黒い果実が実る時

幸まる

ブラックベリーシンドローム

「ブラックベリーまで乗ってるんだ。珍しいよね」


目の前のフルーツタルトの上から、粒々の黒い小さな果物をフォークで掬い上げ、俺は言った。

テーブルを挟んで目の前に座る美女は、初めて興味を示して目線を上げる。


透き通るような白い肌、濡羽色の艷やかな髪、柔らかく光る赤い唇。

切れ長の目は長いまつ毛で縁取られ、視線が合わさると、俺は馬鹿みたいに胸が苦しくなった。



新しく出来たばかりのフルーツパーラーに彼女を誘ったのは、彼女の好きな食べ物が果物だという情報を仕入れたからだ。

大学の同学年で、選択コースが同じで時々顔を合わせる彼女、羽角はずみカナ。

男友達のほとんどは、彼女のその類稀たぐいまれな美貌を話題にしていたが、誰が声をかけても良い返事をもらえた試しがないという噂も、同時に耳にしていた。


俺もまた、彼女を目で追う内に虜になった一人であったが、まさかダメ元で誘ったフルーツパーラーに釣られてくれるとは思わなかった。




「……それ、ブラックベリーじゃないわ。ラズベリーよ」


どこか中性的な響きで返された言葉に、俺は驚いて瞬いた。

内容よりも、彼女が会話してくれたことに驚いていた。

何しろ今まで、「ええ」とか「いいえ」など、ほとんど一言で返事をしたところしか知らない。


はっと我に返って口を開く。


「ラズベリーって赤じゃなかった?」

「黒い品種もあるの」

「そうなんだ……。ちょっと見ただけで良く分かったね。見分け方があるの?」


会話を続けたくて、興味のありそうな話題を広げてみた。

すると彼女は、色とりどりの果物十種が盛られたタルトの上から、白く細い指先で躊躇わずに黒い果実を摘み、裏返して見せた。

実には穴が空いていた。


「ラズベリーは収穫する時に花托かたくが取れるから、中は空洞なの。ブラックベリーに空洞はないわ」

「へぇ、良く似ていても、別物なんだ」

「ええ。日本ではあまり馴染みがないから、知らない人も多いみたいね」


言って小さく果実をんだ彼女が、どこか残念さを滲ませたように感じ、焦る気持ちが湧く。


「それはかわいそうだな」


思わず口にした一言は、さらに彼女の興味を誘ったらしい。

彼女は唇から果実を離して、まじまじと俺を見た。

濡れた黒曜の瞳は、堪らなく魅力的だ。


「……どうしてそう思うの?」

「だって、ラズベリーなんてもう十分知れ渡ってるだろ。それなのに似てるものに取って代わられて、ブラックベリーは存在意義まで奪われちゃうんだもんな」


ふと、彼女が目を細めて薄く笑う。

緩く震えた長いまつ毛に、ゾクリとした。


「勘違いしたのは、貴方だけど?」

「あー……、まあ、そうなんだけど……」


目を逸らせないまま、それでもバツが悪くなって頭を掻けば、彼女は椅子から腰を浮かして、腕を伸ばした。

齧りかけの黒い果実ベリーが、俺の唇に触れる。


「あげる」


果実の汁で赤黒く色付いた彼女の唇が笑みの形になると、甘く魅惑的な香りが鼻先をくすぐる。

自分でも笑えるくらいに震えながら唇を開き、差し出された果実を含めば、酸味の強い濃厚な甘みが口中に広がった。


「ねえ、本物のブラックベリーも、味わってみたいと思わない?」


顔を近付けて囁かれると、もう彼女のこと以外には何も考えることができずに、俺は頷いた。




 ◇ ◇




カナの部屋に合鍵で入って来るなり、長身の美しい男は軽く溜め息をついて床を見下ろした。

その容姿はカナに良く似ている。


広いフローリングの上には、辛うじて息のある半裸の男が転がっていた。

口周りにはポツポツと赤黒い湿疹が浮き出ていて、それは見ている内に、首へ、肩へ、胸へと広がっていく。


「暫く大人しくしていたのに、なぜ繁殖行動を?」


長身の男が睨むようにして聞けば、シャツ一枚でベッドに腰掛けていたカナは、クスクスと笑って立ち上がり、床に転がる男に近付いた。


「ねえ、カナデ、この彼に言わせれば、ブラックベリー私達はラズベリーに存在意義を奪われたかわいそうなものなんですって」


ふふ、とカナは笑う。


「赤いラズベリーが人間なら、黒いラズベリーは吸血鬼かしらね」



19世紀に広まった、あまりにも有名な吸血鬼ヴァンパイアというものの影に、多くの異形の存在が隠れていたことを、どれ程の人間が知っているだろうか。


“ブラックベリー症候群シンドローム


そう呼ばれる現象は、牙を首筋に二本突き立てた跡の代わりのように、赤黒い湿疹の塊が残る骸が、当時数多く発見されていたことから名付けられた。

湿疹の塊が、まるで熟れきったブラックベリーのように見えたからだ。



苦し気に息を吐く男は、虚ろな瞳でカナを見つめている。

カナはその側に屈んだ。


「ねえ貴方、知っている? ラズベリーとブラックベリーを一緒に植えると、どちらも病気になって枯れるの。一緒には生きられないのですって。でもね、ブラックベリーの方が品種的には強いのよ」


唇が触れそうな程に顔を寄せた時、彼は小さく震えて事切れた。


「……残念。お仲間にはなれなかったわね」


カナは白い指先で、彼の肌の湿疹の塊ブラックベリーを撫でた。



《 終 》

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黒い果実が実る時 幸まる @karamitu

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