エピローグ
「学さん、ちょっといいですか?」
翌日の朝になって、登校する直前の学さんを、玄関先で引き止めた。
「なに?」
「あ、あの……、謝りたいことがあって」
「謝りたいこと?」
先ほどの朝食で水を飲んだばかりなのに、変に喉が渇く。
ごくんと飲み込んで、学さんをまっすぐに見つめた。
「初めて会った日に、運命の人だとかなんとか、変なこと言っちゃってごめんなさい……!」
勢いよく頭を下げると、学さんの制服のパンツだけが見えた。
瑞貴と気持ちが通じ合って以来、私には一切の赤い糸が見えなくなった。
糸がない世界は初めてで、それはとても不思議な光景に見えて、少しだけ寂しかった。
今でもまだ、学さんとの赤い糸が繋がっているのかは分からない。
「ずいぶん今さらだな」
その言葉と共に、ポンッと頭上に優しく降ってきた手のひらを感じて、頭を上げる。その先には、優しい笑顔が待っていた。
「いいよ、別に。そんなこと忘れてたし。妹の冗談に、一々気にするほど暇じゃないしな」
「えー、ひっど」
学さんの手のひらが乗っていたところを、余韻を確かめるために、自分でもさわってみる。
……あったかい。
「本当はね、私、お兄ちゃんが欲しかったの。……学さんみたいな」
「へー。よかったな、叶って」
「うん!」
「俺は、妹欲しいとか、思ったことなかったけど」
「そこは普通合わせるんだよ!」
くり出したポンコツな右ストレートは、ペチンとまぬけな音を立てて、学さんの手のひらでキャッチされた。
「つーか、なんでそんなこと、急に謝ろうと思ったんだよ」
「えーと、それは……」
ポッと頬が熱くなる。
目をそらして、小さな声を振り絞った。
「……彼氏が、出来まして」
「…………は?」
そんな会話をしている間に、瑞貴が迎えに来る時間になってしまったらしい。
「芙結ー! おはよ! 早く会いたくて、迎えに来ちゃった」
「あ、おはよう……」
手を振っていつも通りの調子でいる瑞貴に対して、照れ隠しをするために口に手を当てながらあいさつをした私を見て、学さんが察してしまったらしい。
「おい」
「えっ!?」
学さんは瑞貴の胸ぐらをつかんで、ドスの効いた低い声を出す。
突然のことに腰が引けた瑞貴は、冷や汗を流した。
「お前、俺の妹泣かしたら許さないからな」
「まっ、学さん!」
私の止める声を聞いたと同時に、ふんっとあごをしゃくって、学さんはひとりで通学路を歩いていった。
「ご、ごめん、瑞貴。普段は優しい人なんだよ」
「大丈夫、分かってるよ。いいお兄さんだよね」
首が詰まってしまったのか、ケホッと小さく咳をしながら、瑞貴は学さんの背中を目で追った。
「気に入られたいなあ。結婚したら、俺のお兄さんにもなるしさ」
当たり前のように笑う顔に、面食らう。
「小さい頃と、言うこと変わんないよね。ほら、学校行こう」
「えー、本気なんだけど」
瑞貴の不満げな声を背中に聞きながら、右手を空にかざした。
小指に見えない、赤い糸。その続く先は、きっと──。
*
早く登校しすぎたひとりの教室で、梨沙子は自分の右手を見て呟いた。
「まさか、芙結ちゃんにも糸が見えていたなんて」
梨沙子は、自分の右手小指に結ばれた、青い糸を見つめた。
「梨沙子と瑞貴くんには、青い糸なんだけどなあ。全部が赤に見えてたのかな」
梨沙子には、見えていた。入学式当日、隣同士に並んで、赤い糸を繋いでいる芙結と瑞貴の姿を。
そして、目の前で結ばれた、自分と瑞貴の青い糸が。
「若菜ちゃんと先輩は、黒い糸」
だから、あれは切れてよかった。切れたほうが、よかった。黒は、結ばれてはいけない相手だから。
青は、信頼。
「芙結ちゃんには、赤と青が一本ずつ」
図書室で見た、芙結の祖父母の写真。ふたりにも、青い糸が結ばれていた。
ただ、芙結の祖母の指にだけは、とても薄い色の赤い糸も見えた。長い間会わずにいると、糸は細く、色も薄れてしまう。再会すればまた、はっきりと見えるようにはなるけれど。
それは全部、梨沙子と同じ力を持った、祖母から聞いたもの。
そして……
「……自分の赤い糸は、見えないんだよね」
梨沙子は、昨日の出来事を思い出して、口角を上げた。
「あれっ? リサ、おはよう。早いね」
教室の扉から聞こえた声に、梨沙子はぴょんと飛び跳ねるように席から離れ、満面の笑みを浮かべた。
目の前には、赤い糸で結ばれたふたりがいる。
「おはよう、芙結ちゃん、瑞貴くんっ!」
END
嘘つき運命ごっこ 榊あおい @aoi_sakaki
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