あなたの本棚を見せて

つっちーfrom千葉

第1話 あなたの本棚を見せて


『僕のことを真剣に愛する気があるのか、それとも、今のままむごく捨て去る気なのか、そろそろ、君の本当の意思を教えて欲しい』。


 彼女に書き送った手紙の内容は、大筋でそんなところだった。期待と失望の入り混じる空気の中で、その手紙の返事が届くまでの数日間を過ごした。数日後の霧雨の朝、彼女から返事が届けられた。手紙の内容は非常に簡略化されており、次のようなものだった。


『あなたの本棚を見せて』


 この返事には、かなり失望したというのが正直なところだ。女性が男に本棚を見せろということは、『あなたの知性を語って』と言うに等しいからだ。本棚に並べられている本たちは、そのまま、その持ち主の半生を語ると言っても過言ではない。口は悪いかもしれないが、おバカな男は単純な本しか読めないものだ。逆に本当に知性の高い男ならば、世界中の名作をほとんど読破していることだろう。金欲や性欲よりも知識欲を優先させる男は、その外観や振る舞いからして、他の愚かな男たちより優れているものだ。この彼女からの返答は、言うなれば、『本棚から漂う知性で、あなたの品格を判断させて頂きます』ということなのだろう。


 包み隠さずここに書いてしまえば、私は本棚なるものを所有していない。小さな本立てはいくつかあるが、古い映画のパンフレットやヒーローものの漫画などにすっかり占拠されてしまっている。自室に置いてある学生の頃に読んでいた何冊かの推理小説の文庫は、どれもありきたりのものだし、大事にしておかなかったために、外観はボロボロだ。これでは彼女の厳しいチェックに応えられるものとは言い難い。しかしながら、どうあっても、あの魅力的な女性を諦めることはできない。この試練はたとえ見知らぬ他人の手を借りてでも、何とか乗り越えなければならないだろう。その数時間後、私は旧市街の古本屋に電話をかけていた。


「金はいくらかかってもいい。少しでも知的に見える本棚の製作を任せたいのだが」


 その本屋の店主の言うところでは、600ドルも頂けるならば、喜んでその案件を引き受けるということだった。彼に聞いたところでは、最近はこの手の相談が非常に多いらしい。高貴な女性はいつの時代も高い知性を求めるが、今ほど知力の求められる時代もないだろう。男性諸君の悩みも深いご時世である。『二日ほど時間を頂ければ、きっとお望みのものを用意して差し上げる』。そういう返事が貰えた。私は幾分安心して、彼女のもとに『三日後にはあなたのお望みのものを写真に撮って送る』と電報を打った。


 なるほど、依頼した古本屋は敏腕であった。予定の期日の昼頃から、いくつもの黒檀の品のある本棚が、私の狭い書斎に運び込まれた。もちろん、そこには何百冊もの文庫や大判の書籍が詰め込まれていた。


「見てください、立派なもんでしょう? 今どき、町一番の図書館であっても、これほど書籍の揃った、良質な本棚はありませんよ」


「確かに素晴らしい品揃えだ。これなら、彼女も気に入るに違いない」


 胸を張る古書店の店主に私はそう応じた。店主はたいそう機嫌を良くして、棚の一番上を指さした。


「本棚の一番上の段をまず見てください。あそこにはバルザックやユゴー、それにポール・ヴァレリーとモーパッサンの全集を並べました」


「彼らの名前はもちろん聞いたことはあるが、私や彼女にはその作家の作品の意味するところが、まったく分からないのだが、その辺は大丈夫だろうか? 普段の会話の中にも、フランス文学の話など露ほども出てきたことがない。貧困層に生まれた私には馴染みのない文学なんだ。例の要求をされてから、慌てて本屋に依頼を出したことがばれやしないかな?」


「心配いりません。ものの分からない人間は、分厚い立派な装丁の本が並んでいるのを見るだけで感嘆するものです。バレるも何も、そもそも何を尋ねてよいかすら分からないでしょう。それに何か尋ねられたら、ロマン主義の恋愛小説作家だ、とでも答えておくとよいのです」


「自分の知性を証明するためには、どうしてもフランスの文学じゃないといかんのかね?」


「その通りです。実はイギリスやドイツ文学にも、それに劣らぬくらいレベルの高い作家がいるのですが、これは現在でも広く読まれています。フランスの文学はプルーストにせよ、ジッドやヴァレリーにせよ、今の若者たちには、ほとんど見向きもされておりません。これらの文学の質が低いためではなく、やや難解であるために、この国の若者の好みに合わないためです」


「そういえば、本屋に行ってみても、世界文学の棚は年月が経つごとに狭くなっていくな。きっと、最近の若者は漫画やテレビゲームの攻略本しか読まないのだろう」


「その通り、嘆かわしいことに、人類の好みは全体的にサブカルチャーの方向に向かいつつあります。フランス文学を選択した理由は、向こうから手厳しい質問を受けた際、あなたがいい加減な応答をしたとしても、誰も正確な判定ができないところにあります。曖昧でいい加減な返答がまかり通ってしまうわけです。つまり、文学に関する無知が肯定されるのです」


「なるほど、世界的に名前の通っているわりに、近年あまり読まれていない作家を選んで配置してくれたわけか……。確かに、周囲の人間が誰も知らない作家ならばいい加減な返事をしてしまって恥をかく心配はないわけだ……」


 私はそのように応じた。古書店の店長は私が出したホットコーヒーを飲みながら、棚の上から二段目の部分を触ってみせた。


「次にこの棚を見て下さい。社会経済、企業倫理、投資、疑似投資、起業の成功者や失敗者の書籍を並べました」


「私は経済学にも疎いのだが、この棚にも何か狙いはあるのかね?」


「もちろんです。経済学に精通していることは、その人の野望や将来性を暗示します。確かに今は凡庸な人間かもしれない。しかし、数年後は必ずや企業社会の頂点に君臨する男になってみせる。この棚はあなたの経済的な知識のみならず、成功者になり得る可能性(ポテンシャル)をも垣間見せています。どんなに外見が美しくとも、今後とも同じことばかり続けていきそうな男に女は惹かれません。この二段目の棚は、あなたの将来に向けた野望をむき出しにしています。」


「確かに、経済学を専攻する人間は、投資や貯蓄や税金対策など一般人にはなじみの薄い金策に長けている印象がある。この歳で女を捕まえようというのだから、やはり、経済的な知識があるところを見せた方がよいだろうな」


「その通りです。先日の経済新聞に載っていたアンケートでは、二十代の女子大生や若い主婦層の、およそ65%は投資に興味があると答えています。今や富裕層だけでなく、あらゆる階層の人間が自分の貯蓄を着実に増やそうと考えているわけです。あなたの経済学での知識を示せば、彼女はきっと喜ぶでしょう」


「それで……、三段目の棚はSF文学というわけかね?」


 私はその棚を人差し指でさしながらそう尋ねた。古本屋はその問いかけに満面の笑みで応えた。


「そう、実はそうなんです。人類社会が科学の分野でどれほど進歩しても、人は常に宇宙や未知の物体に憧れるわけです。人間の無数の感情の中から、不思議に対する興味だけを消し去ることはできません。幼き頃、初めて花火を見たときの感動、あるいは初めて巨大な雪だるまに触れたときの感触が今でも残っているからです。この段には初期の天才であるアイザック・アシモフやモーガンをはじめ、ハクスリーやメアリーシェリーなど、SF界の重鎮を並べました。あなたや彼女の心中に眠っている未知への興味を、再び引き出すに違いありません」


「それはよく分かるが、僕の好いた人は生粋のリアリストなんだが、これらを見せたところでSFに興味を持てるのかな?」


「その辺りは心配いりません。多忙な学生の頃は、宇宙への興味などなくても、社会に入り、主婦生活の退屈さに浸るたびに、女性の心中には未知への憧れが芽生えてくるものです。現在では地球と共に太陽系の惑星たちの研究も進んでおりますが、昨年行われたアメリカ人へのアンケートによれば、社会人のおよそ四人にひとりは、将来的には月や火星に移り住みたいと答えたそうです。今や宇宙旅行や火星への移住は、宇宙飛行士だけの夢ではなくなったのです」


「ずいぶん病的なアンケート結果だね。それは未知への興味というよりかは、地球への失望といったところじゃないかな」

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