいました。
学校帰りに大きなゴミ箱を購入したら変なやつだと思われるかもしれない。もしかしたら計画がバレるかもしれない。それはまずいです。
心臓が働きすぎて苦しくなりました。視界の彩度が落ちていきました。今思いだすだけでも気分が悪くなりそうです。
それでも私はつとめて平静を装い適当な理由を探しました。
ぐるぐると脳を回しました。
今の時期なら……文化祭の買い出しと言えばいいのです。
そうすれば制服でもおかしくないです。
もし何に使うか聞かれたらどうしましょうか。
ゴミ箱が必要なもの、模擬店で使うと言えばいいでしょう。
模擬店の内容は、ベビーカステラにしましょう。
ぐだぐだと思考を回している間に順番が来ました。
私は腹をくくってレジへ踏み出しました。
「──5280円です」
「はい」
「ありがとうございました」
ですが何もありませんでした。何か話しかけられることがなければ、怪しまれることもありませんでした。ただ淡々と会計が行われました。
今だからわかることですが、悪いことをしている時は自意識過剰になってしまうのです。世界中が自分を見て咎めているような気分になるのです。それはどうしようもないことですね。
でも当時の私にそんなことがわかるはずもありません。
手が汗でベトベトし、心臓の鼓動がよく聞こえました。
「はやく、行かないと」
買ったものを持って急ぎめに彼の家へ向かいました。
まだ時間はあるが、時間に制限があるとどうしても焦ってしまうものです。
「さすがにこの大荷物は目立ちすぎるな」
できるだけ人目につかぬよう大通りを避けて歩きました。昼間だというのに薄暗い道を選んで進みました。人の視線が酷く恐ろしく、風の音なんかにいちいち驚いていました。
また自意識過剰野郎になっていました。良くないです。こういうときは堂々としていればいいのですよ。過去の自分に会えるならそうアドバイスしたいです。
世界に咎められビクビクしながらたどりついた彼の家は、何度も訪れたあの家と同じはずなのに、なんだか色褪せて見えました。
ポケットから彼に託された鍵を取り出し、いつも彼がしていたように鍵を刺して回しますと、ガチャリと音がして鍵があきました。
緊張のせいで、ノブを持つ手にうまく力が入りませんでした。
はやく彼の元へ行かなければならないのに、全く過去の私は本当に困った奴ですよ。
「大丈夫だよ。いつもどおりだ。君はいつもと同じように僕の家に遊びに来たんだ」
うだうだしていると聞こえるはずのない彼の声が聞こえました。
声変わりしていない、いつも聞いていたのと変わらない彼の声に助けられました。
「そうだね。いつもどおりだね」
彼の声に応じると不思議と心が鎮まり力が戻ってきました。不思議な感覚でした。
彼のおかげでいつもどおりになれました。
また彼に助けられてしまったんですよ。
「お邪魔します」
扉を開け、彼に続いて部屋へ向かいます。
バケツがあって少し動きにくいのは大した差異じゃありません。
「入るね」
きっかり2回ノックをしてから部屋に入りました
トイレじゃねえよ、というツッコミはきません。寂しかったです。
扉の先には妙に整頓された部屋がありました。
ものが少なく、一部は段ボールにまとめられていました。
そしてベッドの上には蛹がいます。
彼は足を抱きかかえるような格好でベッドの上に寝転がっていました。鍛え上げられた背中がよく見えます。ゴツゴツとしていて岩のように硬いです。しっかりと左右対称にバランスよく筋肉がついています。強くなりたい、その一心で彼が築き上げた筋肉は一種の芸術作品のように見えました。
「君は本当に強くてかっこいいよ」
思わずそう声をかけてしまうくらい美しくカッコよかったです。
おそらくその時の彼の体は女性へと作り変えられていました。
体が女性になると胸が膨らみ、全体的に丸みをおびた体つきになり、脂肪がつきやすく、筋肉がつきにくい体質になるらしいです。学校で習いました。
それに、どれだけ努力しても努力する男性を追い越すことはできないらしいのです。これは彼から聞いた話です。
「つまり、今まで目指してきた圧倒的な強さが手に入らなくなる」
彼はヒーローみた時期から考えるに幼稚園生のころには強くな理違っていたと考えられます。つまり人生の8割に当たる時間、彼は強くなりたいと願い努力していました。
それなのに、家の勝手な都合で彼の思いは踏みにじられました。
そんなの許せるはずがありません。
ましてや惚れた相手がそんなことになったのです。
彼を救えるならなんだってできますよ。
違いますか?
「今、助けるから」
小麦色の彼の肌に触れるとあたたくてとても落ち着きます。
ずっど抱きしめたくなってしまいます。
しかし何しろその日は時間がなかったのです。
さっそく彼を買ってきたゴミ箱の中に入れました。
大きさはギリギリでした。もう一つ大きいサイズの方が良かったかとも考えましたが、余計に目立つのでナシです。
「助けるのは僕の部屋に帰ってからね」
蓋は閉まらなかったので手に持って、裏口から彼の家を出て、急いで自分の家に戻りました。彼と同じで私の両親もその日は家にいませんでした。本当に運が良かったです。
私は自室に入るとすぐ鍵を閉めました。二人っきりです。
私は彫刻刀を握りました。小学生の時に買った、彼と色違いの彫刻刀です。
「お疲れ様。頑張ったね。君は本当に強い」
頸椎があったであろう場所に刃を当てます。
肺の底まで息を吸い、ゆっくりと吐き出します。
腕に力を入れて蛹を削りました。
つうっと薄く表面が削れました。
やっぱり形を保つためにある程度の厚さが必要なのでしょう。
何度か表面を削り取ると鰹節のようになった削りカスがたまりました。それを丁寧に取り除きティッシュの上に乗せておきました。削りカスだって立派な彼の一部です。
「これだけ薄くなればいけるか」
私はしっかりとふりかぶって彫刻刀を彼に突き立てました。
グリグリとしっかり貫通したことを確認してから引き抜くとドロドロとした白い液体が流れてきました。傷口から血が流れるかのように彼の中身が蛹からあふれ出ていました。
「お疲れ様。頑張ったね。もう休んでいいんだからね」
そう声をかけ、頭を撫でました。
ありがとう。
そう聞こえた気がしました。しかし彼は死んでいます。私がこの手でしっかり殺しました。
「幻聴だな」
彼はもう自由になったのです。
これ以上ここに止めてはわざわざ殺した意味がないというものですよ。
彼を殺すと一気に疲れが押し寄せてきました。
引きよせられるままにベッドへ倒れ込みました。ふかふかでした。
顔だけを彼の方へ向けると白濁した液体が彼の背骨をつたって落ちるのが良く見えました。
「おいしそう、だな」
チーズの乗ったパンのようにみえました。とろーりと溶けたチーズの乗ったふわふわのパン。想像するだけでお腹が空くでしょう。
もっともそのパンは彫刻刀で削らなければいけないくらい硬いですけどね。
それでも美味しそうにみえて、鰹節のように削った蛹を口に含みました。全然おいしくなかったです。紙を食べているかのように口の中でざらついて、それでいてプラスチックのようにかたくて痛いのです。
本当にマズイです。人が食べるものではありません。ですが、なぜか吐き出したいとは思わなかったのです。それどころかこのまま飲み込んでしまいたいとさえ思ってしまいました。今でもここに彼の蛹があるならば食べたいと思ってしまいます。それはこの蛹が彼だからなのでしょう。
チーズのように流れる液体を手ですくいとり、口に含むと生臭くて、変な味がして、まったくおいしくなかったです。それでも外のガワと一緒に飲み込みました。
「まっずいね」
驚くほどマズイです。美味しくないです。食品サンプルの方がマシな味をしていそうです。
けれどもっと欲しいと思いました。
彼が欲しい。彼の全てを取り込んでしまいたい。
心導かれるがままに液体を飲み込み、蛹を削り取って食べました。
マズイ。マズイ。本当にクソマズイ。
吐きそうになりながら彼を貪っていました。
途中、彫刻刀で手を切ってしまった。
ポタポタと赤い血が落ちて、彼が汚れてしまいました。
でもまあ食べてしまったら一緒です。全部まとめて取り込んでしまえばいいのです。全部取り込んで、彼をかっこいいままで終わらせてしまおうじゃないか。そう思いました。
手の痛み? そんなものありません。そんなことより彼を取り込むことの方が重要です。
といっても彼を全て食べ切るのはしんどいです。
人間一人、それも比較的大柄な部類にはいる彼を全て食べるのはかなり苦しいです。胃がはち切れてしまいます。
残りを隠すのには十分な量を取り込むことができました。
残りは明日食べればいいのです。
私はお片付けを始めました。
液体はゴミ箱に置いておくとして、蛹の方はもう少し分割しなければ入りません。彫刻刀で削り取り、胴、足、腕、と分けて行きました。もちろん削りカスは食べます。
そうやって順調に削っていったのですが、ふと思いつき実行してしまいました。
蛹から破片を掘り出し、するどく削りました。
そして針のように尖らせたそれを自分の右耳たぶへ刺しました。
ほら、ここについているでしょう。これが彼の一部です。
流石にこれは少し、いやかなり痛かったです。
けれどこうすれば彼と離れずにいられます。お守りの代わりです。こうすればまた昔のように彼に守ってもらえる気がするのです。
彼がそうありたいと願った、強い彼として隣にいてくれる気がするのです。
その後、徹夜で彼を食べきり警察が来る前に彼を取り込みきることができました。危なかったですよ。ほんと時間ギリギリでした。なんとか間に合って、彼と共にこうして牢屋にいるって訳です。
もう時間ですね。残念です。質問があればまた来てくださいね。
では、さようなら。
蛹 〜彼は女の体を求められた〜 橘スミレ @tatibanasumile
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます