短冊

黒心

短冊

短冊にはまだ何も書かれていないことを、不思議に思った。


適当な文言でも当てはめればいいのに、全くの虚無。それがどことなく曇った感情を呼び起こした。


白い壁紙にかかった一本の短冊に、竹とニスで出来た綺麗な短冊に、炭のひとかけらもないことが空しい。


崩壊した本の山に埋もれる服、たしか嬉し気に買っていたものだ。


飲み干された瓶ビール、いつもおいしいと語っていた。


あの石は、翡翠の小さな小さな石は靴の裏についていたらしい。


この短冊は、いつの思い出だろうか……








大きな木を登る私に向かって気をつけて、と大きな声かけをしてくれた人は家族を除いてただ一人、彼女だけだった。


幼馴染と世間では呼ばれ、仲の良さだけなら友人たちを遙かに超えるだろう。いつしか彼女と私は現代っ子の服を着て、街を練り歩いては片手に小さな買い物袋を吊り下げるようになった。


私は彼女のほとんどを知っていたし、彼女もまた私の全てを知る唯人、家族すら認知の範囲外も。行き過ぎた理解、とでもいうべきか。プライベート、個人が失われていたと思う。


すこし距離をおこうよ、と言った彼女の言葉に従い私は一旦旅をしてみることにした。距離を置く、その意味をそのまま受け取った結果だ。


四国、九州、関西、東海、甲府、越後、奥州。一か月間彼女と離れて過ごしたのは恐らく人生でこのときが初めてだった。生まれてから近場で、親共々の付き合いであった彼女と私は一つを数えるころに積み木を積んでいたようだ。


旅に出ている間は手紙でやり取りをしていた。昨今は電子機器の発達目覚ましく板のようもので賄えるらしいが、もちろん活用している、が、彼女と私の間のやり取りは決まって赤いポストに投函する古臭い手紙だった。


帰ったら見て欲しいなこの服を、綺麗で奇麗な青い服を、と。


最近は本にハマってる。母さんったら全部くれたんだよ、と。


瓶ビール溜まってます。全部飲み干しちゃうからね、と。


ある時、山登りの手紙が届いた。ボールペンではなく万年筆でかいた仄かに青みがかった黒っぽい文字で、手紙にしては長く告白にしては短かった。


昔、君と登った大きな山があったよね。今は宅地開発で小さくなったけど住宅街の名前でそれが残ってるの。お義父さんから聞いたときびっくりしたもん。あの魚を釣った川も、あのカブトムシを取った木も、走り回った小池も、思い出の場所は全部消えちゃってたんだ。悲しいって思ったけど、家に帰って靴の裏をみたら石が付いてたの。洗ったら緑色に光ってね。翡翠だよ、翡翠。次は写真で送るから、本当にきれいなんだよ。そうだ。今度、思い出の場所に行ってみない?一人で行くのは寂しいからさ。


私はそれを広げて汚してしまった。涙にぬれて蒼く滲み、もうほとんど読めないほどにぐしゃぐしゃになってしまった。


大きな木、樹齢百年を超す桜の木だけは切られずに残っている。


山の奥にひっそりと咲く白い花、小さな蕾、表面を触ると崩れてしまう幹。


齢を取った桜は今にも倒れそうで、土に刺さった栄養剤がキラキラ輝いている。


何故だろう。


この木はもう十年は咲いていないのに。


何故だろう。


まだ夏は遠いというのに、熱波のあまり飛び出した蝉がいた。孵化に失敗している。


垂れ下がった一本の短冊を手に取ると、炭で彼女の願い事が掛かれていた。


――長生き出来ますように

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短冊 黒心 @seishei

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