第56話 繋がる想い
でも、知りたい。
ユリウスの心を、そのすべてを。
「そ……れなら、なんであの時、俺を抱かなかった?」
ライリーが好きだと言うなら、ライリーが媚薬を盛られた時、ユリウスからしてみれば据え膳だっただろう。
ユリウスなら、正常な判断ができない状態である上に、媚薬の知識がないライリーを言いくるめて抱くこともできたはずだ。
「なんで? 辛そうな顔して嫌がるお前を抱けるわけないだろ」
「あ、あの時は辛かったけど嫌がってなんか……。ユリウスだって嫌そうにしてたじゃないか!」
今でもユリウスの歪んだ顔をはっきりと思い出せる。
あの顔は、誰がどう見ても嫌がっていた。
ユリウスはライリーとの友情を大切にしたかったから、嫌々ながらもライリーの体を早く楽にするための措置を取った。
だから、ライリーを抱かなかった。
そう考えるのが自然だ。
ユリウスの行動は、ライリーの中で元々ゼロだった相思相愛になるという可能性を跡形もなく木っ端微塵に打ち砕いた。
それでも惨めったらしくユリウスの気配に縋って影になったのはライリーのエゴだが、その認識が違っていたというのか。
「違う! 俺はお前を抱きたいのを我慢してたんだ!」
「は、ぁ……? あ、あれで? 半分手ぇ出してたじゃないか!」
ライリーはあの夜を思い出して顔を熱くする。
ユリウスの主張をそのまま受け取るのであれば、あの夜、ライリーの大切なところだけ触ればよかったはずだ。
しかし、ユリウスはどうした?
ライリーの唾液で濡れた指で、全身を撫で回したではないか!
「ぐっ……それは、その、悪かった。でもしょうがないだろ! 好きなやつがあんなふうになっていて普通でいられるわけない。あれでも必死に我慢してたんだよ」
言葉に詰まったユリウスは、唇を噛んで視線を逸らした。
その顔は、首筋に至るまで真っ赤に染まっている。
ライリーがあの夜のことを指摘してから一気に赤くなったこともあり、酒の影響だけではないのは明らかだ。
それを見ると、ライリーの顔もさらに熱くなった。
ユリウスの言い分はわかった。
自制が効かなかったのも理解できる。
ライリーもあの記憶で自分を慰めたのだから、これ以上責める権利はない。
しかし、あとひとつだけ。
どうしても聞きたいことがある。
「なんで、言ってくれなかったんだ」
もし、ユリウスが想いを告げていてくれたなら。
ライリーは身の程知らずだろうが何だろうが、葛藤しながらもその手を取ったかもしれない。
その可能性があったのなら、こんなに胸を焦がすこともなかった。
ライリーもユリウスに向ける想いを告げなかった時点で同罪だ。
しかし、問わずにはいられない。
震えるライリーの声を耳にしたユリウスは、逸らしていた碧い瞳でシャンデリアの輝きを反射させ、乾いた唇を舐めた。
「ライリーとは契約で結ばれた関係だった。王都に繋ぎ止める理由がなかった」
「そんなの、ユリウス自身が理由になればよかっただろ!」
「ライリーはミカエラ殿下と似ている。王都にいれば自由に外に出ることは難しい。そんな窮屈な思いをさせるなんてできなかった。それに、ハルデランには家族がいるだろう」
ライリーはユリウスの言葉に、はっと意識が引き戻されたような、曇っていた視界が開けたような感覚になる。
互いを想うからこそ身を引いた。
そういった点では、良い意味でも悪い意味でも、ライリーとユリウスは似たもの同士だということだ。
だが、均衡は崩れた。
ユリウスは確かに一歩を踏み出した。
次は、ライリーの番だ。
本当にこの道を選んでいいのか。
ライリーが選択することで、ユリウスを不幸に引き摺り込んでしまわないか。
不安は山ほどある。
――でも、今この瞬間は自分の心に従うべきだ。
ライリーに足りなかったのは、関係が変わることを恐れずに踏み出す勇気。
ライリーは自分より少し大きくて暖かなユリウスの手を、震えながら握り返した。
怖くても、明日が見えなくても、ユリウスとなら肩を並べて歩いていける。
だから、そのために……。
「俺だって………」
「なに?」
口籠るライリーをユリウスは根気強く待った。
下からライリーを見つめる碧い瞳は、真っ直ぐにライリーが愛しいと伝えてきている。
この想いに応えたい。
熱い奔流を胸に、ライリーは意を決して口を開いた。
「ユリウスが好きだ。俺も、一日も忘れたことなんてなかった」
その瞬間、ユリウスは太陽が輝くように破顔した。
王都にいた時、よく見せていた子どもが笑ったような、喜びを溢れさせた顔。
(やっと笑ってくれた)
胸に熱い想いが込み上げ、じわりと視界が潤む。
きっとこの瞬間を、ライリーは一生忘れないだろう。
ユリウスがおもむろに背筋を伸ばした。
ライリーを囲むように両手をソファにつき、顔を寄せてくる。
ライリーは近づいてくるユリウスの碧い瞳を見つめながら、そっと目を閉じた。
唇に触れる熱い感触。
混じり合う吐息。
何度も夢想した口付けが現実になった。
夢でないことを確かめるようにそっと目を開くと、熱く滾った欲を孕んだ碧い瞳と目が合う。
ライリーの体に、ぞくりとした感覚が走った。
それが合図だったのか、ユリウスはライリーの唇を甘く食んできた。
心地良い痺れが広がり、多幸感に包まれ、返事をするように、ライリーもユリウスの唇を啄む。
その時、ガチャリ、と二人を邪魔するように大きな音が響いた。
ライリーとユリウスは、はっと顔を上げ、音のした方向を見る。
玄関ホールからは、その音以外、物音ひとつ聞こえない。
あの金属音は何だったのか。
一体、何が起こったのか。
ライリーとユリウスは顔を見合わせて頷き、腰から得物を引き抜く。
そして、気配を殺して音がした玄関ホールに向かった。
玄関ホールには、誰もいない。
生き物の気配もない。
背に背を預けてぐるりとホール全体を見回すが、侵入者は見当たらず、ミカエラからのメッセージは確認した時から何も変わらない。
「今の何?」
「わからん。何の音に聞こえた?」
「金属音としか……」
「もしかして」
首を傾げる二人だったが、ユリウスはライリーの言葉を聞くと、足早で玄関ドアに駆け寄った。
躊躇いなくドアノブに手を掛け、それを回す。
手前に引くと、ドアは音もなく、そして呆気なく開いた。
夕方になって涼しくなった、冷たく少し湿っぽい空気が、ライリーとユリウスの頬を撫でる。
ドアの向こうには、夕日を反射して煌めく湖が広がっていた。
密室から抜け出せた開放感と安堵。
大きく息を吸えば、新鮮で瑞々しい、豊かな土と水、草木の匂いが肺を満たす。
「話し合えって……あの人、どこまでわかっていたんだ?」
「聞いたら墓穴堀りそう」
ライリーの気持ちはミカエラに筒抜けだった。
しかし、ユリウスはミカエラからライリーのことについて言及されたことはないという。
ライリーとユリウスは揃って身震いをした。
ミカエラの手のひらの上で踊らされたのは間違いない。
ミカエラはライリーとユリウスの二人より歳下ではあるが、王族であり、次代の影の頂点に君臨する者だ。
その片鱗を見た気がして、ライリーは頼もしくもあり、少し恐ろしいと思った。
彼は間違いなく、兄のオーウェンと並ぶ傑物となるに違いない。
二人の導きにより、この国は豊かになる。
そんな期待が胸を膨らませた。
強い風が湖面を撫で、ライリーとユリウスの髪を巻き上げる。
夕日は刻一刻と地平線へ沈んでいく。
「王都に行くぞ。これは影も全員グルだ。一言言わないと後が怖いぞ」
「だな」
ミカエラが仕組んだこの軟禁を、影たちが知らないわけがない。
知っているだけでなく、喜んで計画に加担しているだろう。
ライリーは羞恥で溶けてしまいそうなほど精神的に損傷を負ったが、ユリウスの言う通り、早急に謝意を示さなければ次に何をされるかわかったものではない。
ここまでお膳立てされれば、当然のことだ。
ライリーはこの静養地を熟知しているユリウスの先導で外に出て、屋敷に隣接する厩に向かった。
そこにはいつか見たユリウスの愛馬、ダイアナが呑気に草を食んでいた。
餌場には時間になると草や水が転送される陣が敷かれており、何日滞在してもダイアナが飢えないようにしてある。
すべてが抜けなく画策されていたというわけだ。
移動手段は確保できた。
ユリウスによると、ここから王都までは馬で二日の距離らしい。
「とにかく出発するぞ」
「そうだね。お金も装備品もほとんどないから、ご飯は用意されているものを持っていこう」
「せっかくあるからな」
「そうそう」
ユリウスが食事中のダイアナの邪魔をしないよう、首筋を優しく撫でる。
すると、彼女は機嫌良く鼻息を鳴らした。
まるで旅の道中は任せなさいと言っているようだ。
ユリウスに促され、ライリーもダイアナを撫でる。
艶々とした毛並みは以前と変わらず美しく、鍛えられた逞しい体躯は力強い。
王都に行く目的を思い出すと気が滅入るが、ユリウスやダイアナと共に辿る旅路は楽しみだ。
ライリーとユリウスはダイアナが満足するまで体を撫でた。
そして、旅支度を整えるため、厩を出て屋敷に戻ろうとした時だ。
激しい閃光とともに、空が割れるような轟音が耳を劈く。
直後、痛いほどの雨粒が二人の肌を叩いた。
「うわ嘘だろ!」
「戻るぞ!」
「おう!」
ライリーとユリウスは急いで屋敷までの短い距離を走ったが、軒先に入るまでに全身ぐっしょりと雨に濡れてしまった。
軒先に入った二人は、顔を顰めながら空を見上げた。
黒い雲は別荘の裏から湖の方向へと進み、視界が白く煙る。
ダイアナがいる厩も、白いカーテンで隠されてしまった。
流れる雲は切れ目がなく、激しく降る雨は止む気配がない。
「これじゃ出れないな」
「夕立か。上がるころには夜になっているはずだ」
「一晩ここに泊まるしかない?」
「そうだな」
できれば一秒でも早く王都に行き、一刻も早く羞恥にまみれた報告を終わらせたかったというのに、出鼻を挫かれてしまった。
豪雨によって再び軟禁状態に陥ったライリーとユリウスは揃ってため息を吐き、びしょ濡れになった服を絞る。
目と鼻の先から走ってきたというのに、絞ったところからぼたぼたと水が落ちていく。
季節は夏。
しかし、南方ほど気温は上がらず、朝晩は羽織るものが必要だ。
その上で、気温が下がりつつある夕方に雨に降られれば寒さを感じる。
寒気を感じたライリーは、堪らずくしゃみをした。
「ライリー」
玄関ドアが開かれると同時に、ユリウスから手を掴まれた。
絞りかけの服が水滴を落としていくが、ユリウスはそれに構わずどんどん奥へと進んでいき、階段を登っていく。
ライリーは点々と続く水滴の道を振り返るが、ユリウスに止まる気配はない。
ここはミカエラの所有する別荘だ。
自由に使わせてもらっている立場として、いや、そうでなくても、他人の所有物を汚すわけにはいかない。
「ユリウス、水が」
「このままだと風邪をひく」
「そうだけど」
「あとで拭けばいい」
ライリーの言葉をぴしゃりと跳ね除けたユリウスに迷いはない。
最優先事項は濡れた体をどうにかすること。
この序列は揺るがないようだ。
ライリーの胸に不安が過ったが、寒さで体が震え始める。
このままの状態で床を掃除すれば、ユリウスの言う通り風邪をひいてしまうだろう。
(ミカエラ殿下、ごめん!)
心の中で何度もミカエラに謝罪する。
幸い、グリムコーウェンは世界に誇るガラス細工の生産地だ。
ライリーは王都に向かう道中で詫びの品を買うことにした。
ユリウスは迷いなく、二階に上がってすぐにある使用人部屋のドアを開け、手前にあるクローゼットを開け放つ。
そこから取り出したのは、石鹸の香りがする柔らかく大きなタオルだ。
ライリーはユリウスからそのタオルを頭から被せられ、優しく丁寧に髪を拭かれていく。
同時に、ユリウスは風の魔術を発動させた。
芽吹きの春の野を撫でるように、温かな風がライリーとユリウスの冷えた体を温めていく。
飛び散った水滴は風に乗ってライリーとユリウスを丸く立体的に取り囲み、照明を反射して煌めいている。
「わ、ぁ……」
満天の星空に放り出された。
そんな幻想的に思える光景だが、呆けている場合ではない。
ライリーの髪を拭いて、髪が早く乾くようにと世話をしてくれているユリウスもまた、濡れているのだ。
甲斐甲斐しく世話を焼かれているだけでは、今までと同じではないか。
ライリーは我に返ると、ユリウスの首にかかっていたタオルに手を伸ばし、風で巻き上げられている彼の髪を拭き始めた。
「もうほとんど乾いているぞ」
「いいだろ。俺だってユリウスに何かしたい」
今まで、ユリウスから受け取るばかりだった。
これからは、ライリーも受け取った分の、いや、それ以上の想いを返したい。
そう思うのが、愛なのだと思う。
「じゃあ、おねだりしていいか」
「なんでもどうぞ」
ライリーの肯定に、ユリウスの顔が輝いた。
まるで少年のような笑顔に、ライリーもつられて頬が緩む。
しかし、ユリウスのおねだりとは何なのだろうか。
なんでもとは言ったが、無理難題を突きつけられても困る。
とんでもないことを了承した気がしたライリーは、首を傾げつつ、胸を逸らせながらユリウスの言葉を待った。
「キス、してほしい」
「え、キス……?」
キスとは、キス――口付け――以外に他ならない。
想いが通じて初めてのおねだりがキス。
なんて可愛らしいおねだりなんだろう。
じわじわと顔が熱くなり、口元が緩みきってしまう。
ライリーがそんな顔をしていたからだろうか。
ユリウスは笑顔から一転、耳まで真っ赤にして視線を彷徨わせた。
「なんで恥ずかしがってんの?」
「いや、自分で言ってなんだが、年端もいかない少女が言うようなことだったなと」
「いいじゃん。俺もキスしたかった」
サロンでのキスは、別荘の鍵が開く音が響いたために、中途半端に終わってしまった。
甘く切なく、胸を熱くする口付けを、もう一度したい。
ライリーは雨で押し流されてしまっていた激情を思い出した。
ユリウスの頭を覆っていたタオルは、その首元まで落とす。
そして、ライリーの後頭部に回っていたユリウスの手を肩へと誘導した。
少し背の高いユリウスに合わせて僅かに踵を上げ、ユリウスの頬に手を添える。
顔を近づけると、肩に沿ったユリウスの手に力が入った。
混じり合う視線は、この先への期待を膨らませている。
熱を取り戻した唇。
柔らかな感触。
唇だけでなく、心もぴたりと重なった。
胸の奥から湧いてくる幸せ。
それを噛み締めて目を細めると、目尻から煌めく雫の粒が音もなく頬を伝った。
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