作家は言いたいことがあるなら作品で語れ

亜中洋

作家は言いたいことがあるなら作品で語れ

 時給1400円。それがこの喫茶店のアルバイトに応募した決め手だった。

 面接に行ったらその場で採用が決まり、内心、不安に思うところがありつつも、私はこの店でアルバイトを始めたのだった。


 お店は商店街の片隅にひっそりと佇み、薄暗くてお客さんはいつもまばらだった。

 珈琲の味はそれなりに美味しい。

 というのも卸の店から買った豆をミルで挽いて淹れているだけなのでそれなりの味にはなる。


 店長は喫茶店を経営するくらいだからコーヒーには拘りがあるのかと思ったらそうでもないらしい。

 いちど、営業中に豆が無くなったときには近くのスタバで豆を買ってくるように指示されたこともある。


 そんなしょぼくれた喫茶店で私は時給1400円を貰いながら働いているのだが、どう考えてもそんな給料が払えるほどこの喫茶店が繁盛しているとは思えない。

 一時間の売り上げが1400円を下回っていることなんかしょっちゅうある。

 

「てんちょ~、こんなにヒマだとお店潰れちゃいますよ~っ」

 この日はとくに暇で、私はやることもないので床をモップがけしながら店長に言った。


 店長は仕事のほとんどを私に任せ、いつも常連客と喋ったり、ノートPCでなにか書いていたり、商店街の雀荘に出かけていったりでまともに仕事をしていなかった。

 それなのに何故、この喫茶店の経営が成り立っているのか私は不思議でしょうがなかった。


 店長は「あぁ…」というような声を漏らすと、加えていたタバコを灰皿に置いて、パソコンを触るときにだけ掛ける丸眼鏡を胸ポケットに差し、顎髭をジョリジョリ撫でながら話し始めた。


「この店、家賃かかってないからそんなに稼ぐ必要ないんだよね」

「ああ……店長がここの土地持ってるってことですか?」

「そうそう。……ていうか、この辺はけっこうウチの土地なんだよね」

「ええーっ!?てんちょー、地主だったんですか!?」


 私は、持っているモップをグッと強く握りしめる。


「というか、この喫茶店は別に儲ける必要ないんだよね。駅前のテナント料だけで食っていけるから。……そういえば駅前に一軒、空き店舗が出てたんだっけ。次の入居者早く決まってほしいなぁ~……駅前だから家賃高くしても大丈夫だし。前に入ってたのはピザ屋だったっけ?本場ナポリで修行したとかで、リーズナブルな価格で評判だったけど、最期のほうは家賃の支払いが滞ってたんだよねぇ~。いろいろ試行錯誤はしてたみたいだからしばらく待ってあげたけど、結局ダメだったみたい。次に入る人はピザ窯の撤去からしないとだから大変そ~……ちゃんと綺麗にしてから退去してほしいものだよね!立つ鳥跡を濁さずって昔からい────」


 店長は言いかけていたことを最後まで喋ることは出来なかった。

 頭部に強い衝撃を受けた店長はしばらく朦朧としていたが、最終的にはゲロを吐きながら床に倒れこんだ。

 綺麗に磨かれた床に吐瀉物がひろがるのを見ながら、私は握りしめていたモップを手放して救急車を呼ぶために電話をかけた。






「被害者は頭部を鈍器で殴られ昏倒。運び込まれた病院で死亡が確認された」

 刑事は部屋のなかを落ち着きなく歩き回りながら、苛立ちを隠せない口調で事実を確認していく。


 私は警察署の取調室にいた。

 現場に到着した救急隊員に、殴打したのは自分だと伝えると程なくして警察も到着し、ここに連れてこられたのだ。


「お前が被害者の頭部を手に持っていた掃除用のモップで殴打し、外傷を負わせた。それで間違いはないか?」

「はい」

 バンッ!と机が叩かれる。

「なんでそんなことをした!答えろ!」


 私はその質問に正直に答えた。


 その答えを聞いた刑事はすぅと力が抜けたように椅子に座り、つぶやいた。


「地主かぁ………………」


「それならしょうがないか」


 それからの取り調べは先程まで飛び交っていた怒号が嘘のように鳴りを潜め、刑事は親身になって私が直面していた状況に耳を傾けていた。


 取り調べをする刑事たちは、殺人は許されざることであるという態度は崩さなかったが、あきらかに態度が柔和になっていた。




 やがて弁護士がやってきた。


「今回は被害者の方が地主ということで、情状酌量の余地は大いにあると思いますけどネー」

 軽薄そうな弁護士はパラパラと資料をめくりながら言う。

「やはり普段から周囲に危害を加えていたような人物は裁判官からの心証も悪いですしぃ……正当防衛の線もあり得るとおもいますネー」




 そして裁判が始まり、判決が言い渡される日が来た。


「被告人は勤務先の上司を手に持っていたモップで殴り、確かな殺意でもって殺害しました。これは到底許されざる蛮行であります。しかし、被害者が地主であったということも考慮し、被告の罪状を検討する必要があります。地主は人間社会をより良いものにしていく勤労の義務の理念に唾を吐くこの世で最も嫌悪すべき人種です。試行錯誤し、より良いサービスを世に充実させていく市井の人々の努力の成果を搾取するこの世の悪です。人の弱みに付け込み、努力を続ける人間から金銭を搾り取ることだけで天下の往来を我が物顔で歩き回る邪悪であり、このような人物が排除されたことは公益にとって好ましい出来事でありました。自らはなにも善を成すことなくただ財を成し、社会に貢献することなく喰らい、飲み干し、惰眠を貪る、世界の足を引っ張ることしかしない地主という資本主義の制度が生み出した怪物を制御することは国家のやらねばならない仕事の一つです。それを今回は被告人が代理で遂行したという見方もできましょう。この魑魅魍魎が跋扈する現代社会にはいまも地主に苦しめられている無辜の民が大勢います。そんな国民のためにも被告人には寛大な処置でもって実直で誠実な民の未来に希望を示し、“不動産”などと不遜で愚かな実態のない権利を盾に横暴な態度で人々を脅かす地主たちから保護する姿勢を見せねばなりません。聞けば、被害者の所有する物件で家賃の請求に苦しみ、廃業した飲食店があるとか。独自のレシピ、技術、経営努力で人々に価値を提供するクリエイターが虐げられているのは誰のせいなのでしょう。資本主義を盾に善良な人の努力を搾取する悪は誰なのでしょう。地主です。被告人もまた虐げられてきた市井の一人であり、今回の行動は地主の横暴からの正当防衛でもあると考えられます。よって、被告人を無罪とし、閉廷といたします」


 無罪判決を受けた私は家に帰り、いつまでも平和に暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし

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