夏に飛ぶ
月峰 赤
夏に飛ぶ
「夏になる瞬間、わたしは地球にいなかった」
うだるような暑さの中、隣りを歩くミカの頭がついに沸騰したのかと思った。返事を返す気力も無く、横目でじっとねめつけると、暑さなんて感じていないような足取りでコナツの前に進み出た。
「知らない?新年になる瞬間にジャンプするやつ。あれの夏版!」
知っているから何なのだろうと、コナツは額の汗を拭った。
「意味が分からないし、それ小学生がやるやつだから。バカなこと言ってないで、さっさと帰るよ」
ミカの脇を通り抜けると、後ろからブーブー文句を言う声が聞こえた。
今日は朝から暑く、午後には30℃を超えた。その為中学校も半休で休みとなり、さっさと家に帰らなくてはならない。14時には最高気温が36度になるということで、今の内に帰らなければ今より酷い猛暑の中を歩かなくてはならなくなる。
バスも自転車も必要ない位に、二人の家は学校から近かった。昔なじみの二人は登下校を一緒にすることが多く、こうして今日も二人で帰っている。
コナツはスカートのポケットに手を入れ、スマホを取り出した。時刻は13時を過ぎていた。時計の横で小さく『32度』と太陽のマークを示している。
折り畳み傘を持ってくればよかったと後悔していると、後ろからミカが追いついてきた。
「コナツちゃん。今何時?」
持っていたスマホを覗き込んでくる。
「13時15分。あ、また気温上がった」
33度へと進化した数字に気を取られていると、横から伸びた手にスマホを奪われた。
目で追っていくと、不敵な笑みをしたミカが一目散に走り出した。
唖然として見ていると、ミカがこちらに振り向いて右手を口元に添えて大きな声を出した。
「せっかくだから!一番暑い所でジャンプしよー!」
言い終えるや否や、コナツの意見など聞かないとばかりに走り出す。その背中に手を伸ばすも届くはずが無く、真っ直ぐ進むはずの道を左に曲がっていった。
まだ諦めてなかったのかと、ミカの勝手気ままな行動にコナツは今日もため息を吐いた。
いつもそうだった。こっちの忠告なんて聞きやしない。そうしてあとで困ったことが起きて何とかするのはコナツの役目だ。無視してやればばいいのだが、今回はスマホを質に取られている。
「あっつ……」
ジリジリと音が聞こえてくるような陽の熱さに、軽く眩暈が起きる。
この暑さの中ミカ1人を野放しするのは危険な気がした。
曲がり角を見ると、ミカがこちらをひょっこりと覗いている。先に行って待っているのも、ミカの習性だった。
「さっさと済ませて帰ろう……」
帰りに奢らせようと心に決め、ダルイ体をゆっくりと動かした。
行先案内人の行く道が徐々に街から離れていき、自然が目立つようになってきた。その道を通りながら、まさかと思ったコナツの目の前に、木々に囲まれた上り坂が現れた。
そこは宮森丘と呼ばれるこの街を見下ろせる場所であり、頂上には広い空き地がある。そこは木々が無く、太陽の光を一身に浴びる場所であった。
今日の気温でそんな場所まで行くのは自殺行為である。通学路から外れた時以上の不安が押し寄せる。
早くミカを捕まえなくては。
意を決して、足を踏み出していく。少し進むと右に折れ、左回りの坂道が続く。内側は2メートルを超える石壁があり、その上には密集した木々や草木が生い茂っている。木陰に入ると、一気に気温が下がったような気がした。上り坂にも関らず顔を上げる余裕も出来、新鮮な空気を吸い込むと気力も出てくるようだった。
なだらかな道のおかげもあって、足取りは軽い。ここは普段お年寄りが散歩するコースに使われており、石壁の下には一定の間隔でベンチも置かれている。
ミカの姿はまだ見えなかった。一気に頂上まで向かっているのだろうかと思いつつ、ベンチに座ってカバンからペットボトルのお茶を取り出した。帰る前に学校の自動販売機で買ったもので、表面の水滴が冷たかった。
それを一口二口飲むと、一心地付いた。真正面の木々の隙間から、夏に照らされた街の様子が見える。またあそこに戻らなければいけないのかと辟易しつつ、重い腰を上げて再び上り始める。
大分頂上に近づいた頃、ベンチで横になっている制服姿を見つけた。やっと追いついたと、進む足が速くなる。近づいて気付いたが、ミカは目をつぶって額に手を当て、ふーっと口で息をしていた。お腹の上で、奪われたコナツのスマホが上下している。
「ちょっと、大丈夫?」
コナツの声にミカの目が開く。赤い顔で視線を彷徨わせるのを見て、熱中症だなと感じた。
「水……水をくれ……」
か細い声を出しながら手を伸ばすミカに、先程飲んでいたお茶を手渡す。
「全く、さっさと飲みなよ」
お茶を受け取ったミカは体を起こし、勢いよく飲んで行く。半分以上飲み終えて、ぷはーっと手の甲で口元を拭った。
「いやー、助かりましたよコナツさん」
演技臭いミカの頭を小突いてやろうとしたが、暑さでやられた頭には良くないだろうと思い留まった。顔だってまだ赤い。
「いいから横になって。涼しくなるまでここで休むよ」
取り返したスマホを見ると、13時50分。気温は35度を示していた。今から慌てて降りたところで最高気温とぶつかる羽目になる。夕方位まで休むのが賢明だ。その頃にはミカの体調も戻っているだろう。
流石のミカも涼むことを選んだようだ。我が物顔でペットボトルをおでこに当て、再びベンチに横になった。
その拍子に捲れたスカートを直してやると、ミカはえへへと笑い、そのまま眠ってしまいそうに目を瞑った。やれやれと、コナツはベンチの角に腰掛けた。
すぐ後ろの石壁に重たい頭と背を預けると、ざらりとした感触と心地よい冷感が伝わってくる。
はーっと息を吐きだしたほぼ同じタイミングで、横からふいーと気持ちよさそうな声が重なる。
やがて風が出て、枝葉がざざぁと音を立てた。道に降りていた陽の光があちこちに反射している。
ふと、コナツは頂上に続く道に目を向けた。気づけば高かった石壁も低くなり、その上の木々との距離も道とかなり近くなっていた。
もうすぐ頂上だという認識が、コナツの考えを改めさせた。
―ここまで来たなら、行ってみるか―
ミカは体調が悪い。ここで休まなくてはいけない。
ならば彼女の夢を叶えるのは、私の役目だろう。
というのは建前で、ここまで来させたミカに意地悪してやろうと思った。
コナツが立ち上がるのに、ミカは気付かなかった。
現在時刻は、14時になる5分前。
スマホを仕舞い、カバンを手に頂上へ向かう。
これまで以上に暑さが増してくる。木々が途切れた先が灼熱地獄に見える。
目的を果たしたら、すぐに戻ってこよう。
ミカが目を覚ましたら、すぐにこのことを伝えよう。
何で起こしてくれなかったのかと文句を言って来るだろう。
だからこっちも言ってやる。
ミカが心底、羨ましがるように。
「夏になる瞬間、わたしは地球にいなかった」と。
夏に飛ぶ 月峰 赤 @tukimine
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