第2話 あなたの本棚を見せて 


 店長は静かに微笑み、私の意見に同意してくれた。彼は上から四段目の棚を指さして次のように述べた。


「それでは、こちらをご覧ください。この四段目には恋愛小説と幻想小説を収めてあります。左端の方から、王道のオースティンの著作集、メリメの『カルメン』、デュモーリアの『レベッカ』、プルースト作品の抄録本、中東の名作である『千一夜物語』を経て、日本の源氏物語が続きます。さらに右の棚にいきますと、アラン・ポーの全集、G・マイリンク、カフカ、ホフマンなどの幻想的ホラーが続くわけです。この部分の書籍は翻訳が古い作品が多く、比較的読みやすい翻訳を探し集めるのに少々骨が折れました。東洋の文学につきましては、専門の業者に収集作業を委託しました」


「恋愛と幻想とは少し変わった組み合わせだね。ただ、幻想文学には女性には恐ろしく感じられるものが多いのではないかな……」私は少し不安になって、そのような意見を述べた。


「そこはおっしゃる通り、なのですが……、しかしですね、多くの女性にとって恋愛とはホラーです。相手の男の性格ひとつ分からぬうちから、手を握って付き合いだすわけですからね。ふたりの未来が大団円に終わる展開以上に、性的暴力のようなおぞましい結末を迎える可能性の方が遥かに高いわけです。相手の男がその悪質な牙を剥く前にこれらの文学に触れておけば、最悪の男の笑顔の裏側を見抜く知恵も身につくかもしれません。いわば、これらの本は自分の現在の恋愛の本質を見抜くために必要なアイテムなのです。自分の恋人になる人が自宅の本棚にそこまで準備してくれていることを知れば、彼女もきっと安心するはずです」


 まさか読書好きでもない自分のために、ここまで準備してくれるとは思いもしなかった。私は感動のあまり少々萎縮して、彼の長い話にしっかりと耳を傾けていた。


「なるほど、恋愛とホラーをあえて並べてみせることで、自分と付き合えば、悪い結果にはなり得ない。つまり、必ずや期待に答えられる男だぞ、ということを暗に示してみせるわけだな。それなら、彼女も安心するに違いない」


「私めの目論見をきちんと理解していただき、ありがとうございます」


 店長は長く黒いその髭を弄びながら聴いていたが、こちらの感想に満足したようにそう言った。


「五段目の棚にはミステリー関連の書籍を並べてみました」


「つまり、一番下の段だね」


「はい、その通りです。この段には左側から、A・クリスティ、クロフツ、エラリークイン、ウイリアム・アイリッシュ、コナンドイルらの順に並んでおります。これだけあれば、一年中、殺人事件を追いかけていても、退屈することはありますまい」


「確かに、ミステリーはどの年代にも受けはいいし、ヒットすればすぐに映画化されるから女性の読者も多い。それにしても、これだけ巨匠たちの作品が揃っていると壮観だね」


「とある日刊紙の調査によりますと、若い主婦層の75%は旦那に早死にして欲しいと願っているそうです。つまり、財産を独り占めすることと多額の死亡保険金が目当てなのです。彼女らが悪に手を染める際、これらのサスペンスが何らかのヒントになるかもしれません」


「気に入ったよ。私が夢中になっている女性は、まさにそういうタイプなんだよ」


「書籍の紹介はだいたいこんなところです。いかがでしたか? お客様の恋人にこの本棚を見せて納得してもらえそうですか?」


 店主は私のいる方へと二三歩歩み寄ると、舌なめずりをしながらそのように尋ねてきた。どうやら、そろそろ、代金の支払いの方を済ませたいらしい。


「こんなに立派で隙のない本棚を用意してくれてありがとう。おかげで助かったよ。ここまで揃えるのにずいぶん苦労をしたんじゃないか? これで600ドルならずいぶん安い買い物だよ」そのような感想を述べてから、お礼の入った封筒を店長に手渡した。


 古本屋は約束の代金を受け取ると、嫌らしい目でお札の枚数を確認して、たいそうな笑みを浮かべながら足早に引き上げていった。私としても、これで自分の偽りの知性を演出することができる。ようやくひと安心することができた。


 ブロンドの彼女は今頃、クッキーを食み、紅茶でも飲みながら、知的な本棚を用意することのできない、こちらの姿を想像して、ほくそ笑んでいるのかもしれない。返事の来ないことをいいことに、私をゴミくずのように捨て去る気でいるのかもしれない。しかしながら、そのうちに送られてくる立派な本棚の写真を見て、たいそう驚くことだろう。私の評価もただの男友達から、深い教養を持つ恋人候補へと、うなぎ登りに上昇するはずだ。


「どうやら、貴方という人を見くびっていたようだわ。どうか、許してちょうだい」


 彼女はそのような謝罪の手紙を書く羽目になるのだろう。恋愛において、あらぬ誤解が先行するのは致し方ないことだ。私はこころよくあの子の性格の悪さを許してやるつもりだ。愛とは、いくつもの障害を乗り越えねば、決して成熟しないからである。


 彼女からの返答が届くまで数日間を要した。その非常に長く思える日々を、勝利を確信しつつ落ち着いた気持ちで過ごすことができた。写真を送りつけてやってから三日後、彼女からの返答が普通郵便にて我が家のポストに届けられた。ひどく簡略化されたその文面は、次のようなものであった。


『あなたの台所を見せて』

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あなたの本棚を見せて つっちーfrom千葉 @kekuhunter

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