十二宮たちのサマーキャンプ
宵宮祀花
十二人十二色
「夏だ!」
「海だ!!」
「サマーキャンプだ!!!」
イヤッホオオウ! と、奇声を上げながら海へと駆け出していく背中に、八乙女の怒号が叩きつけられる。
「設営しろ!!!」
思わずいつもの敬語が崩れたのも構わず追加で「服のまま海に入るな!」と尤もなことを叫ぶが、駆け出していった三人は僅かも止まらない。あっという間に遙か彼方波打ち際へ至り、ザブンと勢いよく水音を立てた。
「なあなあ、魚捕ろうぜ魚!」
そう言いながら腰まで海に浸かっているのは、
普段はワックスで整えている黒髪も、オーダーメイドのシャツも、スラックスも、全てを水浸しにして笑い転げている。最後の最後に靴を脱いだのは僅かに残った理性からか、それとも靴を脱ぎ捨てて飛び込むところまでがやりたかったことなのか。
こう見えて、彼はこのプライベートビーチの持ち主であり、複数の会社を経営する有能CEOだ。
残念ながらいまの姿からは有能の『ゆ』の字も見当たらないが。
「魚! いいねえ! 鮭いるかな!?」
同じく全身ずぶ濡れになりながら海を覗く、
しかし波打ち際には鮭どころか他の魚もいるはずがなく、キラキラと陽光を映して煌めく澄んだ水だけが其処にある。
日曜朝の特撮番組でヒーロー役としてデビューし、以降はドラマを中心に活躍するマルチタレントである。毎週土曜夜七時から放送している旅番組では、同行者であるベテラン俳優に首根っこを掴まれて引き戻されるシーンが幾度となく映されており、その回数を番組最後にクイズとして出題するという前代未聞なコーナーが存在する。
「まあ、遡上の時期は秋だから、探せばいるんじゃない? 知らんけど」
元気な二人と一緒に駆け出しては来たものの海には浸からず、波打ち際でスマホを構えてずぶ濡れの二人を撮影するのは、
長身な成人男性二人に対し、碧乃はメンバーで唯一の十代女子である。
右を黒、左を白に染め分けた長い髪をツーサイドアップに結っており、Tシャツの上にオーバーサイズの薄いパーカーを羽織り、下にはショートパンツを穿いている。パーカーのフードも大きく、かぶるとすっかり顔に影が差すほどだ。
ちゃっかり海中撮影も可能なアウトドアスマートフォンを持参しており、カメラを向けられた二人は水滴を纏ったまま肩を組んでポーズを決めた。
そんな自由な三人を遠目に、八乙女
真面目が服を着て歩いているような、カッチリとした白シャツにスラックスという服装は日辻と一見変わらないが、此方は吊しの安物である。どうせ汚れるからと一番着古したものを着てきている。銀縁眼鏡の奥には早々に疲労が滲んでおり、此処まで辿り着く道中にさえもなにかしらあったのだろうと思わせた。
「咲ちゃんったら、朝から溜息ついちゃってぇ。幸せ逃げちゃうよ?」
軽薄な声に振り向けば、誰よりも夏の海らしい格好をした
いったいこんなもの何処で手に入れるのか、赤の地にパイナップルの総柄シャツに白のハーフパンツと、大きなハイビスカスの造花がついたビーチサンダルをあわせている。最寄り駅からこの格好できた強心臓の持ち主は、へらりと笑って八乙女の肩に手を置いた。
「ま、取り敢えずよ。おれらも準備しようよ。伶桜姐と砂羽ちゃんたちがもう器具の設営始めちゃってるからさ」
「えっ」
陽和が親指で背後を指した方向を見れば、皆に指示を出しつつ自分でも動いている
いつもはマイペースに余所事をしていることが多い
美魚と仲のいい
海の家にも似た開放的な一階部分と、調理場と倉庫を兼ねているカウンター奥から上がれる居住スペースである二階部分を、忙しなく行き来する女性陣。それに紛れて真面目な聡一郎が主に力仕事を請け負っており、いままさに大荷物を抱え上げようとしているところだった。真っ先に陽和が駆け寄り、荷物の半分を受け取る。
「済みません! お任せしてしまって……」
咲人が合流すると、伶桜がまず「あら」と気付いて声を上げた。
伶桜は大きな花柄のワンピースに白いUVカット加工のパーカーを羽織っており、体には隙なく日焼け止めを塗っている。塗り立てなのか、近くまで寄るとまだ微かにココナッツの香料が香ってくる。百八十センチほどの長身も無駄なく整えられた体も伶桜が男性であることを示しているが、口調や仕草は女性のそれだった。
「あの子たちは海かしら?」
「ええ。止めても無駄なので放置することにしました」
「ふふ。いいじゃない。子供は元気が一番よ」
「はあ……子供、ですか……」
確かに碧乃だけは、少し前に制度が変わるまでは未成年に属する年齢である。だが自らが広告塔になることもある若手CEOの紡と、朝の特撮ヒーロー番組で華々しくデビューを果たした大人気俳優の刹那。どちらもアラサーの男だったはずだと咲人が思っていると、伶桜はクスリと笑って。
「少年の心を忘れないのはいいことよ。今日は楽しみにきたんですもの」
話しながら組み上げたダッチオーブンをポンと叩いた。
「おーい伶桜姉、ツートップバカとチビはどうしたー?」
其処へ、食材の仕分けを終えた砂羽が顔を出した。
真っ赤な髪は蠍の尾のように長く、外ハネの癖も相俟って毒蟲のトゲを思わせる。作業で暑くなったためか既に水着姿になっており、褐色の地肌と日々の鍛錬によって整ったプロポーションを、紅いビキニが見事に引き立てている。
「海にいるわ。あの子たちがどうかした?」
「確かチビは日焼け止めまだだったから、ちょっと行って呼び戻してくるわ」
「あら、そうなの? じゃあお願いね」
「うーっす」
砂羽が海へ向かっていくのを見送ると、今度は結月と美魚が腕を組んでくっついた格好で出てきた。
結月は薄紅色のロングワンピースに、白い総レース編みのカーディガンを合わせた格好に、足元は涼しげなビジュー付きグラディエーターサンダルを履いている。
美魚は薄水色のロングワンピースに、白い総レース編みのカーディガンと、結月の服装と色違いのお揃いとなっている。サンダルも色違いで同じデザインになっていて二人の仲の良さが窺える。違いといえば結月は髪が内巻ショートボブで、美魚が緩く癖のついたロングヘアであることと、美魚がパステルピンクの魚のぬいぐるみを胸に抱えていることだ。
「どうしたの、二人とも?」
「あ、あの……食材の仕分けが終わったから……」
「だからね、美魚ちゃんいまのうちに仕込みもしちゃおうかなって思ったの」
「それならアタシがやるから大丈夫よ?」
伶桜の言葉に、二人は揃って首を振る。
「いつも、伶桜姉に任せてばかりだから、たまには手伝わせてほしい……」
「でもね、わかんないとこあったら教えてほしいの。美魚ちゃんたちお魚さん捌くの慣れてないから……伶桜姉は総監督なの」
「ふふ、わかったわ。アタシは此処で皆を見てるから、なにか困ったことがあったら遠慮なくすぐ呼んで頂戴ね」
「はあい」
任されるとうれしそうに表情を輝かせて、キッチンへと駆けていった。
「ただいまー」
「あら、お帰りなさい。捕まったのね」
「クソ暑い中ぼーっと海見てたから確保したわ」
砂羽に抱えられる格好で、碧乃が戻って来た。どうやら水に入らず波打ち際で紡と刹那を眺めていたらしく、頬が赤くなっている。
「少し体温下げなさい。音夢ちゃーん、ちょっといいかしらー?」
伶桜がキッチンへ向かって声をかけると、奥から音夢がのっそり顔を覗かせた。
顎の長さの茶色い内巻ボブに、左右で一房ずつ牛の角のようにくるんと跳ねた髪、笑っているような糸目が特徴的な、ややぽっちゃりめの女性だ。ギンガムチェックのオフショルダーシャツと切りっぱなしデニムのショートパンツに、グラディエーターサンダルを合わせた涼しげな格好をしている。
「どうしたのお?」
「ドリンク冷えてるのあるかしら? 碧乃ちゃんがちょっと暑そうなのよ」
「あるよお。待っててねえ」
音夢は一度顔を引っ込め、それから暫くして、冷えたペットボトルと濡れタオルを手に伶桜たちの元まで来た。
「タオル絞ってきたからこれでお顔冷やしてねえ」
「んー」
言いながら頬にタオルを当てると、碧乃が間延びした声を漏らした。じわりと熱が溶けていく感覚に、思わず溜息が零れる。
「あ……もうすぐお昼だよね? なんか手伝うことある?」
「魚介は美魚ちゃんたちが捌いてくれてるから、カレーの仕込みを頼もうかしら」
「おっけーい」
「まあ、いまは休みなさい。飲み終わったらいらっしゃいね」
「はーい」
ひらりと手を振り、伶桜はキッチンに向かった。
水分補給をする合間に砂羽の手によってパーカーを剥ぎ取られ、背中や首筋、腕や脚に満遍なく日焼け止めを塗り込まれていく。
「手は料理が終わったら自分でやんな」
「わかった。ありがとね、砂羽姉」
碧乃の日焼け止めを塗り終えた砂羽も、伶桜に続いてキッチンへ消えていく。
残された碧乃の横では、音夢がパウチのゼリードリンクを啜っている。
「そういえば、あの二人はどうしてるのお?」
「あー……なんか、サザエ取るとか言って岩場のほう向かってったよ」
「取れるといいねえ」
生ぬるい海風が吹き抜ける中、暫しゆったりと寛ぐ。
遠くで紡と刹那がはしゃぐ声がして、近くのキッチンでは下処理をしているらしき包丁の音がする。時折まな板に思い切り叩きつけている音もするが、恐らく魚の頭を落としているのだろう。確か人間も入れそうなクーラーボックスに何故かカンパチが丸々一匹入っていたから。
休憩を終えた音夢と碧乃がキッチンに入ると、流し横のまな板が血塗れだった。
どうやら魚介を捌き終えたところのようで、美魚と結月が清々しい表情で殺人鬼と見紛う真っ赤な両手を洗っている。いつも美魚が抱いているぬいぐるみはおんぶ紐で赤子のように背負っているようで、魚の頭が肩から覗いているのが半分見える。
ふと美魚が碧乃たちに気付き、顔を上げた。
「あ、碧ちゃんだー。どしたの? おやつなの?」
「んーん、カレー作りにきた」
碧乃の答えを聞いた美魚と結月の表情が、一気に華やぐ。濡れたままの手を構わず絡め合い、散歩のリードを見た犬のようなキラキラした顔になっていく。
「碧ちゃんのカレー、楽しみなの! 晩ご飯だよね?」
「うん。昼のバーベキュー前にお肉確保しとかないと、全部食べられちゃうし」
「みんなあるだけ無限に食べちゃうもんね。あ、そうだ。冷蔵庫のお鍋置けるところ開けてあるから、使っていいの」
「ありがとー」
入れ違いに休憩しに行った結月と美魚を見送り、綺麗に片付けられたキッチン台に立つ。シンク下には寸胴鍋が二つ。この鍋が満ち満ちるほどにカレーを作るのだ。
「音夢、がんばろーね」
「うん、美味しく作ろうねえ」
おっとりと頷く音夢と共に、碧乃は調理場という名の戦場に立った。
十二宮たちのサマーキャンプ 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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