ボーナストラック
ボーナストラック
文化祭が終わりを待ちかねていたかのように、冬の寒さが顔を出し始めていた。学校の周囲を囲む木々はすっかり葉を落とし、頼りない枯れ枝が冷たい風に揺られている。
熱に浮かされて騒がしかった校内も、数日経てばすっかり落ち着きを取り戻していた。あの熱狂が嘘のように、平穏すぎる日常が続いていく。
私たち『水彩のよすが』はあの演奏でそれなりの反響を得ることができた。
具体的に言うと、ほとんど話したことのないクラスメイトから「すごくかっこよかった!」と声をかけられたり、すれ違う後輩が私の方をちらちらと見ながらひそめく姿を何度か見かけた。
まあせいぜいそのくらいのもので、喝采や称賛を浴びることもなければ、逆に激しく非難されるようなこともない。あの場にいた観客の大半は、とっくに私たちの曲など忘れてしまっていることだろう。
それでも私にとっては大きな一歩だった。おかげで自分がどちらに向かって歩くべきか、その方向がようやくわかったような気がした。
「灯里ー!」
「あ、京香。お疲れ」
「このままスタジオ行くよね?」
「うん。一緒に行こう」
「もち!」
バンドはおおむね順調だった。今はクリスマスのライブに向けて新曲を鋭意制作中。まだアレンジは固まり切っていないが、すでにとてもいい曲になりそうな予感がしている。
「そういえばさ、今日いきなり知らない後輩に声かけられたんだよねー」
「まさか、告白?」
「うーん、違うけど、限りなく近い」
私は驚いて京香の顔を思わず二度見する。
「文化祭の演奏感動しました、って、すごい熱量で言われたの」
「なんだ……」
それを聞いてすぐに安堵する。いや、告白だったとしても別にいいのだけれど、男にうつつを抜かしてバンドを蔑ろにされても困ると思っただけだ。
「それでね、何となく感じたんだ。この子はたぶん迷ってるんだろうなって。自分も音楽をやってみたいけど、自信がない。そういう顔をしてる気がしたの」
京香は口から吐き出した白い息を目で追いかけながら、嬉しそうに語る。
「だから言ってあげた。きっと歌える。私にだって歌えたんだから、後輩ちゃんも絶対歌えるよ、って」
こちらを振り返った京香は、歯を見せて無邪気に笑っていた。
「きっと、誰にだって歌える」
それは彼女があのライブで見つけた自分なりの答えだった。
「それならさ、私も歌ったっていいよね」
私は京香がほんの少しだけ自分の歌に自信を持ってくれたことが嬉しかった。先は長いだろうけど、私たちもいつか自分たちのことをちゃんと好きになれるのかもしれない。
「でもその子がボーカル志望とは限らないけどね」
「あ、その発想はなかった……!」
そんなくらだないことで笑い合いながら、私たちはスタジオへの道のりを歩いていく。
「そうだ。私も京香に一つ話しておきたいことがあったんだった」
「お、なになに!?」
ライブが終わった後に思い付いたことなのに、新曲を作っているうちにすっかり忘れてしまっていた。
「実は一つお願いがあるんだ」
「お願い?」
「そう。『あの曲』のこと」
文化祭のステージで最後に演奏した『あの曲』。
あれはどうやら京香が事前に仕組んでいたことだったらしい。
実行委員にも四曲できちんと申請していて、その分の時間をもらっていた。葵と結音にも説明をし、こっそり三人だけで練習までしていたというのだから驚いた。つまりは私に対するドッキリだったわけだ。
京香は「自分があの曲をやりたかっただけ」と言っていたが、明らかに私のためのアンコールソングだった。私が弥那のことを乗り越えて、『水彩のよすが』として再び音楽に向き合うための最後の一歩。京香はそれを後押ししてくれたのだろう。
「実は『あの曲』ね、弥那に曲名を付けてもらうはずだったの」
曲が完成した後も曲名を決められなくて、そんな私を見かねた弥那は「次会う時までに私が考えといてやるよ」と言ってくれた。しかし、その数日後に弥那は車に轢かれ、もう二度と彼女と会うことはなかった。
「ずっと『demo』のままなのも気持ち悪いでしょ。だから、京香が曲名を付けてくれない?」
あの曲は弥那に向けて書いた曲だった。でも今は、京香のための曲になった。
だから京香に曲名を付けてほしいと思った。
「うわ、むず……」
京香は眉間に皺を寄せながら、唸り声を上げて考え始める。
「別に、今すぐじゃなくても……」
「しっ! なんか出そうな気がするから……!」
それからしばらく京香が両手を組んで考え込むのを無言で待つ時間が続いた。
「とりあえずスタジオ行かないと……」
数分経ってもポーズが変わらないので、痺れを切らして口を開くと、京香はそれを制するように手を突き出した。
「……『雲の先まで』」
そしてぽつりとそう呟く。
「『雲の先まで』って曲名はどう? ちょっと、捻りすぎかな……?」
「ううん、すごくいいと思う」
少し自信なさげに言う京香に対し、私は真っ直ぐ目を見てゆっくりと頷く。
「なんか、自分が好きで聴いてた曲に名前を付けるのって変な感じ」
「でももうあれは京香の曲だから」
「いや、『水彩のよすが』の曲でしょ」
「そっか。そうだね」
京香の母親みたいな説教臭い言い方がおかしくて、笑いながら息を深く吸い込む。身体に入り込んだ冷たい空気が私の輪郭をはっきりとさせてくれた。
――ごめん。もう大丈夫だから。
私は誰にも聞こえないほど小さな声で、灰色の空に向かってそう呟いた。
ややこしい私はきっとロックに向いてない 紙野 七 @exoticpenguin
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