最近のジェンダーは難しい、、、

@hydrangea0000

はぁ、、、っていう気持ち。

 最近、ツイッターを見てるとよく『ジェンダー』という文言を目にする。

 そもそも、ジェンダーとは、『社会的・文化的に形成される性別』(広辞苑より)である。そのジェンダーが、最近度々世間(ここではツイッターとする)を騒がせている。

 その内容とは自分の生物学的な性別と自分の文化的な(心理的な)性別が異なる「トランスジェンダー」と呼ばれる人たちの生活についてである。

 例えば、トイレの使用について、生物学的には男性であるが心理的には女性であるトランス女性の方で、女子トイレを使用したいが、世間がそれを許してくれないという意見がある。これはツイッター内のみで主張されているものではなく、訴訟問題にもなっている。経済産業省に勤めるトランス女性の方が女性トイレを使ってはいけないと経済産業省が下した判断は違法ではないかと訴訟を提起したことに対して、最高裁判所は、令和5年7月11日、経済産業省に勤務するトランスジェンダー1の職員の女性トイレの使用制限に関して、国の対応が違法だったとする判決を下している。しかし、この判決について、生物学的心理的共に女性の方を中心に議論が巻き起こった。

「生粋の女性の権利を軽視している」という主張や、「もう公衆トイレを使用できなくなった」という意見が私のツイッターのタイムラインを埋めたと言っても過言ではないくらいだ。

 さて、本題に入る。最初に述べておくが、私はトランスジェンダーという枠の中にはいない。そして、私はトランスジェンダーの方に限らず、世の中にはたくさんの「社会的・文化的」性別があると理解している。しかし、「生物学的」には2つの性別しかないだろうという意見を持っている。(もちろん反論も受け付ける。)

 これを前提に、一女性の意見としては生物学的女性の女性のみの共有スペース(例えばトイレや銭湯など)に生物学的な男性が入ってくるのはとても怖い。

 なぜ怖いか、対峙したときに男性に女性は筋力も骨格も劣り、負けてしまうからだ。

 トイレやお風呂という全くの無防備な格好でいる場所で、自分の身を確実に守ることが出来ないという状況は怖いとしか言えない。

 しかし、トランスジェンダーの方からすれば「自分も女性なのにどうして女性のスペースを使うことが出来ないのだ。社会に認められる性別になれない自分は社会から社会の一員ではないと言われているように感じる」という気持ちになるのだろう。

 この意見を無視するしか方法はないのだろうか。片一方を認めると、もう一方を切り捨てるような方法しかないのだろうか。しかし、私にはどうしてもいい方法が思い浮かばない。

 例えば私が一女性として、前述の主張をすると、トランスジェンダーの方を差別しているような扱いを受ける。しかし、トランスジェンダーの方の意見に賛同すると、女性の権利を軽視しているような悪者のような扱いを受ける。どちらの意見を言っても大バッシングである。

 女性もトランス女性もお互いに自分の権利を守りたい。お互いが否定出来ない事実を用いて殴り合う戦いに終わりはあるだろうか。

 なんとも生きにくい世の中だ。トランスジェンダーの扱いについて、今後大きな問題になるだろう。

 「性」というものの境界線が明確なものではなくなっている。

 文化的にそれは時代の流れなのだと理解はしても、やはり生物学的には性別は2つしかないと自分の固定概念がそれを否定する。

 この問題に解決はあるのだろうか。

 新しい概念は問題をより一層複雑化させるだけなのではないか。

 世の中はどこに向かっているのかと、ただただ不安な、疲れる気持ちである。

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