世界中の誰もが、私たちのことを両想いだと知っているから

こうしき

両想いな二人


「退屈だわ」


 というのもの、真面目に仕事に取り組んできた彼女は、昼間の内は はたを織る。同僚の中でも努力を惜しまない彼女の織物は絶品で、顧客からはなかなか好評であった。

 人の子の目に届かぬ時分、顧客である星々たちは競ってそれを着込み、意中の相手と逢引をするらしい。そして暗い時分になると、煌々と輝き織物の感想を伝えてくれるのだ。


『彼も褒めてくれて最高だったわ! ありがとう!』

『またよろしくね!  楽しみにしてるわ!』


 褒められると自信に繋がり、新たな作品を張り切って織る。夜になると皆休むので、流石に機織りはしないのだが、仕事の虫である彼女はすることがなく、手持ち無沙汰な時間を過ごす。



(真面目に働かなければ、また会えないかもしれない。もういい加減耐えられないの)



 そう思うとやはり、体は動き出すというもの。図案だけでも描き出しておこうと、手元に紙を引き寄せた。


「ベガ、まだ休まないの?」

「リューラ」


 ご近所でもあるリューラは、彼女──ベガと同様勤勉だ。空が明るくなれば肩を並べて機を織り、暗くなる前に共に帰路につく。


「ベガ、働きすぎると体壊すよ?」

「大丈夫よ。わたしはこの辺りじゃ、誰よりも頑丈なんだから」

「それはわかっているけど……あなたの命が尽きれば、この辺り一帯、巻き添えを食らうことはわかっているわよね?」

「わかっているわ。けれど、わたしの寿命はわたし自身でどうにかできるものではないのだから。その時は恨まないでよ?」

「お互い様だものね」


 ベガの手元の図案を覗き込み、リューラは感嘆の声を上げる。瑠璃色の下地に、流れるように描かれた薄藍の川。その上に月白の粒が点在している様は、まるでこの季節を現しているかのようで。


「……綺麗ね、流石だわ」

「ありがとう。毎年この時期になると、似たような物を織ってしまうの」

「今年は、会えると良いわね」

「……」


 およそ2200年前。青い星の人の子らが、夜空を見上げて口にし始めた星々の物語。その作り上げられた物語のせいで会えなくなった夫婦が一組──それがアルタイルとベガであった。



(勿論、わたしもあの人に出会って、仕事を投げ出してしまった時期もあったけれど。それでも、だからといって……一番目立つ輝きの星の子だからといって、まるで見せしめのように、年に一度しか愛する夫に会えなくなるだなんて)



 それが人の子の空想の賜物──もとい、呪いのようなこの物語。


「会いたい、寂しいって思うのがわたしだけだったらどうしようって、会えない度に不安になるの」

「その想いを、正直に伝えてみたら?」

「でも……でも、だって、たった一日しか会えないのよ。それも年に一度! 恥ずかしがっている間に、時間は尽きるの」


 会えないことが続く年もあった。あの大きな川を渡れば簡単に会うことが叶うというのに、『あの川が見えなければ、織姫と彦星は会えない』などという妄信的な思想が膨れ上がっている者たちのせいで、あの日あの時僅かな時間でさえ、その姿を目にすることすら叶わなくなる。それならば、と会えたその年に告白を決意しても、どうしても羞恥心が勝り本音を告げることができなかった。


「それで何百年無駄にしたの? ベガ、あなたさっき言ったわよ、『わたしの寿命は、わたし自身でどうにかできるものではないのだから』って。今この瞬間にも爆発して終わるかも知れないこの生を、惰性で生きていていいの?」

「それは……」

「言葉にしなければ伝わらないことはたくさんあるわよ。アタシなんて、タラゼドにどれだけ想いを伝えているか。知ってるでしょう?」

「そうね……そうよね。うん、わたし、頑張ってみるわ」

「そうでなくちゃ」


 リューラが微笑むと、その身がパッと明るくなり輝きを放つ。つられてベガも口元を緩やかに、笑みを返した。


 

 ──およそ15光年離れた先。



「……今リューラが笑った!」

「何を言っている、タラゼド。牛たちが待っている、早く給餌に向かわなければ」

「だってお前、今あっちのほうがピカッて!」

「そうだとしても、あれはリューラの笑みだ。どれだけ離れていると思っている」


 川沿いの牛舎の前。二人の男たちが青草の載った台車を引きながら、北西の方角へ顔を向けている。タラゼドと呼ばれた背の高い男は、にこにこ笑みを零し、その身を皓々と輝かせている。


「もうすぐだな」

「……ああ」

「今年こそ会えるさ」

「会えずとも、私のベガへの気持ちが揺らぐことはない」

「誰もそこまでは聞いてないけどな? 毎年思うんだがお前、今俺に言ったその言葉を、きちんとベガちゃんに伝えてあげろよな」

「……」


 言わずとも伝わっていると信じて、ここまできたのだ。2200年も夫婦としてやってきたのだから、この想いが伝わっていない筈などないのだと。


「……伝わっていないとでも?」

「お前は口下手すぎるからなあ。真面目すぎるし。ベガちゃんも真面目だからなあ」

「真面目は悪いことか?」

「そうじゃねえけどさあ。なんていうか、もっと本音でぶつかれば? とは思うよ」

「……本音か」


 アルタイル自身も、自分の不器用さは重々自覚していた。されど、ベガに対してはいつも本音でぶかっているつもりであったので、タラゼドからの指摘にほんの少しだけ頬を膨らませた。

 

「……努力はしてみる」

「頼むぜ、おい。ったく……何が織姫、何が彦星だよ。見ているこっちも、お前たちのことは不憫だと思うぜ」


 台車が牛舎へ到着する。干し草を牛たちに与え、飲水の補充を終えると、ふとアルタイルは辺りを見回した。


「ところで、デネブは?」

「あいつはサボりだ」

「……そうか」


 与えられた仕事を放棄しても、デネブにはお咎めがない。その答えに理由をつけるならば、彼はアルタイルよりも輝く星の子ではないから、であった。



(別に……私とて、好きでこんな体に生まれたわけではないというのに、ただよく光り目立つからというだけで罰が与えられるなど、不公平だ)



 遠くに見える、青と緑の豊かなあの星。アルタイルはその穏やかな目元をきつく細めると、憎しみを込めて睨み付けたのであった。




 黙々と仕事をこなし、二人が待ちわびた七月七日がやってきた。

 ベガは、先日仕立てた新たな装束を身に纏う。それは、リューラが褒めてくれたあの星空のような織物であった。リューラに押し付けられた紅を一筋だけ引き、約束の場所へ足を向ける。アルタイルはといえば、時間ぎりぎりまで牛たちの世話に励み、「早く行け」とデネブに尻を叩かれる始末。


「会える、きっと会える」


 ゆったりとした足取りが次第に小走りに。夜空を蹴って全速力で駆けている姿を見て、辺りの星々が身を光らせてベガに声援を送った。


「ありがとうみんな! 大丈夫、大丈夫、会える、必ず……会える……!」


 川の麓に辿り着く。反対岸にアルタイルの姿がちらりと見えた。川は穏やかで、夫の姿をはっきりと肉眼で確認することができた。


「これなら渡れる……! なんて静かな川の流れなの」


 ざぶざぶと足首まで浸かり、 煌煌きらきらと輝く水面に目を奪われつつも、対岸を目指す。この輝きは年に一度、この日だけ。足を進める度に浮かび上がる銀の泡が浮かんでは弾け、輝いた後、消えてゆく。


「アルタイル……アルタイル!」


 少しずつ大きくなる愛しい夫の姿に、ベガの足取りは一層早くなる。同様にアルタイルも、破顔して駆け出した。


「ベガ……ベガ……ベガッ……!」

「アルタイルッ!」


 一刻も早く互いに触れたいと、両腕を前に伸ばし、広げ、前のめりになり駆ける。指先がフッと触れ合い、絡まり、腕が交わり体が重なる。互いの背中に回された腕に、ぎゅっと力が籠もった。


「会いたかった……」

「……ああ」

「会いたかった……!」

「私もだ」

「会いたかった!」

「ベガ、よく顔を見せてくれ」

「ん……」


 二年ぶりの再会に、二人の距離は近くなる。──が、夫婦だというのに、久方ぶりの再会の為か、二人はまるで恋人同士のように頬を染め上げてしまっている。抱擁し、まだ目が合っただけだというのに。


「ベガ、伝えたいことがあるんだ」

「わたしも、あなたに伝えたいことがあるの」


 寡黙なアルタイルにしては珍しく、饒舌であった。会えない二年の間に、妻への愛は募るばかりであった。タラゼドに背中を押されたことも大きかったのか、頭の中に用意してきた言葉を、折り重ね、色付け、紡いだ。


「愛している」

「……!」

「愛しているんだ。ずっと、愛していた。上手く言葉にできず、今まですまなかった。これからは……会う度にきちんと伝えようと思うんだ」

「そんなの、わたしだって……同じなのに……!」


 数えるほどしか受け取ったことのない、夫からの愛の言葉。感極まったベガの目尻から、一筋の雫が流れ落ちる。


「わたしも、あなたを愛しています。今までも、これからも、ずっと、ずっと」

「嬉しいものだな……互いの気持ちが通じ合うのは」

「それにしても、どういう風の吹き回し? あなた、本当に数えられるくらいしかこんなこと言ったことないのよ?」

「恥ずかしいからと……己の気持ちを口にしないと後悔することに、やっと気が付いたんだ」 

 

 ベガの涙を、アルタイルは襦袢の袖でそっと拭ってやる。顔を上げた彼女は、目を細めふわりと微笑んだ。


「ねえ……いっその事、心中しちゃう?」


 口角を上げ、珍しくも妖艶な表情のベガを見て、アルタイルの心の臓が大きく跳ねる。本気ではないだろうし、叶わない誘いだととわかってはいるが、それを無下にできるほどアルタイルも軽い男ではないのだ。


「駄目だ」


 気の利いた言葉も、粋な計らいも出来ないけれど──。


「君が心中したいと本気で言って、それが叶うとしても、私は」

「アルタイル……」

「それでも私は、今の君に何度でも会いたい」

「ありがとう……馬鹿なことを言ってごめんなさい」

「君が謝ることなど、何もない。悪いのは私たちを……こんな形で縛った者たちなのだから」


 七月七日は、一組の夫婦が年に一度だけ、人の子の思想を恨みつつも、愛を交える日。夜が明ければまた離れ離れになる二つの星は、日付が変わる直前まで何度も想いを伝え合い、愛を交わし続ける。


 また来年、と二つの星は約束を交わし、離れてゆく。互いに伝え合った本音が、二人の絆を一層強いものとした。



 ──忘れないでほしい。皆の願いが、祈りが、二人を引き合わせるということを。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界中の誰もが、私たちのことを両想いだと知っているから こうしき @kousk111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ