第7話 大団円
日本という国は、本当は昔から、諜報活動には、長けていた国だったのだが、今の、
「自由主義」
というものになり、いい悪いの問題に限らず、諜報活動がやりにくくなったといってもいいだろう。
特に、今の時代に限ったことではなく、諜報活動がやりにくくなった理由の一つに、
「マスゴミ」
と
「世論」
という問題があるに違いない。
日本という国が、戦争に巻き込まれたのも、戦争を始めて、せっかくうまくいきかけた作戦が、失敗し、泥沼の状態に陥ったのも、
「世論を先導したマスゴミのせい」
だといってもいいだろう。
戦争に巻き込まれたというその戦争は、
「大東亜戦争」
であり、
「シナ事変から始まる」
ということで、シナ事変というのも、元々は、解決済みのものを、中国側から挑発されたということで、引きずり込まれたのだが、その原因の一つとして、
「相手からの居留民虐殺事件」
という、
「通州事件」
を発端として、
「中国を許すな」
というスローガンから、日本は、
「戦争をやめられなくなった」
ということであった。
そしてもう一つの問題としては、
「戦争を始めた時、最初の落としどころ」
としては、
「半年くらいの間に、相手に連戦連勝で、敵国の繊維を挫いた時に、和平を持ち掛け、いい条件で和平を結ぶ」
ということだったのだ。
相手国の国力から考えれば、その方法しか勝ち目はないと考えていたにも関わらず、今度は勝ちすぎたために、
「戦争をやめられなくなった」
という、
「同じ戦争において、同じ理由ではあるが、条件が違う」
ということで、せっかくの、
「二度もあった機会」
を逃してしまったのだった。
シナ事変においては、せっかく、
「トラウトマン和平交渉」
というのがあったにも関わらず、
「こっちが優位に立った」
ということで、条件を厳しくしたことで、和平がならなかった。
これも、マスゴミや世論が怖かったからであろう。
しかし、対米戦においては、
「アメリカに勝てる」
ということを、世論だけでなく、政府や軍も思い込んでしまったのかも知れない。
それは、やはり、
「驕り」
ということであり、
「世界情勢をわかっていない」
ということになるのではないだろうか?
「これが、日本という国の命取りだ」
ということであろう。
そんな時代であるが、K大学の山南博士と、W大学の黒川博士と、それぞれに研究しているものを、
「国家のため」
ということで、お互いに研究をしていた。
前述の歴史というものも分かっていて」、
お互いに、
「国家のため:
ということで、研究の没頭していたのだ。
しかし、二人は、
「それぞれに、同じ目的をもって研究している」
ということをわかっていなかった。
というのも、これはあくまでも、
「軍事目的」
であった。
というのも、政府の考え方としては、
「このままでは、増税の上に、外国から武器を買わされることになるので、それをできるだけ削減しようとして、国産の兵器で、しかも、オリジナルのものとして、外国にも売れるもの」
ということでの開発だったのだ。
だから、
「お金がない」
という理由を隠して、日本は、外国にもわからないように、黒川博士の方は、
「アナフィラキシーショックで、アレルギーを治す」
という名目で、実は、サイコキネシスにての兵器開発を考えているのである。
そして、山南博士の方では、
「躁鬱症というものを利用して、ポルターガイストを起こさせよう」
という研究をしていたのだ。
こちらは、
「精神疾患を治す」
という名目であった。
これらの研究は、その共通点として、
「それぞれに伝染病的な発想が含まれている」
ということであった。
これは、何からヒントを得たのかというと、
「ドラキュラ」
の話であった。
ドラキュラというのは、
「血を吸われると、吸われた本人も、吸血鬼となり、ねずみ算的に増えていく」
というものであった。
その考え方から、
「伝染病が、病気に聞くのかも知れない」
とは言われていた。
「マイナスにマイナスを掛ける」
とプラスになるという考えであった。
ただ、それよりも、着目したのは、
「ねずみ算」
であった。
あくまでも、どんどん増え続けていくという発想で、そのうちに、
「量産型になる」
ということであった。
今の時代は、
「テロの兵器」
というものが何よりも強い。
「核兵器」
のように一発で破壊できるに越したことはないのだろうが、その悪影響は甚だしいものがあるし、世間が許さない。
しかし、小型で、威力の低いものは、ゲリラ戦には適していて、その分、問題にもなりにくいということであった。
そこで、さらに、
「兵器のステルス性」
というものを考えると、サイコキネシスであったり、ポルターガイストのようなものが、一番いいと考えていたのだ。
今はどちらが、
「兵器としてはちょうどいい」
ということなのか、わかっていない。
しかし、どちらも兵器としての力は、甲乙つけがたいといえるだろう。
となると、
「どっちが、ステルス性が高いか?」
ということで、二人の科学者を競わせていたのだが、どうやら、競わせるということよりも、また別の方法で、いい方法が出てくるのではないか?
ということが考えられた。
今、ちょうど、欧州付近で、戦争が起こっている。
そこでも試されていることがあるのだが、それを、日本の科学者はある程度までわかっているようだった、
しかし、
「肝心なところがわかっていない」
それはそうだろう。
簡単にわかってしまうような兵器であれば、誰が、好き好んでわざわざ開発チームを競わせてまで作るというのか。
日本という国は。昔から科学の発展には、著しいものがあった。
世界的にはあまり有名ではないが、江戸時代から、こっちの時代を見ても、その科学力は、すごいものであった。
「資源と、環境さえあれば、原爆開発も夢ではなかった」
といわれるくらいで、それを口にしないのは、日本という国が、
「唯一の被爆国」
だからだということであろう。
だが、昔から、非核三原則だとか言っているが、本当なのかどうか、信憑性に欠ける。
さらには、
「某国の属国のごとく」
原水爆禁水」
に調印しないではないか。
もちろん、核兵器の開発などまったくダメで、できるとすれば、このような、目立たないが大量にあれば、
「十分兵器として通用する」
というものであろう。
「ステルス」
という意味では、もう一つの開発が、ある程度まで進んでいる。
それは、
「モスキート音」
というものを使ったものであった。
「モスキート音」
というものは、
「ある一定の年齢以上になると聞こえにくくなる」
というもので、兵器としての開発に結構諜報しているようだった。
それも、
「ステルス」
ということである。
その、モスキート音というものから、今回の二つの発想は出てきた。そして、お互いに研究を競わせているのだが、そのうちに、どちらかが、少し先に進んでいるようだった。
元々、それぞれに、一進一退が続いていて、それは最初から分かっていることだったが、次第に、それが、
「どちらかが、先に進む」
ということになったようだ。
これも、
「マイナスにマイナスをかけるとプラスになる」
という解釈からくるものだった。
しかも、伝染病からくるものなのだが、その内容としては、
「黒川博士と、山南博士の性格を考えると、どちらがどちらに含まれるか?」
ということは、最初から分かっていたような気がする。
二人の博士は、そんなことをまったく知らずに研究している。
その二人を国家から派遣された人間が、監視という目的で、二人の学者を、比較してみている。
「俺は、なんて、むごい仕事をしているんだろうか?」
と、たまに考えながらである。
しかし、彼にそんな罪悪感は必要なかった。
なぜなら、そんな彼を見張っている、もう一人の男がいたからである。
まさに、
「合わせ鏡の法則」
と言ってもいいのではないだろうか?
( 完 )
果てのない合わせ鏡 森本 晃次 @kakku
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