EP4:絆創膏は貼っておけ

永遠にサンダルを履いていたいと母に告げた所、「靴持ってない人だと思われるからやめなさい」と言われた。靴を持っていない人はサンダルしか無いという事実はどこにもないけれど、確かにどの用途でもサンダルを履いている人は靴が無いように見えるか。しかも段々寒くなって全員が靴下を履きそれを覆うように運動靴を要するのだから私は靴が無いように見える。


だがそんな私にもサンダルとさよならするタイミングがあった。それは、靴擦れである。


1番履いていた黒の厚底サンダルは、足の甲を横切るように3本の布で締め付けている。ペディキュアが見えるように足の爪を遠ざけて一本、空間を開けて一本、足首に差し掛かる所で一本。その最後の一本は私の生き様と相性が悪く、布に擦れて靴擦れが出来てしまった。しかも両足。


それでも私がサンダルを履き続けていたのは「自分の脳にバレなければ靴擦れなんてしていない」と横暴な思考回路だからだ。目的地まで己で脳を騙し続けて歩くことがほとんどである。


案の定靴擦れをしていた。しかも深く。


小さい頃は、用心深い母のもと育ったおかげで大きな怪我をしてもすぐに処置をされこの歳で「古傷が痛む、、」などとほざくような傷跡は残っていなかった。実家暮らしである今も、大きな怪我をすればどこからか救急箱がやってきて私の怪我は無くなっていく(1家庭1救急箱あると思っていたが違った、母が怪我の多い私のために用意していただけだった)。


大人になった今、怪我の処理をするのは自分である。だが母に比べて私は乱暴であるため、いつもなら痛くなきゃ大丈夫だと思って1日塗り薬無し絆創膏を貼って終わっていた。


だが今回はなんだか違う。塗り薬を投与し絆創膏を付ける生活をもう4日も続けた。3日坊主を越えた。


まだ自覚していない「大人になってしまった」を無意識に自覚しようとしているのだ。


大人になると体重が落ちない、記憶力が劣る、怪我が治りにくい。そんな話を大人達が話すのを見てきた24歳の私。まだまだそんなことはないと分かりつつ、これから歳を取った時「24歳、あの時サンダルで靴擦れをした所を必死に治していればこんな傷跡残らなかったのに」という言葉が未来の自分から聞こえてくるようだった。


確かに、経験や知識はあればあるほど良いけれど、傷って本当に要らない。大人になればなるほど要らない。骨折をして松葉杖を自慢げに見せられるのは制服を着て学校に通っていた時までで、大人になって傷を羨ましいと思う人なんていない。むしろ可哀想だと思う。


私は靴擦れを必死に治す。絶対に、後世に残さないようにと念じながら今日も絆創膏を貼った。

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◯月×日に私は 綿来乙伽|小説と脚本 @curari21

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