第2話 いとこはニートですが探偵です

 カラカラ、と引き戸を開けると、優しい木の匂いが舞った。と同時に飛んでくるよく知った声。

「おっ冬菜!お客だぜ、マスター」

「何が『お客だぜ』だ。今日は定休日だ」

 湊くんの言葉に返したのは、野太い声。目をやると、小柄な湊くんがちょこんとカウンター席に座っているのに対して、のっと大きな図体を揺らしてカウンター奥に立っている男がいる。この人こそ、ここの和洋喫茶のマスターだ。

「改めて、今日からお世話になります。紫冬菜です」と頭を下げた。するとマスターは突然オロオロして、「あっいや。もともと宿屋だったのを改装してるから空き部屋多いし、そんな大した店でも部屋でもないんだが……」と言いだした。

「なんだい、マスター。もっと誇っていいんじゃないか?なかなか素敵だぜ、ここの内装は」

「君が言うとどうも茶化してるようにしか聞こえないんだよ……」

 わたしはそのやりとりに思わず微笑みを浮かべた。

 荷物の運び入れの際に助けてもらっていたから、既に顔見知りではあるけれど、まだよくマスターのことは知らない。わかっていることと言えば、お茶の水でも指折りの和洋喫茶店『TeaCASE』のマスターであることと、建物の二階に湊くんが住まわせてもらっていること。そして二人が友人関係にあることくらいだ。

「まあしかし、あれだ、冬菜ちゃんも大変だったよな。親戚がてんやわんやなんだろ?今」

 マスターこと塩屋翔真さんがわたしに話題を差し向けてきた。そうですねと頷いた。

 

 あの事件から数日が経過し、わたしは夏休みに入っていた。一方で、紫家では目下大騒ぎが起こっていた。

 それも当然、紫省吾叔父さんが精神を病み、わたしと湊くんをナイフで殺害しようとしたからだ。正気ではなかったということで情状酌量もあったものの、家族にしてみればあまりに大きな腫瘍が内部にできてしまったようなものだ。加えて、その嫁であった加奈子さんも家を離れた。収拾がなかなかつきそうもない事態になったのだ。

 その騒動にわたしが巻き込まれないよう湊くんが提案したのが、わたしも湊くんと同様に、喫茶店のの二階の別の部屋で下宿することだ。そうすれば、アパート代などを紫家から頼りにする必要がなくなるし、家もそのままお茶の水にあることになる。あいにく湊くんも一人でお茶の水まで出てきた身で、小岩井家も遠くベッドタウンにある。だから身を寄せるなら、TeaCASEが最適だったのだ。


「でも、塩屋さんのおかげで助かりました。ありがとうございます。でもタダでっていうのはやっぱり──」

「気にしないでいい」マスターはぶんぶんと音が鳴るほど大きく手を振った。「湊の頼みでもあるんだ。聞かないわけにもいかないさ。それに、湊の言う通りこれが一番いい収まり方なんだろ?」

 マスターはどうやら、かなり湊くんに信頼を置いているみたいだ。過去に何があったんだろう……?

「湊くんも、ありがとう。きっと湊くんじゃないと、あのメールの内容だけであそこまで見通してしまうことなんてしてくれなかったと思う。本当に──」

「ねえ、冬菜ちゃん」

 突如厨房から飛んできた声に、わたしのお礼は遮られた。暖簾を潜って出てきたのは、ポニーテールの若い女性。片手にエプロンを下げる、目を引く美人だった。

「少し不思議だと思わない?」

「不思議、ですか?」

「だって小岩井くん、メールを読んだ時点でそこまで見通してたんでしょ?なんであなたにそのことを確認しようとしなかったのかしら?」

 湊くんがゲッと嫌そうな顔をした。「相原さーん、そげなこと気にせんといてくださいな」

 相原美保さんはじろっと湊くんを睨んだ。「わたしはね、あなたの実力は買ってるけど、性格までは信用してないの」

「あらー……」

 湊くんは背もたれにぐったりともたれかかった。

「たしかに、そう言われてみれば……なんで教えてくれなかったの?メールとか喫茶店で」

「いやー、それなー」ひどく言い渋っている様子だ。「まずメールはだめだろ?もし君を脅迫している人間がその場にいちゃマズイから。んで喫茶店でもさ、万一のことがあるじゃん?ほら──」

「翔真」鋭い号令がかかった。「お、おう」と躊躇いがちに湊くんへ歩み寄った塩屋さんは、その首根っこを掴んだ。

「もしそれ以上虚言を吐くようなら、小岩井くん」

 美保さんが湊くんに注ぐのは、出されたばかりのお冷のような冷ややかな視線。湊くんの顔が凍りついていくのが目に見えてわかった。

「はい、正直に」湊くんは機械的な口調で話し始めた。「そもそも初めから、あのメールを打った冬菜の傍に犯人がいるとは考えてなかったんだ。なぜって、『お話しがしたいけどいいかな?』とか『よかったら来て』だとかそんな消極的な言葉を、犯人の目の前で使ってみろ。小突かれて説教くらうぜ?それに喫茶店でも話すことならできた。たとえば、そうだな。最後のあれ、『コーヒーと麦茶』の下りのところ、あそこで言ってしまってもよかったんだよな」

「でも言わなかったのよね」冷たさが増した。氷が三つくらい加わった感じだ。もはや唇に氷があたるような。

「まっまあ、ほら。一番いいシチュエーションとかあるじゃん?初めて探偵の姿を冬菜に見せるわけだったし?な?最後の最後にどーんと来たらインパクトすごいだろ?ね?」

「翔真」再び号令がかかった。「おっおう」と返す塩屋さん。

「簀巻きにしといて」

「りょ、了解……」

 あらー怖い怖いゆるしてー。情けない断末魔が店の奥へと消えていった。わたしは思わずふふっと笑ってしまったが。

 あとに残った美保さんは、はぁと溜息をついて額に手を遣った。

「ごめんね、冬菜ちゃん。あいつ学校でもああだったのよね……治らないのかしら。頭の良さ故の遊び心」

「いえ、むしろ」クスクス笑いながら、「わたしは学校での湊くんを知らなかったので。あんなに頭良かったんだなぁとか、頭が切れるからこその陽気なところとか、面白くて好きです」

「そう」美保さんはちょっと頰を緩めた。「それならいいけど」

 美保さんは、湊くんの高校時代の同期らしい。そして今は、塩屋さんの婚約者だという。塩屋さんの家が代々受け継いできたTeaCASEの従業員の一人であり、まとめ役でもある。そんなしっかりした人だ。荷物の運搬でもお世話になった。

「けど小岩井くん、探偵としての評価は高いから……」

「そういえば、このお店と『共生』してるって湊くんが言ってました。一体どういうことなんですか?」

 えっとねー、と美保さんはスマホを使って店のホームページを開いて見せた。「これだね。『小岩井探偵窓口』。困ったことがあればなんでもご相談くださいだってさ。つまり」カウンターの端にある簾つきの座敷を指さした。「あそこで注文しながら、小岩井くんが探偵として相談に乗るの。そうすればわたしたちにも利潤はあって、その分わたしたちは彼の格安の宿代とする。もちろん外部での仕事なら彼の給料だけどね」

 ほら、とその評価コメント欄を開いた。

『縁談がうまくまとまりました!小岩井さんのおかげです!』

『もう見つからないと思っていた家宝が、探偵のアドバイスどおりに探したら見つかった。実に妙な手腕だ』

『噂通り男女のカップルが嫌いなところがあるみたいだけど、それを除けば完璧な探偵さんでした!』

「……カップルが嫌い?」

 そこのフレーズに引っかかって、呟いた。噂通りって、そんな噂が?

「そうなのよね。彼なぜか、カップル嫌いってことにされてるみたいで」美保さんも眉を寄せている。「べつにそうは見えないんだけど、依頼人となにかあったのかしらね?極端に女性を避けてたことがあるとか」

 ……あらー、と気の抜けた声を上げる湊くんを思い浮かべる。たしかに女っ気とかなさそうだけども……。

「でもそれよりも」急に美保さんが語調を強めた。「我慢ならないのは、小岩井くんの依頼の受け方なのよ!」

「依頼の受け方?」オウム返しに尋ねた。

「そう!あの相談窓口は、電話とかメールでの予約制なのよ。彼ったらね、その予約の時点で断ることがよくあるの。『嫌な事件だから』だってね」

「それがもしかして、カップル嫌いの噂の原因に──」

「いえ違うの。全く女とか関係なさそうなのに、断るの。依頼されてるんだからちゃんと受けたらって言うんだけど」

 その時、店の奥からバタバタと足音が聞こえたかと思うと、ぬっとマスターの巨体が現れた。若干慌てて来たようだ。

「美保!」

「翔真?どうしたの?」

「たった今、湊に依頼が来たんだけど……断ったらしい」

 また!と美保さんは顔を真っ赤にした。


「落ち着けよ、相原さん」

 のそのそとカウンターに戻ってきた湊くんは、非常にリラックスした様子だ。緊張感がまるでない。これから猛烈な批判を浴びせかけられそうなのに。

「ちゃんと話すからさ。ぼくだって心苦しいんだよ?でもね、依頼人と言う名をかたって茶番につきあわされるのは御免なんだ」

「茶番ですって?」

 席について、湊くんは語り始めた。

「まあ、ざっとこんな感じのやり取りだった。


『はいこちら小岩井探偵事務所です』

『お忙しい中失礼します、小岩井氏に依頼したいことがありまして……』

『はい、ぼくが小岩井湊、所長です。お名前とご要件を伺いますが』

『ええ、私は粟田村社の社長の秘書、山口と申します。依頼としては、社長からの言伝となりますが……』

『いえ、構いません。粟田村というと、けっこうな規模の会社でしたね。様々な事業に手を出していて──』

『そんなことはどうでも構いません』

 ぴしゃりと話を摘まれたよ。どうも、ぼくが先方の話を詳しくするのはお気に召さなかったらしい。

『社長が依頼したいのは、弊社社長の息女が行方不明になったことについてでして』

『ははあ。人捜し、ですか』

『ええ、ぜひともあなたに探していただき、できれば連れ戻してほしいと、社長がご指名でして。』

 生憎ぼくはその社長と面識はないから、その時は、人伝か、あるいは探偵を調べて探したのかなと思ったんだ。

『なるほど。依頼内容はわかりました。して、もう少し詳しいことを伺いたいのですが。例えば娘さん自身の情報などを……』

『そうですね。詳しいことはそちらで実際にお話したいと思いますが……御息女のおられる可能性の高そうな場所などもお伝えして、できる限りこちらも捜査に協力するつもりですので、ぜひ捜索していただけたらと』

『了解しました』

 この後だ。ぼくが断ったのは。

『報酬の件ですが』秘書さんがえー、とか言っている間ぼくは『お断りしますよ、その依頼』と言い放ってやったんだ。彼がぼくの話を遮ったのと同じくらい鋭くね。

 予想通り動揺した様子で、『いえ、でもあなたが適任だと社長が──』なんて言い張るもんだから、『どうせ駆け落ちかなんかなんでしょう?』と言ったら、ふっと一瞬無口になりなさった。それから絞り出すような声で、『どうしてそれを……』と。ぼくはさらに追い打ちをかけた。『そして、あんた方は娘さんの居場所も突き止めてある。いい加減な小細工でぼくを巻き込まないでいただきたい』

 ゔっとかえ゙っとか、妙な呻き声がくぐもって聞こえた。『図星かな?』と言って、それからお別れの挨拶をしたわけだ。

 まずは状況整理をしよう。某社の社長の娘が姿をくらまし、行方不明となっている。そしてまだ見つかっていないから、ぼくに捜索依頼をたった今、電話で行った。

 重要なのは、今現在どれくらい捜索が進んでいるか、だ。まずここで一つ目の疑義が生じた。秘書は、『御息女のおられる可能性の高そうな場所をお伝えし』と言う。つまりまだ、その彼女が一番見つかりそうな場所を探していない、ということだ。それなのにわざわざ、探偵を依頼するか?私立探偵に依頼するということは、あまり表沙汰にしたくないか、警察でも手詰まりの時だ。警察が既に捜索しているなら、ニュースにでもなっているはずだし──ぼくは毎朝テレビはチェックしている方なんだ──ほとんどの場所も探されているはずだ。だから警察にはまだ連絡していない。表沙汰にしたくないのであれば、探偵を雇うくらいなら自分たちで、それこそ秘書でもその場所に遣ればいい。自分たちは忙しい?その場所が遠い?社長の娘の一大事だというのに、そんなことを言っていられるものか。

 それとも、と考えた。彼らにとって、わざわざ仕事を蹴ってまで探す必要がなかったのではないか?すなわち、娘のくらました理由がわかっていて、自分たちで娘の居場所へ乗り込むよりも、探偵を乗り込ませたほうが、メリットが大きいということだ」

 美保さんが口を挟んだ。「それで、『駆け落ち』になるわけ?たしかに駆け落ちなら、相手の男について知っていれば、相手の男のいる場所とかお互いの共通項を当たって、会社の財力があれば、居場所は割と簡単に割り出せるかもしれないけど……」

「発想が極端に見えるかな?」湊さんは微笑んだ。「だけどね。どれだけ発想が跳んでいるように思われても、状況を完全に見つめていれば、自ずと唯一の真実が浮かんでくるものさ」

 彼は続けた。

「もう少し順序立ててみよう。まずは、なぜぼくを適任だとして雇おうとしたのか?そして、ぼくに『協力をする』という言い方が妙だ。普通、協力を仰がれるのはぼくの方じゃないか?まるでぼくに、案件を軽くするからぜひ依頼を受けてくれと言わんばかりの態度だ。そこにもどことなく、状況を放置する姿勢が現れている。……そもそも、一体ぼくに何をさせたいのか?どんな役目を押し付けたかったのか?

 この依頼には裏があるというのは、先の推理でわかった。裏があるということは、この依頼自体が、ぼくを何らかの形で誘導し、利用するためのものだということになる。

 さて、これを踏まえてもう一考してみようか」

 彼がニマニマしながらわたしや美保さん、そして塩屋さんの顔を眺めてくる。嫌な人だ。私は彼みたいな探偵でもなんでもない高校生だというのに、答えを知ってる問題を解かせて遊んでいる。本当に、いい性格だ。

 ……初めに考えるべきは、いったい湊くんは何にその『誘導』『利用』されかけていたのか、そしてなぜ湊くんが選抜されるに至ったのか、だ。これを、秘書の態度から考察すればいいはずだ。秘書、あるいは社長の意思は、娘が行方不明になったが自分で捜査するより、警察に頼むよりも先に、この小岩井探偵に依頼した。そこに何かしらの利点があるから。それは何なのか。

 秘書の言葉を思い出していると、はっとした。『御息女のおられる可能性の高そうな場所をお伝えし』というところ。なんだろう、この違和感は。たしかに、湊くんの言う通り彼らがまだ探していないということがわかるけれど、それだけじゃない。それだけじゃなくって──

「もしかして、娘さんは書き置きか何かで、自分の失踪の原因を知らせていた……?」

 わたしの言葉に美保さんはハッと振り向き、塩屋さんはぽかんとし、湊くんはにこっと微笑んだ。

 そう、それなら辻褄が合う。秘書のこの言い方は、娘さんがいなくなる原因がまったくわからなかったら決して生まれない。何かしらの流れがあって、社長たちは失踪の原因を知っていた。そしてその原因というのが、警察にあまり届けたいものではなかった。さらにそれは、彼女の居場所もある程度絞れてくるような情報であった。もしそうだとしたら、社長たちは既に、娘さんの位置を調査していることも考えられる。調査済みであれば、探偵に連絡してくる時点でもう、彼女の居場所は突き止められている、つまり彼らは、あえて探偵をそこに誘導しようとしたということになる。

「それで、駆け落ち、か……」

 だんだん読めてきた。だいたい、金持ちの娘の行方不明の原因といえば、いくらかに絞られてくる。誘拐か、自分探しか、痴情の縺れか。誘拐ならば警察に届ければいい。仮に探偵に知らせるにしても、誘拐なら誘拐と言うはずだ。自分探しも、違う。わざわざ探偵について調べてまで、他人にそんな娘を連れ戻させるような真似をするだろうか?百歩譲ってそうだとしても、そのようなことで、秘書が探偵に事情を隠して依頼しようとする理由もない。

 だが駆け落ちなら、彼が提示した疑問全てに答えられる。秘書の発言から、彼らは探偵に、この件を全面的に押し付けたようだ。それは、駆け落ち娘を見つけたはいいものの、どうやって引き戻そうか考えあぐねているから。彼女を見つけるところまでは協力するけれど、連れ戻す方は頼む、ということだろう。

 私はその推理を彼に話して聞かせてみた。すると彼はにやりと笑って、「上出来だ。そう、社長らがぼくにさせたかったのは、駆け落ち娘の捜索ではなく、連れ戻しの方だった。だがね、本来そんな身内のゴタゴタなんて、探偵の深く関わるようなことではない。人捜しまでが、探偵の仕事さ。

 そこで、ぼくという探偵が、社長のお眼鏡に叶ったわけ」

「でも、探偵っていっても小岩井くん、どこが他の探偵と違ってるっていうの?腕は素晴らしくても、それが駆け落ち娘の連れ戻しをするような探偵じゃなきゃ。あなたはそんなことしないでしょう?」

「ああ、当然しない。だがね、ぼくという探偵には、あるけしからん噂が流れてるんだ」

「けしからん噂?……まさか……」

「知ってるかな」彼は目を逸らして、苦笑した。「『小岩井探偵は、生涯独り身、アベックに対して強烈な憎しみを持っている』」

 私はそれを聞いてポカンとした。「……そうなの?」

「んなわけあるか。ぼくは現状に満足してる。ただ、火のない所に煙は立たないからなぁ」

「まあとにかく、そんな噂を聞いたから、社長はぼくを指名したんだろう。アベックを憎む探偵なら、人捜しで目標を発見した際目標が駆け落ちしていて恋人と一緒にいたなんてわかれば、無理にでも引き剥がそうと尽力することを期待してな。

 秘書の言葉にはもう一つ、引っかかる点があった。『連れ戻してほしい』という一言だ。この一言が明らかに、社長らが何かしら娘さんの事情を知っているようでな。誘拐など本当に危険が迫っているかもしれないような娘を連れ戻せなどとは依頼しない。探してほしいと頼むだけだ。とにかく安否確認したいからな。居場所だけでも知りたいものだ。

 結局彼らは、捜索対象が『駆け落ち娘』であることを隠し、暗に『連れ戻す』ことも依頼しようとしたんだ。普通の行方不明であれば、もしかしたら娘さんが危険な目に遭っているのかもしれないと考え、連れ戻すことを探偵はすぐに約束してしまう。だから、報酬もひとまとまり渡すと契約しようとしていたんだ。そうすれば、たとえ探偵がアベック嫌いでなくとも、契約のためにその駆け落ちを認めるわけにはいかなくなる。ましてアベック嫌いならば、迷いもなくその恋人同士を引き剥がし、娘を連れ帰ってしまうだろう。社長はそれを望んでいた」

 だから、断ったのさ。

 整然と結論をまとめた湊くんの横顔を眺め、思った。今の推理を、先程の電話中に行い、完結させ、依頼を断ったというのか。信じられないような速さだ。けれど、私はその推理を目の当たりにした。

 一見彼は普通の人と同じように電話に出て、依頼を聞いていたのだろう。しかしその依頼には裏があり、探偵を誘導して仕事以上のことをさせようとしていた。湊くんはそれに対し、冷静に、というかいかにも普段通りに、迷惑電話にでも文句をつける動作で依頼を断った。彼は、依頼の『裏』を完全に見破っていたから。

 美保さんは、いろんな意味で呆れたようだ。黙って厨房に入っていく。塩屋さんは「相変わらずすげぇな」と湊くんの肩を叩いていた。

 それにしても、一つ気になることがある。

「ねえ。さっき、『火のない所に煙は立たないからな』って言ってたよね」

「ん?ああ、言ったが」

「どうしてそんなアベック嫌いなんて噂が流れてるのかしら?まさか湊くんが意図的に……」

「違う違う」彼は笑って手を振った。「ぼくが嫌いなのはアベックじゃない。むしろ、幸せそうな二人組は大好きさ」

 湊くんは顔をそむけた。いかにも思い出したくないことを思い出してしまったみたいに、苦虫を噛み潰したような顔をして。

「ただね、いや~な依頼があったんだよ。ちょっと昔にね」

 それはまた今度話そう。そう言って彼は立ち上がった。



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TeaCASE 飯島英作 @ihd

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