歌舞伎町はソーダ味

遠藤ロール

歌舞伎町はソーダ味

 何者かになりたかった。

 過去形にしてみたものの、この感情は現在進行形である。

 破天荒な文豪や、狂気的な芝居をする役者、意味の分からない戯曲を論理と熱量でねじ伏せ興行として成り立たせる劇作家になりたかった。

 誰かに褒めてもらいたいわけでも、金が欲しいわけでもない。ただ私はあの人たちになりたかった。なりたい。でも絶対になれないことは分かっていた。

 だからせめて、細々と数名のファンがいるような自称小説家になりたかった。それくらいなら、なれると信じたかった。そんな私は趣味としてスマートフォンのメモ帳に小説を書いている。しかし一向に完成させられないまま、一つもアップロードそれていない小説サイトの自らのページと行ったり来たりを繰り返していた。数日間考え抜いて作ったペンネームが間抜けさを強調させている。


 九州の端っこの県で生まれ、何一つ不自由なく両親から愛されてすくすくと育ち、県立高校へ入学してそのまま国立大学へ。四年間きっちりと、たまにサボりながらも粛々と卒業して、それなりに就活して皆と同じように少し病み、結局大手企業に入社した。三年間、店舗勤務から営業へステップアップしたのちに人生を見つめ直し転職して上京、今に至る。

 文字に起こせばあまりに普遍的であることがより際立ってしまう。この何者でもない、色で言えばベージュのようなつまらない人生。


 それじゃあ不幸なのかといえばそうではない。周りの人に恵まれ、好きなものも多い。割と幸せに人生を謳歌している。


 本気で死にたいと思ったことはない。


 でもたまに自分がベージュ人間であることに嫌気がさす。その感情は大概、創造主つまりは創作者や演者を見た時に湧き上がる。創作や表現ができる人間というのは、大抵なにかに抑圧されたり、思い悩んでいる人である。あるいはひどく面倒な性格だったり、生きることに難しさを感じる繊細な人たちだったりもする。きっと多くの人々を惹きつけるあの莫大なエネルギーは、そういった部分からしか生まれない。あんな物を生み出せる人たちは幸せ者だと思う。

 私にはその創造の源泉がない。決定的に足りていない。

 私はそのちっぽけな嫉妬に対して、脳内で唾を吐く。この感情こそ自らが幸せな人間であるという何よりの証明であった。


 夜七時。

 創作は進まない。今は仕事の傍ら賞を目指して小説を書いている。何か目標があったほうがいいと思って書き始めた。

 しかし複雑な人情物語を描くつもりが、気付けばありきたりな説明文になっていて筆を投げた。つまらない。つまらない。なんで自分はつまらないんだ、そう思うことで自分は主人公になった気でいる。それこそが最もつまらないことなのに。

 全てに目を瞑ることにしよう。私は主人公気分のまま、東京メトロ丸の内線に乗って新宿・歌舞伎町へ向かった。この路線はなんだか『普通の人』ばかり乗っている気がする。気のせいだろうか。私もその中の一部なのだと思うと笑えてくる。マスクで隠した口角を少しだけ上げた。隠さずに電車内で笑えるほど狂えない。あの街に行けば変われるだろうか。夜はとっくに始まっていた。


 新宿駅で降りてサブナードという地下道を歩けば、ホストのような人やロリータを着た若い女子たち、そしてありきたりなサラリーマンまで群雄割拠、獅子奮迅であった。これらの四字熟語の詳しい意味はよく知らない。なんとなくカッコいいから小さく声に出した。

 階段を登って歩けば、ネオンが煌々と光る街が見えてきた。歌舞伎町に着いたらしい。どこがメインロードなのか、どれくらい治安が悪いのか、私はこの繁華街について何も知らない。

 インバウンドの観光客は楽しげにゴジラの写真を撮っている。薄汚れた居酒屋で坊主の店員があくせくと働く。クラフトビールを売りにしたバーには人が押しかけ立ち飲みをしていた。SNSで見かけた金粉を振りかける寿司屋もどこかにあるのだろうか。

 踏み締める歩道には時折タバコが落ちていた。私は喫煙者ではない。あの白い紙を咥えたことさえない。そんなところもつまらないような気がしてくる。道端にはだるそうにアイコスを売る営業マンがいて、土曜なのにご苦労なことだと思った。アイコスがセールだったので買おうかと思ったがやめた。いや、嘘だ。買おうとすら思っていない。買おうと思いたかっただけだった。ああほら、そんなところもつまらない。


 通りにはキャッチのお兄さんがいたが、垢抜けないメガネ姿の小太りの私なぞには声を掛けたりしなかった。彼らは無駄なことはしないのだ。それは至極当然のことであった。居酒屋探してますか?と聞かれたかった。いやこれも嘘だった。静かに過ごしたい。


 歌舞伎町タワーに行ってみた。初めて入るイカれたビルに、まるで当てつけのように『クールジャパン』があって笑えた。陽気な音楽が鳴り響くクラブのような空間で酒を飲む人々。DJがフロアを沸かせ、祭りのハッピを着た居酒屋の女の子たちが元気に客引きをする。カオスを煮詰めたような場所だなあと愉快な気持ちになったが、その感情は一瞬で過ぎ去ったのですぐにビルを出た。こんな場所を創作に活かせるほど、私は狂えていなかった。


 歩く人々の目がどことなくキマッている気がする。多分気のせいだろうが、もしかしたらそうではない人もいるかもしれない。ここはきっと、ラリっていないと自己を正常に保てないような街なのだろう。正常さという物差しが全体的に歪んでいる。それはつまらなさとは真逆だ。ひどく美しく、眩しいような……気はしなかった。

 数十分歩いても、私はただただこの街の異常性に気づくだけだった。楽しさも喜びも大して感じない。ああ私はつまらない。でもこの感覚こそが私を幸せな人間たらしめているのだと思った。これはきっと世間的に見れば誇るべき感覚なのだろう。


 そのまま帰るのも癪だったので、蛍光灯の色がやや茶色に濁っているような薄暗いコンビニに入った。一番安い棒アイスを買う。レジにいたアジア系の店員がニコリともせずに「袋いりますか」と聞いてきたので、「入れてください」と答えた。いつもならレジ袋に三円も支払いたくはないので断るが、ベージュ色の人生に少しばかりのホワイトを足してみたかった。店員のお兄さんが乱雑に袋詰めした小さなレジ袋には、青いパッケージのアイスが透けている。私にも白と青が足されていくに違いない。


 店の自動ドアを出てすぐにアイスの袋を開けた。舐めながら歌舞伎町を歩いてみる。これは私にとって正常さを乱すための薬だった。氷の感覚が舌に触れ、少し頭が痛くなる。しかし、何口食べようとも大して心地よさは感じなかった。ただ気まずさだけが私の背中に引っ付いている。誰も私のことなど見てはいない。気まずささえも置いてけぼりであった。

 特に何事もなく食べ切って、私は白いレジ袋にアイスの棒と袋を入れた。一瞬でゴミ入れとなったそのレジ袋を、手にしていたトートバッグにしまった。跡形もなくなってしまった。ポイ捨てなどできる人間ではない。この揺るぎないつまらなさには、むしろ誇りを持つべきなのかもしれない。


 再びサブナードへ降りて丸の内線の駅へ向かった。会社から支給された定期券で自宅まで帰ることにする。数百円さえ惜しかった。ホームへ降りるとすぐに電車が来た。吊り革に掴まり、マスクをつけたまま数分揺られ、最寄駅から黙々と歩いて自宅へ戻る。闊歩する閑静な住宅街は、いたって無害だった。


 はい、おしまい。

 私の抵抗は、あまりにも小さくて普遍的であった。これ以上のことは思いつかないし、頭の中で何かが爆ぜることもない。孤独や芸術とは無縁だ。単なる幸せ者によるないものねだりほど醜いものはない。

 今日の月はやけに大きくてまん丸い。


 ああ、あの人たちになりたかった。

 部屋の鍵を開けて、狭いリビングのくたびれた座椅子に腰掛ける。ポストに届いていた電力会社からの封筒を開けた。電気料金の請求書だった。支払いを忘れまうので、すぐに財布にしまう。明日コンビニに行って処理しなければならない。

 ああ、なんてベージュ色の人生なのだろうか。


 相変わらず筆は進まない。その代わりに、このくだらない文章が生まれてしまった。

 陳腐でクソッタレな人生。それは何よりも幸福なのだろう。きっとそうなのだ。幸せなため息ばかりついている。


 気が狂っている人よ、誰か教えてはくれないか。

 カラフルなネオンは美しいのかどうかを。

 そのハートマークは愛なのかどうかを。

 クールジャパンは本当にあの街にあるのかどうかを。


 答えはとうに知っているが、私は彼らに教えてもらいたかった。いや、嘘だ。本当は知らないままでもいい。空虚な狂乱に溺れる快感は、きっと私には一生分からない。


 ああ、どう足掻いたって幸せで満ち足りた日々よ。結局私はお前だけを愛して、外野から狂乱を見つめて、主役になった気になって、つまらないまま生きていくのだ。

 今日も明日も、私は何者でもない。それが一番幸福なのだと、きっと誰かが言うだろう。

 誰もいない部屋で、私はめいっぱい口角を上げた。


(終)




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