言葉
執行 太樹
小雨が降ってきた。日中の暑い日差しで温められた庭の砂利に、雨粒が1つ、また1つと染み入っていた。砂利に落ちたその1粒1粒から生ぬるい気体が湧き上がり、湿った空気がほのかに薫り立った。数日ぶりに訪れた夕立ちを、私は縁側に座ってぼんやり眺めていた。後ろの方では、妻が夕食の準備をしている。揚げ物のパチパチとした音が聞こえていた。
今年で55歳になる私は、同じく53歳になる妻と二人暮らしをしている。息子と娘がいるが、別々に暮らしている。息子は3年前に、娘は1年前に結婚し、それぞれ家を出て家庭を持っていた。今は、妻と25年ぶりに2人だけの時間を過ごしている。
妻に、夕食ができたと呼ばれた。私は食卓へ向かった。食卓には1枚の皿が置かれており、そこにはコロッケが盛り付けられていた。皿の端にはレタスとプチトマトも添えられていた。
おお、今日はコロッケか。私は心の中で、そう思った。私の顔が生き生きとしたからであろう、その様子を見た妻は私に言った。
あなた、これ、好きでしょう。
私はコロッケが好きだった。妻がご飯をよそっている間に、私は小さなソース差しを食卓に持ってきた。私は先に椅子に着いて、妻が来るのを待った。妻が味噌汁を2人分持ってきた。
サラダ、味噌汁、コロッケ。食卓に料理が揃った。椅子に座った妻が、いただきますと手を合わせて言った。私も続けて、いただきますと言った。
私は、皿に盛られたコロッケを見つめた。コロッケを見ると、私はいつも父を思い出す。
あの日の夜の父のことを・・・・・・。
私は、父と母と妹の4人家族だった。父は、頑固な人だった。仕出しの仕事をしていて、いつも朝早く起きては、仕出しの準備をしていた。母は、優しい人だった。頑固者の父にも、上手に付き合っていた。父は、私や妹には厳しかったが、母に対して強い口調を使っているところは見たことがなかった。
父はあまり話をしなかった。機嫌が悪いのか、いつも無口だった。家では、仕出しの仕事が忙しく、家族で出かけたことは、ほとんどなかった。小さい頃、ごくたまに遊園地や海水浴などに出かけたときも、母と話した記憶はあっても、父との会話の思い出は一切なかった。父は、寡黙な人だった。
私が中学1年生の夏、父が急に倒れた。母が急いで救急車を呼び、父は近くの大きな病院に運ばれた。私達は手術室の前で、治療が終わるのを待った。手術が終わり、病院の先生が手術室から出てきた。診断結果は、脳梗塞だった。なんとか命はとりとめたが、いつ意識が戻るかはわからないと説明した。
先生からの聞き慣れない言葉を聞いて、私は困惑した。父は、どうなってしまうのか。助かるのか。私は不安になっていた。妹は、すすり泣いていた。しかし、母は違っていた。母は、終始無言だった。ただただ先生の話を、最後まで黙って聞いていた。そして、先生が話し終わると、母は一言、ありがとうございましたと頭を下げた。その声は強く、たくましく聞こえた。
私達家族は、毎日病院に見舞いに行った。しかし、父の意識は戻らなかった。それでも、毎日毎日、見舞いに行った。そして、1週間がたったとき、父は奇跡的に意識を取り戻した。しかし、脳梗塞の後遺症として、父は話すことができなくなっていた。言葉を失ってしまっていたのだ。これには、私も妹も母も何をして良いのかわからず、ただただ悲しい気持ちになった。何より、父が一番つらかっただろう。母は、このことについては何も言わなかった。話ができないということが、どれほどつらいことなのか、私には考えられなかった。
その日以降も、父は入院した。そして、また話しができるように、また文字が書けるように、リハビリに取り組んだ。嫌いなことは一切しない性格だったあの父が、毎日毎日、黙々とリハビリに努めた。しかし、父が言葉を取り戻すことはなかった。
入院して半年後がたち、父は退院した。入院できる期限が過ぎたためだった。私達は、また4人で暮らすこととなった。父が家に帰ってきてからも、定期的に病院の人がリハビリにやってきた。しかし、状態は一向に良くならなかった。
父は、日に日に、目に見えて衰えていった。精神的に追い込まれていたのだろう。無理もなかった。昔の頑固な父の姿はどこにもなく、弱々しく変わってしまった。私達はそんな父のことを、どうすることもできなかった。
父が家に帰ってきて1ヶ月ほどたったある夜、私はトイレに行きたくなり、目が覚めた。自分の部屋から出て、トイレに向かっている途中、ふと居間の豆電球がオレンジ色に薄暗く灯っていることに気がついた。
私は何気なく中を覗いた。居間には、誰もいなかった。誰かが電気を消し忘れたのだろう。私は豆電球の灯りを消すために、居間の真ん中へ進んだ。その時、居間の中程にあるちゃぶ台の上に、短い鉛筆と1枚の紙が置かれているのが目に入った。
私は気になって、ちゃぶ台からその紙を取り上げた。その紙には、何か薄い書き込みがあった。しかし部屋が暗かったため、何が書かれているかわからなかった。私は豆電球を明るく切り替え、目を凝らして紙に書かれてるものを見つめた。
紙には、こう書かれていた。
きょう ころっけ おいしかった
私は驚いた。書かれている内容にではなく、その文字にだ。手紙に書かれていた文字は、父のものだった。筆圧が薄く、細く、指でこするだけで消えてしまいそうな頼りない文字だったが、それは紛れもなく父のものだった。途切れ途切れではあったが、懸命に書いたことが伝わる文字であった。気がつくと、私は涙を流していた。なぜ泣いていたのか、私はわからなかった。
しかしその後、父が文字を書いたり、言葉を話したりすることはなかった。あの夜のことは、夢だったのかと疑うほどだった。そしてその1ヶ月後、父は亡くなった。家族に見守られながら、父は静かに息を引き取った。
私は母と妹と、病院の先生に父の訃報を伝えに行った。先生は、小さな部屋に通してくれた。私達は差し出された椅子に座り、母が父の最期の様子を先生に伝えた。先生は少しうつむいて、そうですか、と一言だけつぶやいた。母は、ありがとうございましたと頭を下げた。
話しが終わって、皆が椅子から立ち上がろうとした。するとそのとき、おもむろに母が話し始めた。
あの、先生・・・・・・。先生は、母の方を向いた。
母は1枚の紙をポケットから取り出し、これを見てほしい、と先生に差し出した。それは、丁寧に四つ折りにされた、小さな紙だった。先生は不思議そうに母から紙を受け取り、広げて中身を見た。少しして、先生は驚いたような表情を見せた。お母さん、これは、と先生は母に尋ねた。
私はそのとき気付いた。その紙は紛れもなく、あの夜に父が書いた紙だった。母も見たのだ。そして、ずっと大切に持っていたのだ。あの日の夜、父が書いた、あのメモを・・・・・・。家族に向けて、一生懸命に思いを伝えようとした、あのメモを・・・・・・。
母は、ゆっくりと話し始めた。
その紙に書かれているのは、夫の文字です。あの人が倒れてから、唯一自分自身で書いた文字です。たった一度だけ、自分で書いた言葉なんです・・・・・・。
先生は、渡された紙に目を落としながら、黙って母の話を聞いていた。母は続けた。
この紙に書かれているのは、ただの文字ではありません。この紙には、父の思いが書かれているんです。おそらく・・・・・・、おそらくですが、夫は自分の思いを伝えたかったんだと思うんです。どうしても、家族に伝えたかったんだと思うんです。思いは、言葉となって人に伝わると思うんです。そのことは、父が1番感じたことだと思うんです。
母は、先生をまっすぐ見つめていた。先生は少しうつむきながら、母の言葉を黙って聞いていた。そして、顔を上げて応えた。そうかも知れません、いえ、きっとそうだと思います。
私は、母と先生の言葉を、ただただ黙って聞いていた。
いつしか雨は止んで、空は濃紫色に染まっていた。かすかに夜風が吹き、その風に揺られた風鈴の音色で、私は我に返った。
妻は私の方を見ていた。そして、早く食べないと冷めてしまいますよ、と声をかけた。
私は手元に置かれた皿に盛り付けられたコロッケを見た。そして、食卓に置かれたソース差しを手に取り、コロッケに少しかけた。箸でコロッケを取り、1口食べてみた。コロッケは温かく、いつもの優しい味だった。
おい。私は妻に声をかけた。妻は、私の方を見た。
このコロッケ、美味しいな。
妻は、ただ私の方を見て、そうでしょ、と優しく微笑んだ。
いつも、ありがとうな・・・・・・。
私は、庭先の縁側に腰を下ろして、雨上がりの夜空を眺めた。庭の草むらのどこからか、鈴虫の音色が聞こえてきた。私の後ろの方で、妻が食器を洗っている音が聞こえてきた。
居間には、仏壇が置かれている。仏壇には、頑固な父の写真が、優しく微笑む母の写真の隣に並んで飾られてある。
明日は、迎え盆である。
言葉 執行 太樹 @shigyo-taiki
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