第3話

「ほんとうです、沼のそばに住んでる、法師さまに、たのまれ――ぃ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛!!!!」


びりびりとひりつく痛みが皮膚の奥まで押し入ってくる。熱した火かき棒を背中に押し当てられたのだ。油の燃えるきつい臭いが鼻を突く。

裸で縛られたりゅうは、村の男衆に押さえつけられていた。痩せ細った、青くうっ血した脚で土間を蹴り、少しでも熱から逃れようとりゅうはもがく。


「嘘つくな!あの沼に法師なんぞおらん!」

「うそじゃない!ほんとうに、法師さまが、落として、倉も探し――ぎゃあ!」


青く腫れた尻に強烈な一撃が入り、りゅうは太股をくねらせて跳ねた。

続くりゅうの悲鳴をよそに、後ろで見張っていた男たちが囁いた。


「埒か明かねえ、もう倉の米も少ないぞ」

「……仕方ない。雨乞いだ」


男の目に怯えが走った。


「あれがなかった時、何人赤子を沼に捧げたと思ってるんだ!あの沼は牛馬は食わねえ、人だけが――」

「贄ならおる」


長の視線の先に、息も絶え絶えに横たわる、涙を流すりゅうの姿があった。




日は落ちようとしていた。

暮色に染まる沼を見下ろすように、崖が突き出ている。崖の上に幣が立てられ、真ん中に縛られた女が膝をついている。

松明の炎が人々の顔を照らした。老いも若いも、男も女も、子供ですら集まっていた。誰もが唇を引き結び、落ち着きなく目をさまよわせ、痩せこけた顔を晒している。


色褪せた水干を着た男が、祝詞を唱え終わった。

りゅうは男衆に引きずられた。崖の縁が近づいてくる。りゅうは首を振った。抵抗もむなしく、縁まで来てしまった。


おらが、馬鹿だったな。


りゅうはもうろうとした意識のなかで思った。


見知らぬ人の優しさを信じて、いいように使われたんだ。おらはここで死ぬんだ。おとうにも、おかあにも会えずに。

だから――ただでは死ぬものか。


りゅうは、ぎりり、と歯を食い縛った。


戦に飽き足らぬ領主も、家を焼いた侍共も、信じてくれなかった村人たちも、嘘をついた法師も――


全員、呪ってやる。


おらを利用した全てを、呪ってやる。

そうさ、ただで死んでやるものか。

くく、と喉から笑いがこぼれた。小さな含み笑いを聞き取った男は、りゅうのかっと見開かれた目と目が合った。


「ふふふ、うく、ふはは!あははは!呪ってやる!みんな呪ってやる!このけだもの!鬼!全員、許すものか――うぐっ」


男のひとりがりゅうの頭を殴り付けた。りゅうは倒れ込み、ぴくりとも動かない。


「やめろ!死んだらどうする!」

「でも、こいつがいきなり――」

「早くしろ!死ぬ前に投げればいいんだ!」


りゅうの不気味な笑い声と切羽詰まった声に押され、男衆はこぞってりゅうの身体を推し進め、ついに崖から突き落とした。

空中に投げ出されたりゅうは、ぼちゃんと音を立てて沼へ落ちた。

水の冷たさにりゅうは目を覚ました。頭を殴られて軽く失神していたが、まだ生きていた。


りゅうは水面に向かって顎をあげた。重石の石が、りゅうを水の底に引きずり込んでいく。

日の光が遠退く。口をあけても、入ってくるのは水ばかりで、木の葉や枝が口のなかに張り付き傷つける。

重い。苦しい。重い。

鼻も口も塞がれて、舌の根まで泥を詰め込まれているようだ。

頭があつい。苦しい。空気が、空気がほしい、胸一杯に空気を吸いたい、ああ――


りゅうは身体をくねらせながら、縛られた手足をゆすり、指をせわしなく動かし、深みに沈んでいった。



崖の上では、村人たちが固唾をのんで、りゅうが落ちた水面を見つめていた。

浮き上がる気泡はやがて小さくなり、ぷっつりと途切れ、静かな水面に戻る。

すると、空からぽつりと水滴が落ちた。





りゅうは未だに沈んでいた。

沼は、大人二人分ほどの深さしかない。けれど、重石は、陽光も射さないほど深くまで、りゅうを連れていく。

りゅうの意識はすでにない。魂だけが、首にかけられたしめ縄によって、肉体から離れられずにいた。

水底では、小さな声が響いている。

怨嗟の声、それは過去、沼に沈み、沼に捕らえられた、多くの人の成れの果て。

亡者の声が大きくなった時、巨大な影が横切った。


――呪いたいのか。


りゅうの顔近くに、赤があった。

それは大きな瞳だった。

青に沈み続けるりゅうの魂は、かすかに震えて応えた。魂には、もはや最後の苦痛と殺意しか残っていなかった。


それは、ゆっくりと瞬きをすると、重石ごとりゅうの身体をつかんだ。鰭を翻し、亡者に向かって丸太のような太い尾を振り下ろす。

強烈な一撃を受けた亡者たちは塵と消え、静寂が訪れた。


それは、りゅうと重石を繋いでいた縄を切った。次の瞬間には、そばに法師の姿があった。

法師は指を自分のまぶたに差し込み、眼窩から眼球をえぐり出すと、口に含んだ。

法師はりゅうの顔を見た。眉間に皺を寄せ、歯を食い縛り、目は落ち窪んで頬の筋肉は強ばっている。以前の朗らかな面影など欠片もなかった。

顎を掴み、薄紫の唇をがっぷりと覆い、歯をこじ開ける。唾液と粘液でぬるついた眼球を、りゅうの口内へ送り込む。

長い舌は、縮こまった短い舌を持ち上げ、眼球を喉の奥へ押し込んだ。

喉が膨らみ、眼球はすとんと胃の腑に落ちた。


「呪いたいのか」


りゅうはうっすらと目を開けて、法師を見た。






数滴の雨は幾ばくもしない内に大雨となり、干上がった田畑を潤した。

村人たちは歓喜に沸いた。これで食べ物に困らなくてすむと、安心して軒先に垂れる雨粒を眺めていた。

しかし、大雨は止む気配がなく、次第に強さを増し、滝のような豪雨へと変わった。

沼はまたたく間に水かさを増し、村のある高台まで競り上がっていた。

大風が吹き、地鳴りが響いた。隣村へぬける道が、土砂で埋まっている。

黒雲は山頂近くまで降り、立っていられない程の強風が、沼を波立たせる。


「やっぱり失敗だった。あの沼が、俺たちを食おうとしてる!それともあの娘が、本当に呪いを――」


戦々恐々とした村人たちは、我もと逃げ出そうとした。

しかし、溢れた沼の水が、陸の上を這い上がり、村人たちを呑み込んだ。


嵐は、近隣の村でも騒ぎになった。

山の頂きに黒雲が留まり、大風が吹こうともまったく動かない。

稲光の中に、何かの影を目撃したものもいた。

七日目の夜、ようやく嵐が収まり、八日目の朝、近隣の村人の静止も聞かず、若者が山頂へ向かった。道中の谷筋には、涸れていたはずの沢にちょろちょろと水が流れている。山頂にたどり着くと、そこには、朝日に輝く、碧の美しい湖が出来ていた。

目を凝らしても、人っ子一人みあたらず、人家の屋根も見えず、不気味なほど静まり返った湖だけが、さざ波を立てている。


「そんな……」 


若者はその場に崩れ落ちた。見覚えのある大杉が、幹の半分まで水に浸かっている。

ふらふらと岸辺まで降りると、泥のなかに、幣がぷかりと浮いていた。

若者はそれを見て、すぐに分かった。

村が雨乞いを行い、沼の怪異を怒らせたことに――


ぽちゃん。

遠くで水音がした。


ばっと振り返っても、水面には何もいない。

若者の顔に恐怖が浮かぶ。後ずさると、斜面を駆けのぼった。

しかし、泥や木の根に足をとられ、うまく進めない。

ぽちゃん。

先程よりも水音が近づいている。

若者はたまらず叫んだ。


「おれは知らねえ!知らなかったんだ!まさかあんたの宝を、親父たちが欲しがるなんて――ぎゃっ!」


若者は石をつかみ損ねて転んだ。急いで起き上がろうとするも、なぜか足が上がらない。

ぽたり。頭に水が落ちた。頬を伝って落ちた水の色が何色か、若者は見ることができない。

いつのまにか、若者はずるずると下に落ちていった。身体の下の土砂ごと、湖に引き寄せられている。


「喋ったな」


若者の耳に、年若い男の声が聞こえた。それは幼い頃、村に訪れて雨乞いを行った法師とそっくりだった。


「ひ」


ぱしゃりと大きな音を立て、若者は湖に落ちた。悲鳴はあぶくとなり湖面で弾け、ついにはあがらなくなった。





武者の掛け声の中、近隣の村から集められた男たちが、くわやつるはしを振るっている。

領主が侍共を追い返したが、破壊された水路を復元し、稲田に早急に種をまかねば冬の餓えは必須である。

そのなかで、へっぴり腰で土を掘る男がいた。おどおどと周囲を気にして作業が進まない。


「なあ長吉よ、何をそんなに怯えとるんだ。隣の侍が襲ってくるとか?」

「うん、いやなに、それがなあ」


気の毒に思った与平が声をかけると、長吉はかりかりと頭をかいて、もごもごと口の中で何か喋った。


「ここの村のやつら、ついにやっちまったなと思ってな」

「やっちまうって何をだよ」

「あいつら、何でかいつも稲の育ちは良かっただろう?」

「ああ。いつも偉そうに、薪代を吹っ掛けて来てたやつらだ」

「それが、旅の坊さんから奪ったお宝で、自由に雨を降らせているんだと」

「長吉、お前からかわれたのさ」

「おれは本当だと思ったよ。だって、あんなに怖い顔をした坊さんが、血まみれで人の後ろにおるのに」

「長吉」


与平は素早く回りを確認した。二人の他に人はいない。


「うん、わかってら。みんな気味悪がって、工事をやめたら俺の首がとんじまうよ」


長吉は恥ずかしそうに言った。


「だからあの時止めたのよ。行けば絶対にあの坊さんが許してくれないからな。あいつは、見えてなかったから、とうとう戻らなかったなあ」


与平はぞっとした。

工事を進めている自分達にも、よくない霊がよってくるのではないか。

長吉は言った。


「大丈夫だ、あの坊さんは、山の上の村人にしか興味ないもの。多分な」

「多分ってやめろよ長吉」

「俺にもわからん。だからびくびくしとる」


おれは怖がりだからなあ、と長吉は与平の後ろを見て言った。

































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