EP3:彼女の命は選択式
「いつになったら死のうかな」
彼女の命は選択式らしい。長く生きるも短く生きるも彼女の自由らしい。
「最長は何年なの?」
「短い方しか考えたことなかった。そっか、上限も考えないとか。んー、人って何年生きるの?」
「おばあちゃんは77歳で死んだかな」
「うちのおじいちゃんは99」
「長生きだね」
「1週間後に100歳の誕生日だったんだって。惜しかったなって言ってた」
「誰が?」
「……誰かさんが」
彼女は吹かれた風に靡いたスカートを抑える。彼女の左手でようやく揺れがおさまったスカートは、下から見れば下着が余裕で見える。今の彼女にとってはそんなことどうでも良いことだし、隣に座る私にとってもどうでも良い。
「やっぱビル風は強いな」
「そうだね」
「風って何考えて生きてんのかな」
「野生のキリンに何食べてるのって聞くくらい愚問だね」
「野生のキリンは木の葉っぱ食べてるでしょ」
「野生のキリンは自分が木の葉っぱ食べてると思ってないでしょ。そもそも、葉っぱ、木って名前がついてることも知らないし、日本語知らないよ言葉話せないんだから」
「ただ美味しいから食べてるだけってこと?」
「そう。流れに身を任せてさ、うめえ物をうめえうめえって思いながら食ってるわけ」
「雲も流れに身を任せてるだけってこと?」
「そういうこと」
「だから友達出来ないんだよ」
「え、関係なくない?」
私は彼女の横顔が一瞬にして溶けるよう願いながら睨み付けたが、彼女の表情も顔面の様子も一向に変わる様子はなかった。むしろ清々しい顔で目の前の空に写る雲を見つめていた。私は悔しくて肘で彼女を小突いた。
「やめてよ危ないでしょ」
「危ないことするために来てるんでしょ」
「違うよ。一旦危ない所に来てみて、ああここ危ないんだなって理解しようとしてるの」
「ああ危ないんだなって思えた?」
「あんたの肘が一番危ない事に気付けた」
「それは良かった、じゃあさ」
「私の肘がもう一度あんたの腕に当たる前に、地上に降りようよ」
彼女は私に黙って雑居ビルの屋上に来ていた。彼女は靴を綺麗に揃え、その横に缶ビールと遺書と電源の切れたスマホを置いていた。彼女と私は今、壊れかけの柵を越えてビルの端に座っていた。
彼女とは幼馴染だった。同じ場所に通っていたのは幼稚園までだけど、大人になった今でも心の中ではずっとそばにいるつもりだった。だから、彼女が世界に終わりを告げようとしていることも気付いていた。私はビルの柵から脚を出して座る彼女の横に座り、彼女の話をいつも通り聞いた。いつものように彼女の横で、いつものように彼女のことを小突いた。いつものように、いつものように。
「それを言いに来たの?」
「死ぬなって言っても聞かないでしょ」
「それ以外の言葉も聞き入れたことないよ」
「あんたは強情だからね」
「あんたもね」
「でも分かってるから」
「何が」
「言葉にしたくなさそうだから言わないであげてるの」
「だから何が」
「私のこと待ってたでしょ」
彼女の連絡はまちまちだった。LINEを滅多に返さない彼女への連絡手段はTwitterのDM機能だった。彼女がTwitterを見ているであろう時間目掛けてDMを送り、見かけた彼女に返信してもらう。なんの手間でもないし、もどかしくもない。それが彼女と私の当たり前なのだ。だから彼女から「ちょっと涼んでくる」とLINEが来た時、私はスマホだけを握りしめて走り出していた。彼女の連絡頻度と生死を彷徨う頻度は反比例することに、大人になって初めて知った。
「本当に死にたくなったら、座って空見る暇ないから。身を任せてる雲見れないから」
「なんで」
「死にたい人は身を任せてる雲を羨んだりする余裕は無いから」
私は彼女の横顔が一瞬にして凍り付くよう願いながら睨み付けた。私は空を雲を吹き荒れる風には一切目もくれず、彼女だけを見つめた。私にはそんな暇が無いからだ。
「帰るよ」
「どこに?」
「家は?」
「引き払った」
「マジか」
「私の周りにはもう誰もいない。私が今ここで飛び降りても、泣きわめく人がいない」
「もうちょっと周りを見る力付けてから死なないと、地獄でも友達出来ないよ」
私は彼女の腕を自分の肘で強く突いた。彼女は大きく揺れて、壊れかけの柵にしがみついた。
「あんたが死んだらこの世の終わりくらい泣きわめくやつがここにいるって」
私は立ち上がり彼女の腕を引っ張った。拾った遺書は粉々に千切って、昨日の雨で出来た水溜まりに捨てた。空になっていた缶ビールは荷物になるので転がしておいた。
「このビール美味しかった?」
「不味かった」
「最後の晩餐になる予定だった酒が不味いなんて。助かったって感謝して欲しいわ」
「助かった」
彼女は足を止めて私を見た。
「天国に行けるまで、生きるわ」
「一生無理だよ」
彼女は肘で私の腕を小突いた。
彼女の命は選択制らしい。長く生きるも短く生きるも彼女の自由らしい。でも選択肢に回答を出すのはこの私で、彼女の選択が間違っている場合は不合格。私の了承が出るまでこの世で補習を受けてもらうのだ。
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