5-11
「ありがとうございます」
曲が終わると、一拍遅れてパラパラと拍手が鳴り出す。その間が観客の驚きと困惑を表していた。
でも私は火照る身体の中を満足感で満たされていた。やりたいことを、自信を持ってやり切るというのはこんなにも気持ちのいいことだとは思わなかった。
後は私たちの自己満足を、自分勝手に受け取ってくれる人がいればいい。
私が弥那の音楽に心を動かされたように、京香が私の曲に救いを感じたように、この音楽もまた誰かの心に小さく刻まれてくれたら嬉しい。
「えーっと……」
演奏を終えて、アンプの電源を落とそうと後ろを振り返ったところで、突然京香に向かってスポットライトが当たった。私は強い光に思わず目を細める。
「私って、つまんない人間なんです」
真っ暗な空間で一人光の中に浮かぶ京香は、ゆっくりと語り始めた。
「何かに夢中になるってことがなくて、好きとか嫌いとかそういう感情もあんまりないから、みんながいいっていうものがいいものだと思ってました。周りに合わせて、あたかも普通の感性を持ってる人間みたいに振る舞って、でも実際は全部どうでもよかったんだと思います」
――ちゃんと曲振りのMCもできるじゃん。
私は感心しつつも、どうして曲が終わってからこんな話をし出すのか不思議だった。
「そういう自分が心のどこかで嫌でした。だけど、それを変えようとするのは大変だから、今の自分がきっと身の丈に合ってるから、そういう風に言い訳をして諦めていたのかもしれない。このまま何となく生きていければ十分だって思ってました」
京香は少しずれたギターを抱え直して続ける。
「バンドを始めて、歌を歌って、音楽のことで友達と喧嘩して、ちょっとずつ自分が気付かないふりをしてきた自分自身が見えてきました。そのせいで色んなことに悩んで、苦しくなって、嫌な自分を嫌いになりそうになったりもした。それでもここにこうやって立って歌うことができたのは、葵っちと結音ちゃんがいたからで、灯里の曲を初めて本気で好きになれらからです」
そう言い終えるのと同時に、ゆっくりと弦を弾く。それは飽きるほど聴いた不協和音に近い浮遊感のあるコードだった。
「だから最後に感謝を伝えたくて、もう一曲だけ歌わせてください」
繰り返されるコード進行に、静かにドラムとベースが追従する。
「弾けるよね?」
京香は私の方を向いて悪戯っぽい笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「当たり前でしょ」
私は再び客席の方に向き直ると、三人の演奏にアルペジオを重ねる。
空を飛ぶクジラに憧れて
夢想する幸せを噛み締めている
もしも歌が歌えたなら
見える景色は違っていたのかな
こうやって音楽と向き合ってみても、弥那が見ていた景色がどんな風だったかはわからない。
空を飛ぶクジラに憧れて
無謀な夢を捨てられずにいる
遠ざかる君に追いつくように
無意味な歌を歌い続けている
きっと遠くへ飛んでいってしまうクジラは、どんなに近付いても大きさは変わらずに、憧れのままでいるのだろう。
それでも私はその空飛ぶクジラを追いかけながら、私なりの道を歩んでいく。
もしかしたら空を優雅に泳ぐクジラだって、クジラなりの苦悩があったのかもしれない。
自分と誰かを比べて羨んでいても仕方ないし、どんなに憧れたとしても、私は弥那にはなれない。
だから私は私にできることをやろう。私が歩ける道を進もう。私たちが奏でられる曲を作ろう。
そうすればいつか、私たちにしか見られない景色に辿り着くはずだから。
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