第58話 未来へ

 昨日の雨が夢だったのではないかと思うほど、雲ひとつない青空。

 真上に昇った太陽が燦々と輝き、陽光を浴びた草木の緑が鮮やかに浮き上がる。

 穏やかな風が頬を撫で、髪をさらう。


「忘れ物はないか?」


 ユリウスに問われ、ライリーはマジックバッグに入れ込んだものを思い出す。

 王都までの食糧と水。

 寝室のクローゼットに、これで帰ってこいと指示するように入っていた一般的な旅の装備品。

 旅に必要なものに不備はない。


 また、自由に使わせてもらったとはいえ、ここはミカエラの別荘だ。

 魔術を駆使しながら徹底的に掃除した。

 おそらく、ライリーとユリウスがここに来た時よりも綺麗になっているはずだ。


「ないよ」

「じゃあ、閉めるぞ」


 ユリウスが玄関ドアに魔術陣を描いて施錠した。

 正規の施錠方法がわからないため、あくまでも仮の措置でしかない。

 近々、管理を任されている誰かが適切に処理するだろう。


 魔術陣が発光し、かと思えば玄関ドアに沈むように消えていく。

 これで施錠は完了だ。


 ライリーと揃いの白いシャツとカーキ色のローブ着たユリウスは、どこからどう見ても冒険者にしか見えない。

 騎士服もいいが、冒険者の装いも似合っている。

 もしもユリウスが冒険者だったら、その実力も相まって人気者になっているだろう。


 じぃっとユリウスを凝視していたからだろう。

 ユリウスは首を傾げた。


「どうした?」

「いや、似合っているなぁって」


 冒険者の装いに見惚れていただなんて、普段なら恥ずかしくて言えない。

 しかし、ユリウスと想いを通じ合わせて痛感したのだ。

 

 想いを、感情を、きちんと言葉にする。

 それを大切な人に伝え、話し合う。


 ユリウスと寄り添って生きていくと決めた。

 王都で生活していた時は上手くいっていたが、これからは考えが衝突することもあるだろう。

 そんな時、すれ違いたくはない。

 一年近く遠回りしてしまった今、余計にそう思うのだ。

 だから、恥ずかしくても言葉で伝えたい。


「そうか? ありがとう」


 ライリーが胸を逸らせながら伝えたというのに、ユリウスは言われ慣れているのか、あっさりとした反応だ。

 余裕のある態度が面白くない。

 

 ライリーは、厩で待っているダイアナを迎えに行くユリウスに、不満たっぷりの視線を突き刺す。

 そこで、ふと気が付いた。

 ゆったりとした歩幅で歩くユリウスは普段と変わらない。

 しかし、その耳は燃えるような赤い髪よりも赤く染まっている。


(なんだ。俺だけじゃなかった)


 淡白な態度は照れ隠しだった。

 それがわかっただけで、ライリーの胸が躍り、安堵へと変わる。

 ライリーはスキップをしながら、ユリウスの後を追いかけた。


 ライリーとユリウスの姿を視界に入れた瞬間、ダイアナの目が輝いたような気配がする。

 たくさん食べて、休んで、これから王都まで行く。

 遠駆けが好きなダイアナにとって、最高の休暇と言えるだろう。

 

 ダイアナに馬具を取り付け、厩から出す。

 機嫌良く軽快に歩く姿は、ライリーよりも大きな体ではあるが愛嬌がある。


「王都まで頼む」

「よろしくね」


 そう声をかけると、ダイアナは胸を張り、任せてと言うように大きく長く嘶いた。


 出発の準備はできた。

 あとはダイアナの背に乗るだけだ。

 ユリウスはダイアナの手綱を握り直し、片足で跪いた。


「どうぞ」


 流れるような動作で差し出されたユリウスの膝に、ライリーは動きを止めた。

 ユリウスはライリーが馬に乗れないと思ってる。

 だからこそ、自ら踏み台になろうとしているのだ。

 その厚意を無駄にしたくはない。


 しかし、ライリーには、その気遣いを黙って受け入れられない事情を抱えていた。

 

「ありがとう。でもさ。実は、馬ならもう一人で乗れるんだ」


 ハルデランに帰ってからこの一年、自棄で予定を詰め込んでいたのだが、ただそれをこなしていたわけではない。

 関わるひとつひとつの事に、真摯に向き合う。

 それは現実逃避に都合がよく、ライリーが得た知識と経験は膨大な量になっていた。

 乗馬ができるようになったのも、そのひとつだ。


「え……?」


 目と口を開き、呆然とするユリウスの姿を見て、ライリーの胸に申し訳なさが溢れる。

 

「影の仕事で必要だったからジャクソンさんに教えてもらってさ」

「ジャクソン様か。俺が教えたかったのに」


 ユリウスは眉間に皺を寄せ、悔しそうに、だが仕方ないといった様子で肩を落とし、最後は子どものように頬を膨らませる。

 その様子に、ライリーは首を傾げた。

 

「ジャクソンさんに憧れていたんじゃないのか?」


 以前、ハルデランから王都へ向かう途中、ジャクソンから稽古をつけてもらっていたライリーを羨ましがっていたのはユリウスだ。

 影たちの憧れであるジャクソンに輝く眼差しを向けていたというのに、一体どうしたというのか。

 

「それとこれとは別の話だ」 

「そうやって誰彼構わず噛み付くなよ」

「善処する」

 

 肩を竦めて応えたユリウスだが、善処するとはどこまでのことを言っているのだろうか。

 怪しいと思いつつ、これ以上ユリウスが拗ねないようにと、ライリーは未だ踏み台の姿勢を崩さない彼の膝に足を掛け、ダイアナの背に乗った。


 たったそれだけだとういうのに、ユリウスは頬を緩める。

 そして、音もなくひらりと体を浮かし、ライリーの後方に腰を落ち着けた。

 後ろからライリーを抱き込むように手綱を握り、ダイアナの腹を軽く叩いて出発の合図を送る。

 すると、ダイアナはそれに応え、山々が青く繁り、湖畔が煌めく風光明媚な景色の中を軽快に駆け出した。

 

 なんて贅沢な風景なんだろう。

 ここがミカエラの静養地である理由がわかった気がした。

 ミカエラ専属の影にならなければ二度と見ることができないこの美しい場所を、緩やかな坂を下りながら目に焼き付けていく。


 何気なく視線を下に落とすと、道の両端に白い花が咲き誇っていることに気付いた。

 名前も知らない、小さな白い花。

 それを見て、ライリーはあることを思い出した。


(きっと、今がその時だ)


 腰に巻いているマジックバッグ。

 その口を開けて手を入れ、欲しいものを頭に浮かべると、思った通りの感触が手に伝わった。


「ユリウス。これ……」


 上半身を捻り、ユリウスに差し出したのは、赤いアネモネを基調とし、チューリップやラナンキュラスなど花弁の大きなものからミモザや鈴蘭などの小さなものまで、春の花がまとめられた花束だ。


 今年の花祭りのために用意したそれは、もう渡せないと思いつつ、諦めきれずに手元に置いていたもの。

 しかし、思わぬ再会を果たし、機会が巡ってきた。

 ユリウスが好きな花を、ライリーは知らない。

 一年前から好きになった赤いアネモネだけは外せない。

 だが、それだけでは足りないと、とにかく綺麗なものを手当たり次第に選んだのだ。


「これ、どうした?」


 突然現れた花束を凝視するユリウスは、花束を握ったライリーの手に、その手を重ねる。

 触れ合った熱に安堵し、胸の奥から溢れる想いを伝えるべく、ライリーは乾いた唇を舐めて口を開いた。

 

「遅くなったけど、一年前の花祭りのお返し。約束、しただろ?」


 風に揺れる、赤いアネモネの花束。

 赤いアネモネの花言葉は、君を愛す。


 それは昨夜、ユリウスから教えてもらったこと。

 だからこそ、今この時、ユリウスに渡す意味がある。


「約束、覚えている」 


 震えて掠れる声。

 潤んだ碧い瞳。

 ユリウスの口元が、ふわりと緩んだ。


「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」

 

 ライリーは湧き起こった衝動に身を任せ、花束ごとユリウスを抱き締めた。

 重なった鼓動が、想いが、胸を喜びで満たしていく。

 

 ユリウスの腕の中で幸せに浸っていると、不意にライリーの耳元でユリウスが声を上げた。

 

「なあ、馬に乗れるならさ。休日は遠乗りしよう」

「昼飯持ってな」

「ああ。他にやりたいことは?」

「チェスやりたい。それから街歩きや、できることならこんなふうに旅も」


 ミカエラの影武者を演じるため王都に行かなければ、そして、ユリウスと出逢い共に過ごさなければ、自分のやりたいことなど思い付かなかった。

 それが、今はユリウスとしてみたいことが次から次へと溢れてくる。

 この二年で得たものは、両手に抱えきれないほどで、そのすべてが何ものにも代え難い大切なものだ。

 

 そして、最愛はすぐそばに。

 

「全部やるぞ。これからずっと、一緒にいるんだからな」

「うん」


 ライリーが頷き微笑むと、ユリウスもまた頬を緩ませ、そしてまた、どちらからともなく甘い口付けを交わす。


 身の程知らずでいい。

 ユリウスとなら、どんな困難が訪れようとも、きっと大丈夫だ。


 鼻腔を擽る、春の花の香り。

 それは、常春の始まりを告げる合図。

 幸せの中にある二人を祝福するように、優しい風が、ライリーとユリウスの髪を撫でた。

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影武者は身の程知らずの恋をする 永川さき @nagakawasaki

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