じき生まれる

蒼井どんぐり

じき生まれる

 T大学の正門前に突然現れたその銅像は二宮金次郎像に似ていた。

 ただ、ところどころに違いが見受けられる。背中の薪は本のような形をしており、顔つきはどこか欧風で日本人には見えない。髪型は女性のように長く、結んだ先が顔の横から垂れていた。加えて、服装はおそらくアジアのものと思われる民族紋様の描かれた裾の長い服を着ている。よく言えば国際豊か、悪く言えばどこかチグハグな外見。

 しかし、見た目以上に人の注目を浴びたのは、彼(もしくは彼女)の生年月日が「2049年6月30日」だったことだった。銅像の製造日ではなく、元となった人物の誕生日だ。当時から見て、二十年以上も先、つまり未来だった。

 どういうことなのか。今となってはもう日常には欠かせないパーソナルアシストAI「ELOUISEエルイーズ」。当時はまだスマートグラスなどに搭載された汎用AIの一種でしかなかったが、物体認識精度は十分と言えるものだった。景色に目を向け、それを調べる、ということをまだ意識的に行っていた時代である。

 元々は通学中のある一人の学生がその銅像のことをスマートグラスの「ELOUISE」に聞いて、おかしなその誕生日を噂として広めたのがきっかけだと言われている。モデルとなった人物の"プロフィール"は名前はなく、ただ、誕生日の日付だけ。過去の偉人のように説明される、未来に生まれる人物。

 突如出現した銅像と誕生日の謎はすぐ、ネットの中で小さな話題となった。そもそも、未来の人物の肖像データを「ELOUISE」が返答すること自体がおかしい。学習データとして参照しているデータは社会的に流通した、信憑性のあるデータのみが厳選されているにもかかわらずだ。

  一説として、当時、都市伝説として噂されていた「インジェクション」と呼ばれる行為が原因ではないかと噂にあがった。汎用AIが乱立する時代、情報精査に97%以上の正確さを誇る時代になっても、AIが幻覚を見る存在しないデータを出力することもある。

 ハルシネーション。

 それを意図的に発生させるため、薬物学習データをAIに注射インジェクションする。システムの裏を書いた、認知のハッキングだ。

 「ELOUISE」ほどの大企業が運営する大規模なAIシステムに対し、そのようなことができるハッカーがいたかはわからない。しかし、銅像の現れた前日、夜中の校内監視カメラの映像から、大学管理の掃除用ロボが銅像を運んでいる姿が発見されたことが、よりその存在に説得力を持たせる結果となった。


「あれからもうしばらくなのに、今更あの像について調べているライターなんて、あなたぐらいなのではありませんか?」

 出現から二十年も経つ錆びた銅像を窓から覗きながら、T大学理学部生物学科の須崎教授はそう言って、手に持ったコーヒーカップを静かにおいた。

「ただ、私も毎日ここで見ているとはいえ、院を卒業した後は研究に没頭する生活になりまして。あれが若者の間で大人気になった時代はよく知らないんですよ」


 都市伝説が流布して後の、T大学は銅像の撤去をすぐには行わなかった。像自体やおいた犯人の正体の調査が大名目としてはあったが、それ以上に利用価値を大きく認めたからだった。当時は大学に"通う"人の割合は少なく、それによる校舎の維持のコストが大きな問題となっていた時代。突如として現れた、"客寄せパンダ"をみすみす手放すわけにはいかない。

 幸か不幸か、その銅像の噂に集まるように学生の登校率は上がり、大学の知名度も上昇、次年度の入学生の数すらも大きく増加する結果になった。

 その像は徐々に大学のシンボリックなものになっていった。元々二宮金次郎の像にも似ている。新たな学びの象徴。

 現在、あの銅像の人物がただの日本の一大学の噂から、世界中の若者から「WHOaUファユー」と呼ばれるムーブメントへと変化したのはそれから5年も経った頃である。

 どうやら、同じような銅像は世界各地でも目撃されていたらしい。それに、なぜか大学や学校などの教育機関に多く現れていた。

 世の中の不思議という不思議が高度なAIやテクノロジーにより解明され、詳らかにされていた世界では、この謎は、学生を中心にとても魅力的に映ったのだろう。日本と同じように、その噂は若者たちの間で話題となった。

 そして、その噂にかこつけて、あの銅像の人物の"架空の伝記"として「WHOaU」が書籍化、そして一気に映画化されると、人気は決定的なものとなった。今では、彼のアイコニックな姿を真似する若者さえ現れているという。

 今でもあの銅像の謎は世界中を熱狂の渦に巻き込んでいる。


「結局、あの銅像や人物は何なのでしょうか?」

 私がそう問うと、さあ?といった仕草で須崎教授は肩すくめた。「ただ、一つだけわかるのは」と彼は言い、目を細めた。

「彼の親ですね。まだ生まれてもいないのでしょうが」

「え、一体誰です?」

 私の言葉に答えず、彼は微笑みながらマグカップをテーブルに置いた。

「ハッカーの存在がどうあれ、『ELOUISE』がそう認識したから、あの銅像の人物の存在を皆、認識した。AIである彼女が物質であるあの銅像をそう定義し、私たちはあの人物に幻を見て、輪郭を与え、育んできました」

 彼は椅子を回し、窓へ視線を向けた。

「あれは、一体何の誕生日なんでしょうかね?」


 教授の研究室を後にし、校舎から出て、昇降口を左へと回る。そこにはさっきまで窓から見えていた、あの像が立っていた。

 見ると、ARの看板が空間にいくつか立てかけられているのが見える。「生誕祭まであと3年!」おそらく学生が空間に配置したものだろう。

 私はその正面に立ち、銅像の顔を見た。表情はなく、一心に本を読む姿。その姿は何かを象徴していたものなのだろうか。

 今、私が使っているコンタクト型のスマートレンズにも、「ELOUISE」は搭載されている。視線の先に映るのはあの日付。

 それは、どこか生々しい質感を持って、静かにそこに佇んでいる。


 <了>

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