ふしぎなアイスクリームのつくり方

いいの すけこ

おねだり娘と魔法使い父

「ねえパパ。これ食べてみたい」

 古新聞を整理していたジャンの傍らで、娘が声を上げた。

 娘は先ほどまで、きちんと座って本を読んでいたはず。けれど今やソファからずり落ちそうなほどだらしない体勢になって、クッションに身を預けていた。

「リザ、読書をする時は姿勢よく。目に悪いし、だらしないよ」

 父親らしく小言を口にする。年頃の娘――リザは、嫌がるでもふてくされるでもなく小さく訴えた。

「だって暑いんだもの」

 溶けちゃいそうと言ったリザは、そのままずるずるとソファに寝そべった。言葉通り、とろけてソファと一体化しそうな有様だ。

「パパの魔法で暑さなんか吹き飛ばせないの?」

「魔法は万能じゃないよ」

 娘の額を小突くように伸ばされた人差し指は、まるで魔法を操るような仕草。

 ジャン・ブライトマン。

 リザの父であり、職業家庭教師。

 生まれ持ったその宿命は魔法使いである。


「じゃあ、これ」

 リザは寝転がったまま、胸の上に雑誌を広げた。

「起きなさい」

「はあーい」

 誌面を開いたまま、リザはのろのろと体を起こす。見覚えのない雑誌で、ジャンは首を捻った。

「あれ、こんな雑誌うちにあったかな」

「ダニエルの忘れ物」

「え?」

 思いがけない友の名に、ジャンは雑誌を二度見した。

 ダニエルのことは良き友だと思うけれど、いかんせん品行方正とは言い難い。

 巷に溢れる雑誌には、悪趣味で刺激的なものも多いのだ。愛娘の真っ直ぐな瞳と純粋な心に、醜聞やらいかがわしいあれやこれやが入り込むなど言語道断。

 ジャンは片眼鏡の縁に指を添え、広げられた雑誌を確認する。

「絵がたくさん載ってるし、面白いの」

 ページには菓子屋や化粧品など、リザのような娘が好みそうな店や商品の広告が並んでいる。

 最新の服やら帽子やら、趣味に教養に色恋まで。ダニエルの忘れ物は、特に女の子の興味をひく記事をふんだんに掲載した少女雑誌であった。

「この本、次にダニエルが来た時に返さなきゃ駄目かなあ」

 おそらくそれは忘れ物でなく、良かれと置いていかれたものだよ。

 と言ってしまうのは野暮だろう。とりあえず、先程の友達甲斐ない想像には心の中で謝っておく。


「でね、パパ。この本に載ってるお菓子が、すごく美味しそうなの」

 リザは無垢そのものの瞳を輝かせて、膝の上の雑誌を示した。

「アイス、クリー、ム」

 平易な言葉で書かれた記事は、文字を覚え始めたリザでも読みやすいようだ。商品名のレタリングを指でなぞりながら、声を弾ませた。

「素晴らしい、甘美な、冷たい夏のおやつ、ですって。素敵ねえ」

 広告らしく、大袈裟なくらいの賛辞を浴びているアイスクリーム。開き始めた花のような形をした美しい器に、淡黄色の山が形よく盛られている。

「午後のおやつは、アイスクリームが良いと思わない?」

 ねえパパ、と上目遣いで訴える小さな娘。

 早ければ縁談の一つでも舞い込んできてもおかしくない、外見は十代半ばほどの年頃。

 けれど生まれの特殊性から、子どもが享受すべき教育、楽しみ、愛情やぬくもりさえも与えられなかった子だった。


「リザにお願いされると弱いなあ」

 ようやくおねだりのひとつも出来るようになった娘に、甘い自覚は十分にある。

「でも残念だけど、アイスクリームはこの近所では売ってないんだ」

 そんなこと考えもしなかったと言うように、リザは目を丸くした。

「ホーリーさんのところや、シュガーリーハウスでも?」

 リザは最近おつかいに行くようになった商店の名前を口にする。

「ここは小さな町だからね。エレクトレイみたいな、もっと大きな街に行かないと」

「ここにも美味しいものや楽しいものは、いっぱい売ってるのに……」

 まだ家の周りが世界の全てであるリザにとって、近所の店で揃わないものはないと思っていたのかもしれない。知らなかった現実に、リザはしょんぼりとうつむいたが。

「じゃあパパが作ってよ!」

 しょげたのもつかの間、僅かにもたげた頭をリザはぱっとあげる。

「私が?」

「お手伝いするから。ね、良いでしょう」

 これ以上の思いつきはないというように、リザは意気込む。


「私にもアイスクリームは作れないなあ」

「どうして? パパの作るおやつは、プディングもマーマレードも最高なのに」

「そのへんは簡単だからね」

 むしろそれくらいしか作れない。それにプディングはともかく、マーマレードは紅茶のアテにそれだけ舐めるという楽しみ方である。手作りには間違いないが、おやつと言うのか甚だ怪しい。

「作り方がわからないの?」

「いや、氷が用意できないんだ」

「氷? お水が冷えて固まったものよね。冬に水溜まりにできるもの。あとは霜柱もそう」

 ジャンとリザが共に暮らし始めた最初の冬、リザは氷の張った水溜まりに恐る恐るつま先を踏み入れた。楽しそうに霜柱も踏んでいた。冬には霜も降りるこの町でも、氷は確保できない。

「アイスクリームは冷たいおやつ……氷がいるのね」

「この辺りには製氷工場も、採氷できるところもないんだ。鮮魚を扱う市場もないしね」

「そんなあ」

「氷魔法なんてお呼びでないこの時代でも、まだ氷はどこででも手に入るものじゃないな」


「魔法?」

 希望を見出したかのように、リザの目が見開かれるが。

「私じゃ氷魔法は使えないよ。もうだいぶ廃れつつあるから」

 ひと昔前に比べて、氷の希少価値も下がってきた。雪深い地から天然氷を輸送、保存する手間もかつてよりは軽減され、なにより自然に任せずとも氷を大量生産する技術も確立されている。

「必要とされなくなれば、おのずと魔法も消えてゆくものさ」

「私たちは今こんなに必要としてるのにー!」

 確かに。新しい技術や文化が行き渡るには時間がかかるのだから、本当に不要になるまでは残ってくれればいいのに。そう都合よくいかないのが、魔法というものだけど。

「私も氷魔法なんて最後に見たのは、師匠せんせいの……あっ」

 古い記憶を巡らせて、ジャンは師匠が魔法を操る手さばきを思い出す。熟練した魔法使いの手元には、青い硝子瓶。

「あれがまだ残っているかも」

「パパ?」

 小首をかしげるリザを残して、ジャンは屋根裏へ向かった。縛った書物の山と並んで詰んである、鍵付きの木箱を開ける。箱の中にずらりと並んでいる瓶の中から、青色のものを一本取り出した。

「まだ使えるといいが……」

 中身を攪拌するように、瓶を軽く揺する。液体が揺れに反応するように、白く濁った。

「いけるな」

 白い濁りは空気。液体の変質ではあるが、この中身においては正しい変化だ。

 瓶を握りしめて、屋根裏からリザの待つ居間まで駆け下りる。


「いきなりいなくならないで、パパ!」

 居間に入るまでもなく、階段下でリザが待ち構えていた。抱えた雑誌を歪むほど握りしめ、ジャンを睨む。

「追いかけようとしたら、屋根裏行っちゃうし」

「ほんの少しの間だけだっただろう」

「屋根裏は嫌いなの!」

 怒りと不安が綯い交ぜになった顔。必死に叫ぶ娘を、ジャンは優しく抱きしめた。

「ああ……うん、ごめんね。話している最中に、いきなり飛び出していったパパが悪いな」

 たった独りきり、ジャンに保護されるまで、閉じられた世界にいた娘。

 小さな背を、とんとんと叩く。

「パパはリザを独りぼっちになんかしないよ」

「約束して」

「うん。約束」

 外の世界に連れ出しただけの自分が、リザがそう呼ぶからと言って父親などと名乗れるものだろうかと思う。

 けれどそれでも、その役目と責任を。愛情を、手放したりするものか。


「道具箱に薬を取りに行ったんだよ。私の師匠が遺してくれたものでね」

「くすり?」

 なだめられて落ち着いたリザは、ジャンの手の中にある硝子瓶を興味深そうに見つめた。濃い青色だが透明度の高い瓶の中に、半分ほど液体が入っている。

「これがあれば、アイスクリームが作れるかもしれない」

「本当?」

「試してみないとわからないけれど」

 それでもリザは喜び勇んで、ジャンとともにキッチンへと向かう。

 リザはジャンに頼まれるまま、ボウルや砂糖などをテーブルへと運んだ。

「お手伝いありがとう。うまくいくと良いんだけど」

「牛乳と、お砂糖と、卵と、あと甘い匂いがするやつ」

 リザは材料を一つ一つ、指差し確認した。

 ボウルに入れた卵黄と砂糖を混ぜ合わせて、牛乳も加えて。


「さて、ここからが大事だ」

 金属桶に水差しから水を注ぐ。ジャンは青い瓶を手に取ると、しっかりと封がされた硝子の栓を引き抜いた。円を描くように、中の液体を水に注ぐ。

 揺らぐ水面を、リザは澄んだ瞳で見つめた。

 ジャンは揃えた右手の指先を水につけて、水面を撫でた。瓶の中身を撒いた時と同様に、丸く。

 ひやりと、水面から冷気が立ち上った。

 渦を巻いて、水が白く濁って。

「……よし!」

 素早く水から指を引き抜く。

 ぐずぐずしていたら、指がくっついてしまうから。

「わ!」

 リザが声を上げる。

 金属桶の中に、厚い氷が張っていた。

 ジャンは一息ついて、エプロンで指先を拭う。

「すごい、すごいよパパ! これは魔法? その瓶の中はなあに?」

 飛び跳ねんばかりのリザに、ジャンは硝子瓶を示して見せた。

「これは私の師匠が作った魔法薬。氷魔法を吹き込んだものというのが正しいかな。私の師匠は氷魔法を使えたから」

 残っていて良かったと思いながら、ジャンは残り少なくなった魔法薬の瓶に栓をした。

(お菓子作りになんか、すみません、師匠)

 本当はもっと、使いどころがあるかもしれないけれど。娘のためなら、瓶を空にしても師匠は許してくれるだろうと都合のいいことを思う。


「じゃあ、アイスクリームが食べられるのね」

「作るのに失敗しなければね」

「パパがお料理に失敗するわけないもの!」 

 普通に失敗もするけどなと思ったものの、目を輝かせる娘の期待を裏切るのも悪い。ジャンは黙って革手袋をはめた。

「氷を砕いてる時は手を出さないこと。道具には触らないこと。いいね」

 ジャンの言うことに、リザは途端に真剣な顔をする。娘が十分に注意を聞き入れたところで、ジャンはのみと金槌を手に取った。

 厚い氷に刃を入れる。鑿を打ち付ける度、透明な塊に亀裂が入った。氷が微細な粒となり、飛沫となって飛び散る。

「冷たい」

 時折、氷の粒が腕や顔に飛んできた。リザは少し驚いた顔をして、それでも楽しそうにしている。小さな刺激が心地いいのかもしれない。

「氷、綺麗ねえ」

 透明と白が入り交じる、水晶のような欠片にリザは興味津々だ。

「リザ、ほら」

 ようやく一口大ほどまで砕けた氷を、ジャンはリザの手のひらに乗せた。

「わ、わ!」

 突然の冷たい感触に驚いたのか、リザは声を上げる。小魚でも飛び込んだかのように、手のひらの上で氷が跳ねた。リザはそれこそ小魚を水の中へ返すように、氷を金属桶に戻す。

「冷たくて楽しい!」

 水滴のついた手を振りながら、リザはケラケラと笑った。


「さて、貴重な氷が溶けないうちにアイスクリームを作らなきゃな」

 額の汗を拭う。塩を混ぜた氷はキンキンに冷えて、鑿を振るった腕は冷たさも相まって痺れるようだった。実際には氷も早々に溶けきったりはしないだろうけど、貴重は貴重。早速調理に移らなければ。

「氷にクリームを混ぜるの?」

「いや、クリームが入ったボウルを氷につけるんだよ」

 バニラ香料を加えたら、甘い香りにリザが鼻をひくひくとさせた。淡い黄色のクリームを、根気よく混ぜ続ける。

「上手く固まらなかったら、そのまま飲んじゃおうか。冷たいエッグノッグ」

「絶対上手くいくったら!」

 お喋りの間に、少しずつアイスクリームは固まってゆく。さりさり、さりさりと、冷え固まるクリームの結晶が音を立てた。

「……ねえパパ。もう出来上がったと思うんだけど」

 待ちきれないと言わんばかり、リザが作業テーブルに身を乗り出す。

「うん。リザ、器を持ってきて」

 言うが早いか、リザは食器棚に急いで向かった。雑誌の広告ほど洒落てはいないが、近しい造形をした硝子の器を持ってくる。


「アイスクリーム、できあがり!」

 できる限り綺麗に、まあるく盛り付けて。

 できたてのアイスクリームが二つ、真夏の食卓に並んだ。

 ふわああああ、と、リザが声にならない歓声を上げる。

「早く、早く食べようよパパ!」

 リザが器をひっくり返しかねない勢いで興奮するので、ジャンは濡れたままのテーブルも鑿もそのままに席に着いた。お茶も用意していないなと思ったが、お湯を沸かす時間も惜しい。

「いただきます」

 スプーンにすくいとったアイスクリームを、リザはゆっくりと口へと運ぶ。あんなに急かしたのにどこか恐る恐るといった風なのは、未知の食べ物に対する緊張からだろうか。

 アイスクリームを口に入れた瞬間、リザは大きな瞳を見開いた。ついでしきりに瞬いて、スプーンを口から離した途端に勢いよく捲し立てる。

「おいしい! すごくおいしい! 冷たくて甘くて、口の中で溶けて、すごく冷たくておいしい!」

「それは良かった」

 確かにリザにとって、今までにない味わいの菓子だろう。ジャンだってそうそう口にしたことはない。

「私も食べるのは久々だな」

「パパは前にも食べたことがあるのね。いいなあ」

「以前、教え子の家でね」

 実の娘には、甘い人だったから。

 その愛情を、少しでも屋根裏の子どもに分けてくれればよかったのにと思うけれど。

(その分は、私があげればいい)

 冷たいアイスクリームを頬張りながらなお、リザの頬は熱を帯びて赤く染まっている。

「ありがとう、パパ!」

 嬉しそうに特別なおやつを堪能する、娘の笑顔に幸多かれと。

 甘くとろけるアイスクリームを口に運びながら、父になって間もない魔法使いはそっと祈った。







 

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