嫉み屋の曽根宮くん

カワセミ

嫉み屋の曽根宮くん

 毎日毎日、まいにちまいにちまいにちま・い・ん・ち。

 朝っぱらから、なんてクソ忌々しい……っ


 ***


 水曜日の朝。


 月金で働く会社員にとって、疲労がピークに達する一日の始まりだ。通勤電車のラッシュは乗り合わせる者に容赦がない。


 オフィス街の中核駅に到着すれば、開いた扉から雪崩を打って人々が吐き出される。

 もみくちゃにされながらホームに降り立つと、電車は地下鉄構内に埃臭い風を吹き荒らして走り去る。


 既に疲れ切った身体を引きずるようにして俺は歩を進めた。


 七月の暑さが刻一刻と体力を削るが、そこを這い出ると空調の効いた地下街の通路へと辿り着く。

 逆立つ会社員の神経を慰撫する目的なのか、オルゴールアレンジされた定番のJ-POPが耳に優しく、一時的にも俺の気持ちをとりなしてくれる。


 朝早くから営業しているベーカリーやファストフードショップ、ドラッグストアを素通りして、地下街を会社の方角へ向かって道なりに進むと、脇の通路が交わる所から――、


(出た! 今日も!)


 嫌が応にも暴力的に俺の目に飛び込んでくる――、


 高校生と思しき男女のカップルである。


 どうやら別路線の地下鉄を通学に利用しているらしいカップルは、いつもこの通路が交差する道すがらで必ず俺の前に姿を現す。


 統一感のあるポロシャツの制服を身につけた二人を、なぜカップル認定できるのかと言えば、その密着度だ。

 男子生徒の腕は女子生徒の体に絡みついて腰を鷲掴みにし、身長差がさほどない己の体を女子生徒にもたれかかるようにすれば、互いの顔が擦りつかんばかりに寄り添っている。


 女子生徒の方はあんなふうに体重をかけられて重くないのだろうか、と疑問に思うがそれは――、


「おーい、おはよ、ソネミヤ」


 横から声をかけられて俺はカップルから目を引き剥がしてそちらを見る。


「あ。うっす、先輩」

「なに、また、あのカップル見てるの?」

「だって、あいつら、いっつもおんなじ所で見かけるじゃないすか」

「そりゃ、通勤通学時間帯なんだから、同じ場所で会うのは当たりまえでしょうが。あんまり見てると気持ち悪いよ」

「だって鬱陶しんすよ、あの暑苦しさ。なんすか、水曜の朝っぱらからベタベタベタベタ。こないだなんか抱き合ってたんですよ! 今だってあんなに体重かけて――」

「それはそねみだ」


ビシッと人差し指を俺の鼻先に突きつけて、先輩がバッサリと断じた。 

そう。先輩によると、俺があのカップルを目障りと思うのは、嫉みらしい。


「ソネミヤ、社会人にもなって、高校生カップルに敵意を向けるなんて、そんな余裕のない真似……情けないと知りなさい。たとえ不快だとしても、若気の至りなんだから」


 先輩は芝居がかった仕草で首を振ると、ゆるパーマのポニーテールを左右に揺らす。


「ほら、シャキシャキ歩く。あの子たちを追い抜くよ。目に触れなきゃそんな不毛、考えようもない」

「え? ちょっと、先輩、俺もうぐったりなんすけど」

「ダラダラ歩かない。今日は朝から客先対応なんだから、気合入れて行くよ」

「いや、待って!」


 ***


 木曜の朝は、疲労の限界値を超えている。


 すし詰め状態の電車内は、つり革を掴んでいようがいまいがバランスを崩すことすらない。

 立ったまま寝こけていた俺は、急停車という名の緩やかな減速にはっと目を覚ました。


『――只今、緊急停止信号により急停車いたしました。お急ぎの客様におかれましてはご迷惑おかけしております。安全確認が済むまでしばらくお待ちください』


 車内アナウンスがされる中、俺は再び泥のような眠りへと誘われる――、


 ――と、背中を押し出される感覚でパッと目を開けた。


『お急ぎの所、ご迷惑をおかけいたしました。〇〇駅、〇〇駅です』


 いつの間にか降車駅に着いていた。

 慌てて降りる。

 通勤客が足早にホームを行き交い、階段を駆けていく。一様に腕時計を見たり、スマホを確認したりと忙しない。


(……や、やばい。さっき、どのくらい停車してた? 今何時だ? 延着証明書貰った方がいいのか?)


 俺は腕時計をしない。スマホはカバンの中だったか、脇のポケットだったか――いや、とにかく走れっ。

 目は覚めている筈なのに、疲労のあまりに頭がぼんやりして判断力が鈍い。

 階段を上り、改札を抜けて、ああもうICカードタッチの呼吸が合わない――!


 いつもより人が疎らな気がする。スマホは出てこない。これはきっと大遅刻だ。ヤバい、会社に電話しないと、と焦った瞬間!


「ウフフ~、キャッキャ」


 脇の通路から現われた、学生服の男女。

 男子生徒が女子生徒に寄りかかる見慣れた角度。判で押したようないつも通りの光景。

 焦燥感の極地に立たされていた俺は、その呑気さと、今がこの道を行く俺の定刻であることに気づかされて一気に脱力した。


(……なんだ、なんなんだ、こいつらは。いつでも俺の前に現れたかと思えば、いつだって痴態を晒しやがる……!)


 しかも、あまつさえ、だ。


 あろうことか、俺は今、このバカップルの存在に、遅刻の危機を免れたという福音を知らされて、安堵しているではないか!


「おーい、おはよ、ソネミヤ。どしたの、そんなとこで中腰になって」


 崩折くずおれそうになる己を支えて(ついでに崩壊しそうになるアイデンティティを保って)俺は両膝に手をついていた。

 ぎくしゃくとふり返ると、両手に栄養ドリンクを持った先輩がいた。


「……はよ、ございます」

「ほら。冷えたの買ったから、一本やっときなさい。今日は新商品紹介の解禁日なんだからアナウンスに気合い……、どした、ソネミヤ」

「……なんすか」


 差し出された栄養ドリングにへっぴり腰のままに手を伸ばそうとした俺は、先輩がしげしげと見上げてくるのに首を傾げた。


「お腹壊したみたいな顔してるけど」

「……違いますよ」


 俺は手を引っこめ、よっこいせ、と体を起こす。

 その、気を使ってます、とばかり気の毒そうな顔はやめてほしいのだが……。


「そう?」


 俺は気を取り直そうと一度息を吐き、顔を上げてもう先の方へ行ってしまった高校生カップルの背中に一度、目をやる。


 ちっぽけな後ろ姿だ。


 行き過ぎてしまえばなんのことはない。彼らが俺に与えられる影響など、ひとたび電車が遅れて行き違うようなことがあれば、存在すらし得ない程度のほんの些細なノイズだ。先輩の言った通り、目に入らなければ、抱きようもない非生産的な感情だろう。


 いちゃつくカップルの行動を変えることはできない。

 変えられるのは俺自身のスタンスだけだ。

 俺以外に俺の心と感情の操縦桿を握る者はいない。ならば、俺の機嫌を損ねる要素を華麗にかわしてコントロールするのは俺の命題だ。


「……悪くないっすよね」

「ん? 何が?」

「ほら、あいつら、あのカップル。毎度同じ時間にいるから時計代わりみたいなもんだし」

「え、ヘンなこと言うね。まあ、△△線の方から来てるみたいだし、毎朝同じ電車乗るんだろうから、たまたまタイミングは合ってるみたいだよね。――なに、珍しいこと言うじゃん。いつもあんなに悪態ついてるソネミヤが」

「いやまあ、気づいたんすよ。俺時計しないんで、スマホ見なくても時間がわかるって便利だなって」

「へぇ。成長してんじゃん」


 先輩が珍しく感心したように目を丸くして俺を見る。


 確かにそうかも、と思えるくらいには、今、心は穏やかに凪いでいる。

 俺は先輩に礼を言って、受け取った栄養ドリンクの蓋をキリリと開けた――。


 ***


 ――月曜日の朝は絶望しかない。


 休日を経た最初の日というのに、どうしてこれほどまでに身も心も重苦しいのだろうか。電車を降りてから会社までの道のりがどの曜日よりも長く感じる。


 そして、いつも通りに地下街の合流点には件のカップルの姿。


 低調な俺の心身が口をついて俺の操縦桿を奪う。


「カップル爆発しろや……!」


 ……どうやら、嫉みの業は一筋縄ではいかないらしい。




【終】

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