エピローグ

 孤児院襲撃事件から一ヶ月が過ぎた。今日は孤児院に湯沸かし器の魔導具を取り付けるため、大工と魔導具師が作業をしている。

 その作業の邪魔にならないように、私は子供達と一緒に中庭で過ごしていた。穏やかな午後の光が降り注ぐ中庭の片隅で、薬草園を眺めながら子供達がはしゃいでいる。

 一ヶ月前に植えた苗や種は、すくすくと成長していた。


「すごいね、もう芽が出てるよ!」

「こっちは株分けできそうよ」

「がんばった甲斐があったね!」


 子供達は今日も天使そのものだ。微笑ましく思いながら、古びたベンチに座って眺めていると、エミリアが隣に腰を下ろした。


「ねぇアリーシャ、湯沸かし器の魔導具を設置してるのは分かるんだけど、ずいぶんと工事が大がかりじゃない?」

「あぁうん、お風呂を作ってもらってるからね」

「お、お風呂?」


 エミリアが目を見開き、驚いた表情を浮かべた。貴族ならともかく、平民のお家にお風呂があるなんて滅多にない。ましてや孤児院としては初だろう。

 私は「魔導具の報酬が思ったより多かったからね」と答えながら、みんなが喜ぶ姿を思い浮かべて口元をほころばせた。


 実際のところ、ロイヤリティーはすぐに入ってくるものじゃない、なのに、私のもとにはかなりの大金が振り込まれている。恐らく、セイル皇太子殿下からの迷惑料だろう。

 それを知らないエミリアは、苦笑する私が不思議なのか「そうなんだ?」と首を傾げた。


 あの後、セイル皇太子殿下は王都へ帰ってしまった。事業があるとか言っていたけれど、結局のところ、私を傷付けるのが怖かったのだろう。

 正直、私がかよわい存在だと思われているのは少しだけ腹立たしい。


「アリーシャ、久しぶりだな」


 ふと、私のまえに影が落ちる。顔を上げると、目の前にダリオンが立っていた。


「久しぶりだね。ちょっと機嫌がよさそうに見えるけど、なにかあった?」

「ああ。良い話と、悪い話に見せかけた、恐らく良い話がある」

「……なんだかよく分からないけど、場所を変えましょうか」


 作業の邪魔にならないように、私達は応接間へ移動した。窓から差し込む柔らかな光に包まれた応接間には、遠くから作業の喧噪がかすかに聞こえてくる。

 私はコーヒーを淹れて、ダリオンの向かいの席に座った。


「それで、良い話と悪い話っていうのは?」

「良い話と、悪い話に見せかけた、たぶん良い話だ」

「……よく分からないけど、良い話から聞かせてくれる?」

「ああ。私事ではあるが、俺の妹の容態が回復に向かっている」

「わあ、おめでとう!」


 心からのお祝いの言葉を送る。

 回帰前、魔力回復薬のレシピを完成させたのはダリオンだった。妹を救うことは出来なかったけれど、それでも同じ不幸が起こらないようにと最後まで研究を続けた。

 彼の執念が、回帰後の妹を救うことに繋がったのだ。


「……アリーシャ、おまえのおかげだ」

「私は取引をしただけよ。それに、助けられたのは私の方」


 窓の外へ視線を向ければ、中庭で笑うエミリア達の姿が見える。回帰前の私が失ってしまった景色だ。あれを守れたのはダリオンが孤児でしかなかった私の話を聞いてくれたからだ。


「ダリオン、私の方こそありがとう。とても感謝しているわ」

「……そうか。なら、俺は俺で勝手に感謝させてもらおう。またなにか困ったことがあれば、いつでも俺を頼ってくれ。必ず力になると約束しよう」

「ええ、頼りにしているわ。と言うか、取引のこともあるものね」


 彼とはきっと長い付き合いになるだろう。私はこれからもよろしくねと笑って、「それで、もう一つの話は?」と首を傾けた。


「そうだったな。おまえはいま、試験中だっただろう?」

「もしかして……?」


 孤児院の院長として認められたのかと期待した。

 だけど――


「おまえを院長に認めるのは見送りとなった」

「……え?」


 私はとっさにその結果を受け入れられなかった。思わず聞き返す私をまえに、ダリオンは湯気の上がるコーヒーを飲んで息を吐いた。


「もともと、前院長が不正を働いた曰く付きの孤児院だ。しかも、警備隊がエミリアに嫌がらせをした件や、ごろつきの襲撃など、不審な点が多すぎる、というのが上の見解だ」

「……上、ですか?」


 この街の領主はフィオレッティ子爵だ。ただし、街には代官がいるので、そっちの判断かも知れない。そう考え、すぐに対策を考える。

 そんな私に対し、ダリオンが「落ち着け」と笑う。


「悪い話に見せかけた、おそらくは良い話だと言っただろう?」

「……そうでしたね。では、続きがあるのですか?」

「ああ。さっき見送りになったと言っただろう? という訳で、再試験だ」

「……それって、もしかして」


 ある可能性が脳裏をよぎった。そんな私を前に、ダリオンはニヤッと笑って席を立ち、応接間の扉を開いた。そこに、私が思い浮かべた人が立っていた。


「では、俺は席を外すとしよう」


 呆気にとられた私を横目に、ダリオンがそのまま部屋を出て行った。それとすれ違いに整った顔立ちの男性――セイル皇太子殿下が部屋に入ってくる。


「再試験の試験管を務めるセイルだ。……アリーシャ、また会ったな」


 いくつも言いたいことが脳裏に浮かぶけれど、私はその中の一つを選び取った。


「……思ったより早いお戻りですね」


 私が微笑むと、彼は回帰前にも見せてくれた優しい笑みを浮かべて、そっと私の頭に手のひらを乗せた。その手の温もりが、私に安心感を与える。

 だけど次の瞬間――


「お、ま、え、が、あんな手紙をよこすからだろうっ、がっ!」


 彼の大きな手が私の頭を締め上げた。


「あいたたたっ!? お、乙女になんてことをするんですか!」

「うるさい! 俺があの手紙を見て、どれだけ驚いたと思っている?」

「……ちょっぴり?」

「とてつもなく、だ!」


 頭をぐりぐりされた。私は苦笑して、ちょびっとだけやり過ぎたかもと反省する。そんな私を見て、セイル皇太子殿下が溜め息を吐いた。


「……で、あれはなんだ?」

「なにって……分かったから、ここに来たのではありませんか?」


 私が記憶している、回帰前に起きた出来事――つまり未来に起こる出来事の一部、災害や事件、隣国の襲撃や、第一皇子のクーデーターなどについて書き示した。

 ただし、最初の一ヶ月間で発生することは詳細に、それ以外は漠然としか書いていない。


「……まさか、予言までするとはな。おまえは聖女なのか?」

「いいえ。あれは乙女の勘です」

「事件が発生する日時まで言い当てる乙女の勘などあってたまるか」

「そうだとしても、私が聖女じゃないのは事実ですよ」


 聖女というのは、神聖な力を持って生まれた女性のことだ。ときに予言をすることもあると言われているが、基本的には治癒魔術が得意な普通の女性である。

 もちろん、私のことではない。


「なら、おまえは一体何者なのだ?」

「孤児院の院長ですよ。試験中の身ではありますが」

「……それを信じろと?」


 私は苦笑して、「警戒なさいますか?」と問い掛けた。正直、いまの私はかなりの影響力を持っている。セイル皇太子殿下が警戒する可能性も零ではなかった。

 だけど――


「するはずがないだろう。こんな物を渡されて」


 セイル皇太子殿下は溜め息を吐いた。彼が胸元から引き抜いた紐の先には、私が手紙の中に入れておいた指輪――皇族の証が入っていた。


「……あら? それは指輪ですか? 初めて見ますが、綺麗な指輪ですね」

「まったく。……だが、意図は正しく伝わった」


 皇族の証がなくても、皇族に戻れる可能性はあるだろう。だが、私の正統性は失われる。皇族の証がセイル皇太子殿下の手の内にある限り、私が彼の脅威になることはない。

 私がセイル王太子殿下に信じてもらうために捻り出した奥の手だ。


「それで……こんな物まで渡して、なにを考えている?」

「孤児院の院長として立派に働くことですね」

「それだけか?」


 問われた私は少し考え、あぁと彼の顔を見上げた。

 戸惑いが浮かぶ彼の顔にそっと手を伸ばす。


「貴方に、幸せになってもらうことです」


 セイル皇太子殿下が一瞬硬直する。


「……なんだ、それは」

「本音ですよ。貴方が皇帝になり、誰もが幸せに暮らせる未来を築くことを願っています。私は、貴方ならそれが出来ると信じていますから」


 回帰前は失敗したけれど、その原因は私が取り除く。そうすれば、セイル皇太子殿下は立派な皇帝になるだろう。私はその日を思い浮かべて彼を見上げる。


「……まるで、俺のことをよく知っているような口ぶりだな」

「知っていますよ。複式簿記の有用性に一目で気付き、即座に導入するばかりか、知識を提供した私にもちゃんと配慮をしてくださった方ですから」


 どちらも決して簡単なことじゃない。私は貴方の有能さを知っていると笑顔で伝える。その言葉に、彼の目がわずかに見開かれた。

 それから、なにかを慈しむような優しい顔になった。


「アリーシャは俺が皇帝になることを願うのだな?」

「ええ、それが私の願いです」

「……ならば、アリーシャ。おまえが隣で支えてくれ」


 彼の手がそっと私の頬に触れた。真剣な眼差しが私を見つめる。私はわずかに目を見張り、それからふっと表情を和らげる。私は彼に微笑み返しながら静かに答えた。


「引き受けましょう。私はこれからも様々な実績を上げるつもりですから」


 セイル皇太子殿下の表情が一瞬で怪訝なものに変わった。


「……………………どういうことだ?」

「ん? 私はこれからも、様々な魔導具やポーションを開発します。それを使って、様々な形で、セイル皇太子殿下を支援するつもりです。それをお望みなのですよね? あ、もちろん、予言の力も使いますよ。決して万能の力ではありませんが、自重をするつもりはありません」

「……ちっ」


 なんか舌打ちされたんですけど!?


「ちょっと、舌打ちってどういうことですか!」

「いや、おまえのポンコツぶりに呆れただけだ」

「なんかすごく失礼だ!?」


 抗議の声を上げると、セイル皇太子殿下は苦笑した。それから息を吐き、私の頬に手のひらを添える。その大きな手が、私の頬をそっと撫でた。


「とにかく、おまえは俺の協力をしてくれるんだな?」

「そのつもりです」


 彼は再び微笑み、私の頬を撫でながら「そうか。ならば無自覚のうちに外堀を埋めてやろう。気付いたときには逃げられなくなっていても知らないからな」と笑った。


「よく分かりませんが、最後まで支援いたしますよ?」

「……あぁ、そうだな。数年後のおまえがなんと言うか、いまからとても楽しみだ」


 彼の手の温もりを感じながら、私は「そうですね」と微笑んだ。

 

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二度目の転生皇女は孤児院で花開く 緋色の雨 @tsukigase_rain

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