下
ゔー
蛸様の鳴き声(?)が聞こえる。見上げれば、灰色の空を
その視線を辿っていけば、“ゾワリッ”と背筋の凍るような瞳に射抜かれた。
それは、一つの眼球。
……ゆっくりと上空で浮遊しているその瞳。一見、(瞳が赤色なことを除いて)普通の眼球とはなんら変わりのないように見える。だが、よく目を凝らしてみれば、その瞳は数えられないほどの眼球が密集することで瞳の形を形成しているのだ。
これは、集合恐怖症の人が見たら間違いなく発狂しそうなやつだ。
いかん、現実逃避気味の思考だ。自覚した瞬間に脳内で情報処理が始まる。直したくない現実を見つめなくてはならなくなる。
目の前にいる“眼球”は明らかに上位の存在。それが蛸様より上なのか下なのかなんていうのは、私の理解できない領域にある。生物として何かが違う。明らかに、個としての完成を目指したかのような生物と言えば良いのだろうか。
これまでの生物を思い出してみれば、空飛ぶトカゲ、要塞のような亀、そして我らが蛸様、そして目前の眼球。群れてた龍は一旦外枠として、割合的にはどうも個を追求して進化してきた生物が多い気がするのだ。
もしかすると、もしかしなくてもだが、この世界の環境から適応した結果もしれないし、そう考えてみれば、世界の在り方としてはむしろ正しいのかもしれない。
蛸様と眼球の睨み合いに気圧されてか、思考が現実逃避にはしっているが、それでもなんとなく現状は理解してきた。
──そして光が視界を覆った。
…………さっき現状を理解したと言ったな。あれは、嘘だ。
何もわからない。
巨大な光のせいでまともに周りが見えなくなる。続いて、鼓膜が割れるかのような爆音が響き渡り、爆発したのだと理解する。
だが、何が爆発したのかなんてことはわかりはしない。
ただ、私は風に煽られるだけ。
蛸様に支えられていなきゃ大空の遥か彼方へ──それこそ、ばいきんまんのように宙を舞っていただろう。想像するだけで恐ろしい。だが、真に恐ろしいのは爆風によって空気が薄くなったせいで、そこに戻るかのように吹く風の方だ。
気がつけば、蛸様の体に「あばばばばばばばばば」と叩きつけられる。
我ながら、なんて見苦しい姿だろうか……。
前方では光が乱舞し、音が──およ? 聞こえんぞ? え? 鼓膜でも破れた? それとも、一時的なやつ? さっきの爆音のせいで、耳壊れた?
ないないない。え? ないよね?
信じられないと右往左往している間に、蛸様と“眼球”の戦いは苛烈を極めていく。
例えば、“眼球”から放たれた一条の光線が蛸様に逸らされて空に一筋の跡を残したり、オアシスの湖が真っ二つになって水底の大地を抉ったり、蛸様の住処である巨木の皮が焦げたり。……なんで焦げるだけで済んでるのかは謎だが。多分、異世界特有の物理法則無視の理不尽要素を兼ね備えているのだろう。なんて言ったって、あの蛸様の住処なのだ。そんなこともあるだろう。
それよりも、だ。どうやら戦いは新たな佳境に入ったようだ。
乱舞していた光線が消えていることと、(ようやっと回復した聴覚のおかげで)一切音がしていないからだ。
睨み合いかな?と、思い、蛸様の脇から“眼球”の様子を見てみると。そこには、ぐちゃぐちゃに焼けて崩れ落ちていく“眼球”の姿が!
眼球の寄せ集めが作っていた“眼球”はもはやボロボロ。あえてその様子を言い表すなら、『半壊』と言ったところだろうか。
だが、なぜだろうか。とてもイヤな予感がする。ゾワゾワと心の奥底で広がる得体の知れない恐怖、もしくは脳内に鳴り響く警鐘。どちらにせよ、間違いなくあの“眼球”はいけないものだ。いけないものが、生まれようとしている。
バクバク、と心の臓が鼓動を速める。
視線の先で、“眼球”は蠢いている。ぐちゃぐちゃと、半球から球へと戻ろうとするかのように。
黙って見ることしかできなかった。
蛸様も、異常を理解していながら、そのあまりに歪な何かに、手を出せないでいる。
そして──“眼球”は『ぐちゃり』と音を立てて凸凹な球となって
爆ぜた。
四方八方に、いくつもの眼球を飛び散らせて、オアシスへと落ちていく。
最初に、一つの大きな塊が大地に落ちた。
次に、その塊が溶けるように大地に染み込んだ。
そして、大地に一つの大きな目玉が生まれた。
落ちた全ての眼球は、そうして大地にいくつもの“目”を作り出す。
増殖し、大地を埋め尽くす。
遂には地平線の果てまで“目”で埋め尽くされた。
とても不気味である。
ぐにゃぐにゃと、大きさを、形を、変えていく。いくつもの目が合流し、一つとなり、それを繰り返していく。私はただ呆然とそれを見つめる。翻って蛸様は興味があるようで、視線が私と眼球とを行ったり来たりしている。
『そんなに気になるなら、行ってもいいよ』といった態度を期待しているのかもしれない。だがしかし! 私にそんな度胸はない。
蛸様がいなくなったら私は無防備。どうせよと? 必死でウルウルとした瞳で蛸様に訴えるしかない。
どうかお慈悲を〜。
私の願いは通じたのか、蛸様はここに留まってくれました。腰(と言うのはちょっと違うのかもしれない)をおろして、私の体に触手を巻き付ける。そしてそのまま蛸様の口元にまで連れられて、周りを触手で覆われた。
ん?
これって、外にいたらヤバいからって感じ?
それとも単純に非常食扱いされてる?
……どっちだ?
いや、ちゃんと考えろ。もしも非常食ならこの扱いはないのでは? というか、間違いなく骨だらけの私を好んで食べるはずがない。
つまり、お外は危ないと言う結論しかあり得ない……とまでは言えないが、私の残念な頭ではそんなことしか思いつかない。
だが、お外が危ないというのもあながち間違いではなかったようで、断続的に爆発音や破裂音が鳴っている。それだけではなく黒板を引っ掻いたような音、潰れるような音、水飛沫の上がる音、その他諸々の音が入り混じって聞こえてくる。一体、お外では何が起こっているのだろうか? とても気になる。
正確にはわからないが数分経って、ワサァッと触手が動き出し、私はお外に出ることができた。
目に飛び込んできたのは、先ほどとあまり変わり映えのない灰色のオアシスと、何があったのかと問いたくなるほど地形の変わった砂漠。
先ほどまではあったはずの砂丘は全てなくなり、クレーターがいくつも出来上がっている。凸が凹になったわけだ。
天変地異かと言いたくなるが、状況から判断するに、目の前にのほほんとしている蛸様と(おそらく)今は亡き“眼球”の仕業に違いない。
まったくもって、迷惑極まりない。
結局、“眼球”は何をしたかったのだろうか? チラリと頭を掠める戯言を追いやり、思考を切り替える。というのも、蛸様が何やら屈伸のように長い足伸ばしているのだ。
ググググッと伸ばしていた足を下ろすと
ダンッ!!??
と、樹洞の縁を蹴って灰色の湖へと身を投げ出す。
……Youは何しに湖へ?
止める間もなく、ジャボンと音を立てて着水。水柱が立った。
そして数秒後、ザパァッと二人分の背丈ほど大きな魚を持って飛び出してきた。
湖の中がどうなっているのかは知らないが、あれだけの大きさの魚がいるのだ。相当深いのだろう。しかも、結構ヤバめの魚が生息していそうだ。
蛸様や“眼球”と同レベルがいるとは流石に思えないけど、どうなんだろう? 世界的に見た蛸様の強さがどこら辺に位置するのかなんて知らないので断言はできないけど、いない、よね?
というか、蛸様より強い存在はいるのか? 今の所負けなし、こんな魔境で生き残ってるんだから強いんだろうけど……。最強かって言われると、とんとわからない。
そもそも、私は蛸様の本気見てないし。
と、つらつら考えている間に一口サイズとなった魚が目の前に。
ツンツン
目の前に差し出されたその白身魚で、骨がなさそうなところを手に取って、恐る恐る口に入れる。
……薄味。
真っ先に頭に浮かんだ言葉はそれだった。どこをどのように言葉を取り繕っても薄味でしかなく、それ以上の言葉を私は思いつかない。
モグモグと咀嚼を繰り返して、無理矢理喉奥に押し込む。今の感情は虚無に近い。ただ、蛸様が落ち込まないようにしようと思いが、私を突き動かす!(劇的風)それに、『どうだった?』とソワソワとこちらを見てくる蛸様の様子で、よりいっそうその気持ちは強くなる。
とりあえず、親指でも立てておくか?
残念ながら蛸様の反応は薄く、コテンと首を傾げている。どこが首かは知らんけど。
とまぁ、そんなこんなで不味くはなくただただ薄味で少し美味しいのかな(?)の魚を平らげる。後には骨しか残っていない。
不思議そうに骨と私を交互に見つめる蛸様。どうやら、私が食べないと気づいたようで、次の瞬間にはバキッ、と砕ける音と共に骨は口の中に放り込まれていた。
骨って美味しいのかな?
それにしても、異世界二日目の朝食は生魚でしたね。この調子でいけばかつての食事を懐かしむのもそう遠い話ではなさそうだ……。
🐙 🐙 🐙
生魚という、もし日本でやったら手抜きにも程があると言われる料理とも言えない何かを朝食として食べた後、私はなにもすることがなく空を見上げていた。
朝のうち灰色だった空は、いつのまにかオレンジに近い赤色になっていた。
どうやらこの世界の空色は移り変わりが激しいらしい。あの太陽(仮)も数日後に色が変わってたりしないよな? あり得そうで怖いぜ。
文字通り空に想いを馳せていると、蛸様が空をビュンビュンと飛んでいるのが目に入ってくる。
いまいち何をしているのかわからない。
お、およよ? 足で竜を捕まえている?
前記を訂正させて頂きます。『いまいち』ではなく『まったく』でした。この度は多くの……多くの脳内観客さんたちに多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳なく思っているところでございます。
瞳を閉じれば、そこには空席ひとつない舞台。ブーイングの嵐と共に、トマトや卵が投げられている。
というか、蛸様にとって竜というのはポテトチップス感覚なのだろうか? ポリポリと鱗や骨が砕ける音がする。私の真横で美味しそうに食べてやがる。
というか、蛸の口ってどうなってるんだろうか? はたと気づく。私はまともに蛸様の口を見たことがないということに。とは言え、蛸様と普通の蛸のくちが同じなのかは不明なんだけど。
真相は闇の中。
わかるのは、蛸様が骨もバリボリと食べられるというだけ。しかも竜という、これまた硬そうな生物を、だ。
とりあえず、私に竜を差し出さないことを祈っておく。渡されても困るだけだしね。そもそも、鱗なんて食えない。装飾品にはできそうだけど、加工できる技術を私は持っていないのだ。
ぶらんぶらんと足を揺らしながら再び空を見上げる。ゆらゆらと地平線から空が黄色くなっている。ボーッと見ていると、それはついに頭上までやってくる。
灰色と黄色とに真っ二つ。黒と白だったら神々の戦いとか茶化せそうなんだけど(我ながら笑い話にならんだろうが)。と、そんなことを考えていたからだろうか、お空の二色が渦を巻き出し、まるでラーメンに載ってるナルトかな? なんてことを思った。ちな、ナルトの白が黄色でピンクが灰色に変わってる、みたいな感じ。
っていうか、太陽(?)が頭上で燦々と照ってるのに空の色が変わっていくって、相当ぶっ飛んだ世界だ。この世界にはまだ一日しか滞在していないはずなのだが、今のところ常識が全て裏切られていっている感じだ。
もう、何も信じられない。信じて、生きてはいけない。この世界で生きようと思うなら、常識こそ最もいむべき敵であるとさえ思う。
渦巻いていた灰色と黄色はついに混じり合い、微妙に暗い色となった黄色が出来上がった。例えるなら、そう、バナナの皮が少しくすんだみたいなあの色。
なんとも言えない気分で、視線を空から大地へと向ける。そこには、くすんだ黄色の樹々が!
って言うか、空の色とオアシスの樹々の葉色が対応していたのだろうか? 昨日のことだろうと、記憶力を叱咤しウンウン唸ってみるも、思い出せない。
どうやら私は昨日の光景をもう忘れたらしい。地球と同じような景色だったと記憶しているのだが、自信が持てない。
ふと不安になる。
この世界は夢か幻かもしれなくて、ある日プツリと目を覚ますと現実に戻っている。なんてことが起こるかもしれない、起こらないかもしれない。
この世界は曖昧で、シャボン玉のように脆い。そんなような気がしてしまう。私は、夢でさえも痛みを感じるならば、この状態が夢でないことを誰が否定できるのだろうか? なんて考える。
思考がまとまらない。
うつらうつらと、意識が薄くなっていくのを感じる。
眠るのかもしれない。寝たら、もうこの夢は覚めてしまうのかもしれない。
夢じゃないかもしれない。保証はない。ただの希望的観測。
夢のほうがいいのかもしれない。肯定する私がいる。けれど、嫌だと言う私もいる。
──起きたら、この世界はどうなっているのだろう。
異世界漂流譚 二日目 碾貽 恆晟 @usuikousei
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