6話 (最終話)

「恵子ちゃん?」


 私が目を覚ますと、そこは屋上で、上から琴乃梢が心配そうに見下ろしていた。


「熱中症になっちゃうよ?」

「あ、うん。起きるから。」


 寝ぼけ気味に身体を起こしたけれど、じりじりとした暑さやみんみん鳴く蝉の声が、私を現実に引き戻した。


 (どこから夢だったんだろ)


 私が顎に片手を添えて考えていると、梢は微笑みながら言った。


「Kってやっぱり恵子ちゃんのことだったんだ。何の用事?」

「……あのさ。」


 私は大真面目な顔で、彼女の目を見つめながら言った。


「今死のうとしてない?」


 梢の表情が硬くなった。そのまま少しだけ何も無い時間が流れて、生ぬるい風が吹いた途端に彼女は言った。


「うん」

「じゃあさ。ちょっと待ってて。今からメール書くから。」

「……メール?」

「うん。ずっと色々考えて、送ろうとしては消しちゃってた。今度はちゃんと送ろうと思って。」


 私はそう言いながらスマホを取り出し、フリック入力を始めた。フリック入力、フリック入力……。


 書き殴っては何度も修正をする。大事な思いを綴る。すると間違えてしまい、文章が全て消えてしまった。しばらく親指を止めて、また文字を打ち出す。


 今までにも、私は何度も文章を消してしまったことがある。それは気味の悪さから消したり、勇気が出ずに消したり、はたまた誤操作で消しちゃったり。一生懸命思い出しても再構成しても、もう同じ形にはならない。

 

 でも、伝えたいことの核は変わらない。私のふわふわとした形ある思いは、私の心の中に保存されている。だから何度だって煌めかせて生まれさせることができるのだ。


 私は送信ボタンを押した。





『こずえ!私は周りと違うって良いと思う!

大事なのはそんなこずえを好きでいてくれる人がいるかどうかだと思う!

富とか名誉って誰かに好かれたり認められたりするためにもあると思う!

とにかく死なないでよね

私がついてるからさ(((o(*゚▽゚*)o)))♡

今まで気付けなくてゴメン(´;ω;`)

私もイジメられたことあるからさ、ファミレスとか行って人間の醜さについて愚痴ろーぜ!』





 梢はメールを見て固まった。やっぱり気持ち悪かったかな、と私は後悔した。しかし逆に、死ぬのが馬鹿らしくなってくれないかな、とも思った。


「恵子ちゃん。」

「ごめん。送信取り消ししていい?」


 私は少しだけはにかみながら言った。





 梢はにっこり笑ってから言った。


「だめに決まってるじゃん。」


 彼女の背中から、天使の翼が生えた。


「え」


 驚愕した私を、梢が走り寄ってきて抱きしめた。そして彼女は翼を羽ばたかせ、屋上を飛び去り、私を抱えながら青空を舞ったのだ。


 小学生の時に考えたことがある。空を自由に飛べたなら、どんなに楽しいだろうと。翼が欲しいと願ったことがある。梢も願ったのだろうか。嫌いな人や怖い人が誰もいない世界に、飛び立てるような翼が欲しいと。


 今になって私は、彼女に願いを叶えてもらっていた。初めての空は、上は眩しすぎるし、下は怖すぎる。目を瞑って梢に抱きしめられていると、やっと心が落ち着いた。


 そうして私はもう一度空を見た。


 空には真っ白な入道雲が浮かんでいた。緑色の山や街並みが、何気なく見ているはずの景色なくせして、絶景に見えた。


 私たちはしばらく太陽の光に焼かれ、同じくらいいっぱいの風を浴び、お互いに笑い合った。


「あんたさぁ!」

「なーに!」

「翼があるなら!終電逃しても良かったじゃん!終電追っかけなよ!」

「あはははは!」

「あはっ!」


 私たちはへらへら笑い合って、とても晴れやかな気持ちに包まれていた。


 そして私たちは、あることを先延ばしにした。


 この後、私は多分梢に頼んで、いろんな場所に行くと思う。世界のあらゆる絶景を観光した後は、いっぱい遊びたい。透き通った海で遊びたいと思った。ビーチバレーのボールなんかも自分たちで膨らませてから。


 だから、それにも飽きるまでは、いじめっ子たちは消えたまんま。授業をする先生たちも消えたまま。クラスの男子もクラスの女子も、電車の中のサラリーマンも消えたまま。私の家族もみんなの家族も。総理大臣も大統領も。有名なシンガーソングライターも。


 もし私たちが小説のキャラクターだったら、その小説を読んでいるあなたも、知らないうちに消えたのだろう。今それを読めているということは、梢があなたを元に戻したのだろう。


 やがてまた生み出されるまで。それまでは、私と梢を除けば。


 みんな、人類オールデリート。

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