空き缶を捨てる少女

 木星軌道スペースコロニーの中でも役場や、会社の事務所が多いD区画に着くころには、時刻はとっくに午前八時を回っていた。背負っているカバンが体にめり込んでいるのでは、と思うほど重たく感じる。擬似重力の操作権限が手に入れば楽なんだろうが、それはそれで責任問題も付属してくるだろう。それでは逆に荷が重いというものだ。

 D区画の更に奥。無機質な白い壁には先ほどまで貼ってあった管制課からのお知らせポスターは一枚もない。通路の明かりは煌々こうこうと輝いているが、今電気が切られればこの通路に幽霊が佇んでいてもおかしくない。そんな薄気味悪さがある。本当にこんなに人気のない場所に、目指す場所はあるのだろうか。

 ふと、通路の先に空き缶が落ちているのが見えた。やや透明感のある水浅葱みずあさぎの缶は巷間こうかんで話題の炭酸飲料だろう。それはともかく、この区画にはクリーンロボすら巡回していないということか。人型でなくとも、簡易型であれば予算もあるだろうに、これはアンドロイド課に……いや、施設整備課に報告する必要がある。

 何だかやりきれなさをぶつけてくれと言わんばかりに転がっている空き缶を、何の気なしに蹴飛ばす。勢いよく飛んだ空き缶は、T字路の壁にぶつかり、曲がり角の先へ消えていった。

「ふぎゃっ」

 同時に、よく分からない声が返ってきた。

「や、やばっ!」

 重たいカバンを支える手にぐっと力を込めて通路を走る。曲がり角を曲がると、そこには床にぺたんと尻餅をついている小さな女の子がいた。横に転がる空き缶からは、僅かに液体がこぼれている。

「……いたい、きたない」

 女の子は空き缶が当たったのであろう膝の辺りをぱたぱたとはたいている。肩までかかる銀の髪が同じリズムで揺れていた。やがて顔を上げると、白い肌の中に浮かぶ碧眼へきがんがじっとこちらを睨みつけてくる。うらめしや、と言ってくるかと思ったが、幽霊でもなんでもないただの子供だった。

「ごめんね、お嬢ちゃん。こんなところに人がいるとは思わなかったの」

 人が居なければ空き缶を蹴ってもよいというルールがあるわけではないが、少女は何も言わずにただこちらを睨みつけている。

「それにしても、どうしてこんなところに? ここは子供が入っていい場所じゃないわよ」

「……わたしは、子供じゃない」

 女の子は鼻息荒く立ち上がると、尻餅をついていたお尻を払った。どうみても身長は百二十センチもないように見える。

「どうみても子供なんだけど……」

 女の子は眉宇びうを寄せて呟く。

「……じゅーに」

「え? ジュース?」

「……ちがう」

「えっとね、ここはD区画といってお仕事をするのがメインの場所なの。商業エリアはB区画だから、お姉さんが案内してあげようか?」

 目線を合わせるために、前かがみになって優しくいったつもりだったが、女の子はご機嫌斜めのまま、同じ言葉を口にする。

「……十二! 来月には、十三になるの」

「じゅーに……って、十二歳!?」

 女の子は両手を腰に当てて、自慢気に頷く。この子の中では十二歳はもう子供ではなく、大人らしい。

 それにしても、一般的な十二歳の少女よりかは背が低いというか、全体的にパーツが小さい気がする。胸の成長はまだまだこれからという感じはするが、自分が十二の時はもう少し背も高かったし、ここまで子供っぽくはなかった。これでは、月面都市で人気のアトラクションの身長制限にひっかかる気がする。

 だが本当に十二歳の女の子だとすると、D区画にいるのはやっぱりおかしい。まさか本当に幽霊というわけでもないし、もしかしてこの区画で働く者の娘さんだろうか。いや、だとしたら一人にするはずがないだろう。職場体験の時期でもないし、ということはアカデミーから抜け出して迷い込んだ学生だろうか。

「うーん、もしかして迷子? 中央の区画エレベーターまで案内しようか?」

 女の子はふるふると首を振る。もはやその目には敵意すら籠っているように感じた。

「……知らない人についていっちゃいけないって教わった」

「別に何もしないわよ」

「……もう空き缶ぶつけられた」

 確かに。

「はいはい、分かったわよ。泣いたって助けてあげませんからね」

「……泣かないもん」

 私はきびすを返して目的地に向かう。ただでさえ時間が遅れているというのに、人様に迷惑をかけているようでは先が思いやられる。だが、目的地はもうすぐだろう。

 突き当りを右に曲がると、自動販売機とゴミ箱が設置されていた。ラインナップを見ると先ほどの炭酸飲料が四つも並んでいる。それだけ売れるということだろう。私の好きなアイスミルクティーもあったが、今は喉を潤している場合ではない。

 そのすぐ隣には、トレーニングルームAと書かれた部屋もある。その隣の壁に、D区画のフロアガイドが貼られていた。念のために手元の資料と見比べて場所を再確認する。思った通り、この先で問題はなさそうだ。

「なんだ、迷子か?」

 急に野太い男の声が聞こえて思わず肩を震わす。振り返ると、背の高い四十代ぐらいの男性が、スキットル片手に立っていた。

「いえ、迷子というわけではないんですけど、スペースデブリ課に向かうところです」

 毅然きぜんとした態度で言うと、男は僅かに目を見開いた。

「ふぅん、そうかい」

 茶色に染まった髪を掻き上げながら、値踏みするようにこちらを見ているのが分かる。手に持ったスキットルのせいで、遊び人のような印象だ。まさかこんな所でナンパというわけでもないだろうが、足の先から頭のてっぺんまでじろじろと見られるのは、何だかムズ痒いものがある。こちらも負けじと男を見上げるが、がっしりとした体つきは男らしく、頼りがいがあるように思えた。嫌いなタイプではないが、恋愛対象にするにはちょっとおじさんすぎる気もする。

「デブリ課ね……そこのお嬢ちゃんも?」

 そういった男の動きがぴた、と止まった。視線は私の隣に注がれている。つられて横を見ると、そこにはさも当然のように、先ほどの女の子が突っ立っていた。手にはさっき私が蹴飛ばした空き缶を持っている。

「えっ、お嬢ちゃんどうしたの。空き缶持ってついてくるなんて……もしかして復讐!?」

「……そんなこと、しない」

 女の子は首を横に振ると、銀の髪がきらきらと靡いた。更にこちらに近づいてきたかと思うと、持っていた空き缶をゴミ箱に放り込んだ。

「……ゴミは、ゴミ箱に」

 それをみていた男はぶっ、と噴き出して笑いだした。

「はっはっは! それでこそスペースデブリ課だ!」

 男はスキットルを上着のポケットにしまうと、まるでカバンを背負うかのように少女をひょいと持ち上げて肩車した。

「よーし、スプートニク発進!」

「……おー」

 二人は通路の先にぐんぐんと遠ざかっていく。全く声を掛ける暇もなかった。やっと思考が動き出したときには、二人の姿はもう点のように小さくなっている。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよー!」

 私は訳も分からないまま二人を追う。頭に残っていたのは、先ほど男性が言ったスペースデブリ課という言葉だった。

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