第4話 東大寺大仏殿

 さて、今日はいよいよ奈良観光の本命・・それも、本命中の本命、東大寺の大仏殿です。てか、「東大寺の大仏殿!・・そんなの紹介されんでも知っとるわい」って声が聞こえますね💦


 確かに、奈良の近隣の人は遠足か何かで、遠くの人は修学旅行か何かで・・必ず訪問するのが、この東大寺の大仏殿です。おそらく、奈良を訪問する国内・国外の観光客で、東大寺の大仏殿に行かない人はいないんじゃないでしょうか!


 それぐらい有名な大仏殿なので・・今日は、さっそく近況ノートから行きましょう。


 今日の近況ノートはこちらです。

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093082091763846


 ①番は、大仏殿を背景にしたアホバカ妻です。中央の女性がアホバカ妻で、その左後ろの、スマホで写真を撮っているのは、知らない観光客の女性です。


 あらら・・「大仏殿は奥さんの影になって、奥さんは真っ暗で・・どっちも見えへんやん」という声が聞こえました(笑)。そうなんです。アホバカ妻が回廊の屋根の影になってしまっていますぅ。。。これって、素人が撮った写真・・の典型のような写真ですね(笑)💦


 で、気を取り直して・・大仏殿の正面が②番の写真です。写真の下に人が写っていますが、人と比べると、大仏殿の大きいこと!


 その大仏殿の前にあるのが、③番の八角燈籠。奈良時代の創建当時のものだそうです。国宝ですよ。


 さて、大仏殿の中には、大仏さまをはじめとして、大きな仏様が5体あります。奈良のお寺は大抵、仏像の撮影は禁止なのですが、なんと、なんと、ここ大仏殿は撮影がOKなのです(ただし、三脚使用はNG)。


 それでは、5体の仏様を順にみていきましょう。


 まず、④番は、盧遮那仏るしゃなぶつ、ご存じ大仏様です。ネットを見ると、廬舎那仏るしゃなぶつとは、「仏教の教えを実体化した存在」で、仏教の概念そのものなんだそうです。廬舎那仏るしゃなぶつの座高は約15 mで、なんとビル5階分ですって! 手の平は3 m以上、足のサイズも4 m近くあるそうですよ。


 さて、盧遮那仏るしゃなぶつの左には、虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつがおられます。盧遮那仏るしゃなぶつの左側から撮った写真が⑤番です。写真の左が虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつで、右が盧遮那仏るしゃなぶつですね。


 そして、盧遮那仏るしゃなぶつの右におられるのが、如意輪観音にょいりんかんのんです。盧遮那仏るしゃなぶつを右側から撮った写真が⑥番です。写真の右が盧遮那仏るしゃなぶつで、左が如意輪観音にょいりんかんのんです。


 盧遮那仏るしゃなぶつの左右の後方には、広目天こうもくてん多聞天たもんてんがいます。これが、写真の⑦番と⑧番です。


 実は、広目天こうもくてん多聞天たもんてんに、増長天ぞうちょうてん持国天じこくてんを合わせて、四天王と呼びます。四天王は東西南北の四方向を守護する仏様です。が、現在、大仏殿には、増長天ぞうちょうてん持国天じこくてんがいません(増長天ぞうちょうてん持国天じこくてんは頭部のみ、大仏殿の中に展示されています)。


 あっ、ここで、有名な小説家の永痴魔先生が来てくださいました。


 永痴魔先生をご存じない方は、こちらを見てね。

https://kakuyomu.jp/works/16816927863008912695/episodes/16816927863094278002

https://kakuyomu.jp/works/16818093078131799671/episodes/16818093078131876148


永痴魔 「やあ、ナガシマ君。久しぶりだね」

ナガシマ「永痴魔先生、こんにちは」

永痴魔 「①番の写真で、奥さんの顔が見えなかったのは残念だね」

ナガシマ「いえ、永痴魔先生に見ていただくほどのことでは・・」

永痴魔 「ところで、ナガシマ君。君は、東大寺の大仏が建立されるきっかけとなった大きな仏像が、日本にあったのを知っているかね?」

ナガシマ「えっ、すると、東大寺の前に、日本にそんな立派な仏像があったのですか?」

永痴魔 「そうなんだよ。東大寺の大仏、つまり、盧遮那仏るしゃなぶつは、聖武天皇の発願により天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われたんだ。しかし、聖武天皇が大仏建立を決意した背景には、河内国かわちのくに大県おおがた郡(現在の大阪府柏原かしわら市)の智識寺ちしきじ盧舎那仏るしゃなぶつ像を拝したことが影響していると言われているんだ。この盧舎那仏るしゃなぶつ像が東大寺の大仏建立のきっかけとなったとされているんだよ」

ナガシマ「へえ~、ちっとも知りませんでした。その、大阪府の智識寺ちしきじ盧舎那仏るしゃなぶつは現存していないんですか?」

永痴魔 「そうなんだ。残念ながら現存はしていないんだよ。でも、この智識寺跡ちしきじあとに関する説明板が、大阪府柏原かしわら市のいわ神社の境内に建てられていてね。この説明板の写真が、近況ノートの⑨番なんだ」

ナガシマ「うわ~、⑨番の写真は字が小さくて、ボク、読めまっしぇん💦」

永痴魔 「では、私の手元に説明板のメモがあるから、私がそれを読んであげよう。⑨番の説明板には、こう書かれているんだ。


********

智識寺跡ちしきじあと

 この付近一帯には、「智識寺」と呼ばれる有名な古代寺院跡があり、地名から太平寺たいへいじ廃寺はいじとも呼ばれています。

 奈良時代、聖武しょうむ天皇や孝謙こうけん天皇は、平城へいじょう宮と難波なにわ宮の往来の途中に柏原の地を訪れ、智識寺、山下やました寺、大里おおさと寺、三宅みやけ寺、家原いえはら寺、鳥坂とさか寺の六寺に礼拝らいはい来仏らいぶつされました。中でも智識寺には大きな盧遮那仏るしゃなぶつがあり、それを見た聖武天皇は、その立派さに感動し、奈良東大寺とうだいじの大仏を造るきっかけとなりました。

 智識とは、仏教を信仰し、寺や仏像を造ることに協力した人のことであり、智識寺は、これら智識によって建てられた大規模な寺院でした。

 智識寺は東西に二とうを排する薬師寺やくしじ式の伽藍配置がらんはいちであったと推定され、東塔跡の一部が過去に調査されています。出土した瓦から、千三百年以上前の飛鳥あすか時代末頃に創建され、室町むろまち時代頃に廃絶したようです。

 いわ神社の境内には、東塔に使用されていた塔心礎とうしんそを始めとする礎石そせきが移されています。

 平成七年三月    柏原市教育委員会

********


・・といわけだよ」

ナガシマ「この説明文に『智識寺には大きな盧遮那仏るしゃなぶつがあり』とありますが、ということは、この智識寺ちしきじ盧舎那仏るしゃなぶつが現存していたら、東大寺の大仏と並ぶ観光名所になっていたかもしれませんね」

永痴魔 「おそらく、そうなっていただろうね。でも、残念なことに、我々は智識寺ちしきじの大仏を見ることはできないんだ」

ナガシマ「わ~、勉強になりました。こういう歴史を知るって、面白いですね! 永痴魔先生、ありがとうございました」

永痴魔 「では、また・・」


と、永痴魔先生は帰って行かれました。


 今日はここまでです。今日もお付き合いをいただいて、ありがとうございました。


      (つづく)

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