第44話

「お祖母様、今日は無茶をしないでください。怪我は良いとしても、お願いできるでしょうか」


 オリヴィア卿と呼ぶと、どうも機嫌が悪くなるので、お祖母様と呼ぶことにした。なにか彼女の中でスイッチが入るみたいで、次に呼んでしまえば一人で王城に攻め込んでしまうかもしれない。できるだけ予想外となる刺激は与えたくない。

 それでも、血が滾っているお祖母様を抑えるのは難しい。


「血を出させなければ良いのか?」

「……向かってくる兵士、衛兵はお好きにどうぞ。学生は手足を折るぐらいが良いでしょう。ただし、人死があれば一人につき罰金一万とします」

「承知した! カタリナ! 金庫を開けておきなさい!」

「お祖母様! 今のはするなという意味です! 借金を作らないでください!」

「情けないねぇ、老い先短いばばあの面倒ぐらい見れないのかね」

「絶対お祖母様の方が長生きします! グレース……陛下! もっと早く走ってください! お祖母様が兵士を殴る前に!」

「無茶言わないで、私の足は子供よりも遅いのよ」


 後ろに回ったカタリナが背を押せば、その力に私の足が追いつかない。遂には姿勢を崩してしまい、カタリナの鍛えられた腕に持ち上げられた。それは横に抱く……姫様抱っこ。アリアを見たときは可愛いだけだったのに、自分でされるのも案外悪いものではないわね。なのに、首を傾げられると、少しばかり傷つくのだけど。


「女王陛下、軽すぎませんか? ちゃんと食事を摂っていますか?」

「もちろんよ。でも今日は馬車酔いしては困るから、朝から何も食べていないわね」

「我らの主となられたのです、今後は淑女と言えど、しっかりと食事を摂って下さい」


 まさか、重いではなく軽いから驚かれると思わなかった。そもそも私を軽々と抱き上げるカタリナが——いえ、それは言わない方がいいわね。でも、少しだけ以前のように気軽に話してくれるようになったのは良い傾向かしら。口うるさい騎士になっても困るのだけど。


「余計な口出しは無用よ。今欲しいのは戦車チャリオット揺り籠クレードルではないわ。時間がありません、この身はカタリナに預けます。まずは馬車に、それからシュトラウス家に向かいなさい。行軍用の馬車、軍馬の準備ができているはずよ」

「了解しました。それにしても、準備が良いのですね」

「こうなることは宿決まっていたのよ。もう質問はなし。役目を果たしなさい」

「はっ!」


 心地良い返事と共に、進む速度が上がる。通路までは安全圏、講堂の外に出れば囲まれていることは間違いない。本当に血路を開く覚悟が必要なのはこれからよ。


「まて、グレース!」


 追いついてきたのは予想通りアインザック。後方にカルフェスとシルヴィスの姿も見える。ようやくベルク侯国に対する方針が決まったようね。残念だけど私の相手は王国そのもの、個人に用はないの。


「お祖母様、お任せしても?」

「あれはしつこそうね、何か恨まれることでもしたか?」

「当家で乱暴を働いた事がありました。それが無罪放免になり、はしゃいでいるのでは? どのみち、彼はもう生徒ではありません」

「なるほど。長生きはしてみるものね。ローゼンベルクに顎で使われるとは思わなかった」

「申し訳ありませんが、曽孫は諦めてください」

「リトル・グレースがいる。あれなら良いのだろう?」

「ええ、願いの全てが叶って浮かれています。どのようにでも。身体の素質は十分にあります」

「承った。改めて女王陛下と、ベルク侯国に忠誠を誓う! カタリナ! 女王陛下に傷ひとつつけるな!」

「もちろんです! でも、陛下、これは命令なんですよね!? お願いですから、カウントには入れないでくださいっ!」


 カタリナの悲鳴を掻き消すように、通路全体がズンッと揺れる。ただお祖母様が床を踏んだだけなのに、なんて馬鹿馬鹿しい力。身体強化を使ったにしてもそんなキャラクター、ゲームには居なかった。これは誰かの思惑……?

 余計なことは後回しにする。後ろに響く打撃の音を無視させ、ルーカス達の足を早めさせた。

 けれどひとり、悲鳴を上げる声が直ぐ側から聞こえる。


「グレース! 返事をして!?」


◇◇◇


 おかしい。こんなはずではなかった。

 足元には口を塞がれた護衛や兵士達が幾人も地面に縛られている。出し抜かれたにしても早すぎる。

 この状況を作り出したと思しき一団が数十人は目に入る。しっかりとした武装をして、内外の出入りを完全に封鎖している。捕らえられている人数を見れば、実戦経験のない私でもおおよその見当がつく。先に逃げ出した貴族達で抜け出せたものはいない。この包囲網を突破するには犠牲が出るのは確実。

 しかし、その中から青年が一人進み出てくると、私に対して跪いた。


「女王陛下、お待ちしておりました!」

「出迎えご苦労。私は女王付きの騎士カタリナ。あなたは?」

「はっ! 自分は部隊長のカシューと申します! シュトラウス家より女王陛下をお護りするよう遣わされました。兵士総勢百人、ご自由にお使いください!」

「陛下、彼らのことは?」


 なるほど、側付きがいると便利ね。カタリナが張り切って面前に立ってくれるおかげで考える時間ができたわ。

 シュトラウス家と言えば、カリーナと打ち合わせしたのは一度、ローゼンベルク家で用意した馬や馬車を隠すよう頼んだだけ。いつ使うのかも知らせていない。まして、卒業パーティーで婚約破棄があることは知らせていない。彼女には今後橋渡しになれるよう、王国に従属するように伝えている。立ち回りを間違えないよう、念を押したはず。どこかで行き違いがあった?

 それにしても、これだけの人数を王都に用意するなんて、準備が良すぎる。


「そう、カリーナの。でも、どうして女王だと? 彼女にはさっき伝わったばかりよ」

「はっ! そこの貴族様に少々問い合わせたところ、陛下がベルク侯国を興されたこと、ご説明いただけました。とても協力的であったと、ご報告できます!」


 縛られてはいるものの、口枷のない男性貴族が地面に座らされている。それ以外に服の乱れも殴られたような痕もない。命乞いでもあったのかしらね。だけど、記憶にあるその顔——


「王国北部直轄地領主代行マティアス・エヴァンスタイン。随分と遠くから下見に来たものね」

「なっ!? どうして儂の名を!? 一度も会ったことがないはずだぞ!」


 確かにこの世界では一度も会ったことはない。だけど、ゲームの画面では何度も見たことがあるのよ。カリーナがエンディングで嫁ぐ地方領主マティアス・エヴァンスタイン。爵位は伯、容姿も悪くない、年相応の貫禄もある。ただし、迎え入れるのは後妻として。詳しくは描かれていなかったけれど、おそらくは金銭の絡んだ契約結婚。実際のところは愛人でしょうね。


「そう言えば、シュトラウス家に縁談を申し込んだ家があったそうね。わざわざローゼンベルク家と関わりのある家を探したのだそうよ。ご苦労なことね」

「何のことを言っているのかわからんな。儂は使えそうな人材がいるか見に来ただけだ」


 誠実でないのは少しやり取りした程度でわかる。ここに来たのも青田買いだと嘯くのなら、時期遅れ。つまり大嘘吐き。私が国を興したのを知って、この場を離れようとしたのは情報の速さに価値を見出しているはず。だったら存分に踊ってもらいましょう。


「そうね、私の覇道にあなたは必要ないわ。開放してあげましょう。よろしいかしら、カシュー?」

「……問題ありません」


 縁談の話は知らされていなかったのか、カシューはその男を睨みつけていた。


「ふふ、カリーナは愛されてるわね。大丈夫よ、きっと彼女の役には立つ。テリー、丁重にお送りして。それから、私達が王都で行うことは気取られては駄目よ」

「我が女王様の仰せのままに。さぁ、行こうぜ、男っぷりがいいおっさん」

「儂は——」

「いいからいいから、おっさん、お忍びで来てんだろ? 未だ誰一人外に出ちゃいないんだ。貴族だってバレたら事情を知りたがる衛兵にとっ捕まるぞ。ちゃんと人目のないところで開放するから、安心しろって。それよりあんたのところに綺麗どころいるんだろ? 聞いてくれよ。俺、ちょっと歳下の子に好かれててさぁ……」


 嫌がる相手と肩を組んで、離れたと思ったら、内緒話をするように近づいて顔を寄せる。どこかで見たような光景ね。どうして、テリーは任務以外のことになると優秀なのかしら。懐に入ろうとする手管は到底真似できないわ。


「若造が、女の扱いも知らんのか! そんな風体をしておいて——」


 ほんとう、経験値ありすぎでしょう……


「マティアス卿の護衛は十歩離れてから追いなさい。もしそれ以上近づいたり、私の兵士に傷つけたりしたら……領地を干上がらせてあげる」


 続いて四人が解放されると、慌ててテリー達の後を追う。一度だけ振り返っていたけれど、カシューが睨むのを見て向きを変える。そうそう、ちゃんとご主人様に伝えるのよ。大切な小麦が届かなくなっても知らないから。

 そろそろ次の手を打つタイミングかしらね。


「部隊長カシュー、時間がないからすぐに答えなさい。この場にローゼンベルク家が託した馬車と軍馬の用意は?」

「ございます!」

「よろしい、ではあなた方はローゼンベルク家に借金があるものとします」

「え? いえ、それは……」


 命令には従うように訓練出来ていても、これは想定外だったようね。だけど、これは大事なこと、契約は必要なの。


「その返済の為、選択の余地もなく傭兵をさせられている。シュトラウス家には命令により出向。現時刻をもってベルク傭兵団の帰着を確認。私はこれからの働き次第では、完済前に放免するのも吝かではない」

「陛下……」

「なお、家族の元には契約通り、一人当たり金二万を送っておく。借金をした我が身を呪い、金の為に命を懸けなさい」


 壁のように整然と並ぶ兵士達が揃って踵を打ち鳴らす。

 そして、部下達を代表するようにカシューは涙を流した。


「はっ! 我らベルク傭兵団! たった今、女王陛下の元に帰参致しました。我らの命、金よりも軽し、どうぞ使い捨て下さい!」

「良い返事ね。体調を崩した者がいれば、廃棄しなさい。役立たずは不要よ」

「一兵たりともおりません!」

「結構。では新しい隊長を任命します」


 突然、前触れもなく、地面が揺れた。揃っていたはずの傭兵達は発生源を探すように辺りを警戒し始める。そして、僅かなのち、閉じてあった講堂の扉は、抵抗などなかったようにバラバラと砕け散った。

 そこに注目が集まるのは仕方がないこと。なんとも、お祖母様らしいご帰還ね。


「隊長は武神オリヴィア、傭兵団は彼女の元で死力を尽くしなさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 月曜日 00:00 予定は変更される可能性があります

君と幻想の楽園で 〜悪役な私と、主人公な親友〜 西哲@tie2 @tie2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ