第4話
「『この不可解な出来事により、農民たちの動揺を沈めるために、謎の嵐は「湖の主の祟り」と理由付けられ、祟りを沈める祭りが行われた。
湖から水を引き、干上がった田畑を潤し、その年の稲は豊作になった。
山頂には社と供養碑が立てられ、毎年祭りはかかさなかった。
そして、初代神主の西潟長吉所持の絵巻により、湖の由来が語られ、数ある民話の素になりました』――へー、そうなんだ」
パンフレットから顔を上げた俺は、青い湖面を眺めた。某所の巨大な湖の湖畔である。
「いらっしゃいませ!お二人ですね!」
快活な店員の声が聞こえた。湖畔に立つ喫茶店の、テラスである。
本日は快晴、レイクアクティブを楽しむ人々で賑わっている。
俺は民話の元になった土地を歩き回るのが趣味だ。今回は水神伝説の残る湖にやってきたのだ。
「お客さん、昔話に興味があるんですか?」
目の前に豪勢なパフェが置かれた。艶やかなさくらんぼやメロンが真白のホイップクリームを飾り、チョコムースとスポンジの層がガラスから透けて見える。黒髪の女性がお盆を手に、好奇心に満ちた目で見ている。
「ええ。ローカルな話を調べるのが趣味で」
確かこの店は、若夫婦二人で切り盛りしている。この女性は、奥さんだろうか。
「旦那も似たような話が好きで、店の本棚に自分の書いた本を入れてるんです」
良かったら見ていって、と奥さんは伝票を置いて戻った。
カウンターの奥に視線を動かすと、刈り込みの男性が、黙々とフルーツを盛り付けていた。
休みはあと2日。打診する時間はある。
ふと足元を見ると、水滴が転々と落ちていた。雨雲などひとつもない。
店の奥で働く夫婦に眼をやる。
脳内に、かつての夫婦神が人に紛れて喫茶店を経営している、などとファンタジックな想像が広がり、俺は手帳にアイデアを書き留めた。
「――おらに何をした!」
りゅうの口から、怒りの火の粉が吹き出た。
火傷や腫れの痕を覆うように生えた鱗、溶けて一本になった足、縦に割れた瞳孔に、赤い瞳がぎりりと法師を睨み付ける。
「利用するだけじゃ飽き足らず、蛇にして何がしたいんだ!?」
法師の肩に、蛇の尾が叩きつけられた。しかし法師はびくともしない。
「利用したのはすまなかった。だが、りゅうを亡者にさせたくなかったのだ」
「…亡者?」
「底を見ろ」
法師にうながされるまま、真っ暗な底を見る。二人の赤い目には、湖底の泥に蠢く無数の亡者が見えた。
「俺の力では、亡者どもを成仏させることは出来ん。適度に刈り取るだけだ」
「なんでそれが、おらを蛇にした事と繋がるんだ」
「沼で死んだものは亡者に成り果てる。俺と同じものになれば亡者にはならない。りゅうをそうしたくなかった」
法師はりゅうの目を真っ直ぐ見て言った。りゅうはひるんだ。
次の一言で、りゅうの頬は真っ青になった。
「だから俺の目玉を食わせた。りゅう、おまえは、俺と同じものになった。だから、蛇から龍になる途中なのだ」
「――――」
りゅうは口許を手で覆った。微笑む法師の片目は、窪んでいる。咄嗟に喉の奥に指を突っ込んだ。
「無駄だ」
「う、う――」
りゅうは涙をこぼした。喉の奥にどれだけ指をいれても、出てくるのは唾液ばかりだ。
そそのかされ、結果的に盗みを働き、拷問を受けて死んだ末に、生かした理由が「亡者にさせたくなかった?」
いっそ自分のことが分からなくなってしまえば、この沼から出られない現実にうちひしがれずにすんだものを。
「誰が…誰がお前なんぞ許すもんかっ!おらを騙して、余所の宝を盗ませたやつになびく訳あるか――うっ!」
りゅうの額がずきんと痛んだ。
恐る恐る額に手を伸ばすと、ぼこぼこした手触りに、小さな尖りを感じる。
「興奮するな。負担がかかる」
「ひっ……」
法師は頭に手を伸ばした。りゅうは後ずさり、岩壁にのけぞる。
「来るな!いやだ、眠りたくない……」
「もう肉体など無いのに、骨が折れるように痛むのだ。もう一度春が巡ったら、血肉が馴染む。何も恐れることはない」
りゅうは手を突っ張り、法師を拒絶した。しかし、怯える声は徐々に途切れ、しずかな吐息に変わる。気を失ったりゅうを横たわらせ、乱れた髪を整える。
冬の間に霊気を蓄えれば、りゅうは法師と同じ存在になれる。
龍玉と一体化し、龍から人にまで自由に変化できる、半人半龍の人でないものになる。
春の訪れを楽しみに、法師もまた眠りについた。あの日のような、朗らかなりゅうの笑顔を思い浮かべながら。
沼法師 葉(休止中) @suiden
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