第6話 スパイラル

 そんな、

「自然の摂理」

 というものを研究材料とする山南博士は、今研究していることとして、

「心理学的なことと、今回研究しているっ自然の摂理が、微妙に結び付くことで、今の世お腹における諸問題が解決できないか?」

 ということを考えているという。

 特に、

「地球温暖化」

 であったり、

「異常気象」

 ということに結びつかないか?

 という研究であった。

 そういう意味で、

「W大学における黒川博士が研究しているものとしての、アナフィラキシーショックを使っての、サイコキネシスというものを考える」

 という研究をしているが、

「K大学の山南博士は、似たような研究ではあるが、その背景はまったく違っていて、それぞれ、お互いに、似たような研究をしているということを分かってはいない」

 ということであった。

 山南博士も、黒川博士は、それぞれ、面識があった。

 というのも、高校時代は、同じ高校だったのだ、

 それも、全国でも有名な、

「理数系の学校の中でも、トップクラス」

 と呼ばれる進学校であった。

 そんな進学校の中でも、二人は、一年生の頃から、その才能は突出していた。

 いつも、二人で、主席を争っていて、

「お互いに相手がいなければ、絶対にダントツでトップなんだけどな」

 といわれるような関係だったのだが、そんな中で、名誉教授と呼ばれる先生が、二人のことを見て、

「いやいや、二人は、それぞれにいい味を出しているので、別に最初から、争うという意識などないんじゃないかな?」

 ということであった。

 確かに、どちらの生徒も、教授は分け隔てがなかった。

 というのも、他の生徒と比較しても同じだった。

 なぜ、そうなのかというと、

「二人とも、その道のプロとしては、それが当たり前だということで、意識なんかしていないんだよ」

 ということであった。

 それは、どういうことなのかというと、

「二人はそれぞれに、自分の表現の仕方が違っていて、そのことはそれぞれにキチンと分かっていて、しかも、黒川君は、山南君のことを、山南君は、黒川君の立ち位置というものをわかっているので、何も争うことなど必要ないとばかりに、謙虚なものなんじゃないかな」

 というのであった。

「どうしてですか?」

 と他の人が聞くと、

「君には分からないかい?」

 というと、聴かれた人は、頭をかしげるので、名誉教授は、自分も頭を傾げながら、不思議な顔をして、

「いやいや、二人はまったく違うよね。というのは、黒川君は、天才肌で、山南君は、コツコツと研究することが得意だよね?」

 というと、

「どちらも天才肌に見えますが?」

 と男がいうと、

「それはね、山南君が閃きということで、特化したものを持っているからだよ」

 と答えたのだ。

 K大学は、この土地を以前から物色していた。

 この土地においては、今までに以前から、K大学が利用してきたものもたくさんある。

 例えば、今では、体育会系の合宿施設であったり、美術関係の施設なども結構あり、美術館も、K大学の生徒による個展なども開かれているようだった。

 そもそも、このあたりの町は、以前から、大学施設として使われていたものが多かったようで、特に、大日本帝国時代においての大学施設というのは、

「昔の財閥系」

 と結びつくことで、特に兵器開発において、大学を隠れ蓑にして、研究が行われていたものを、

「財閥の研究」

 ということで、国民にはもちろんのこと、他国の諜報機関にも漏らさないようにと、気を使っていたのだ。

 考えてみれば、昔の大日本帝国というものは、

「諜報活動に関しては、かなり進んでいた」

 と言ってもいいのではないだろうか?

 元々、日本という国は、

「欧米列強に脅迫同然に開国させられた」

 と言っておいいだろう。

 そもそも、日本という国は、

「貿易はしたいが、キリスト教布教」

 というのを禁止したいということで、鎖国制度をとったのだ。

 キリスト教が、戦国時代、いわゆる海外においての、

「大航海時代」

 において、

「喜望峰からのアジアルート」

 あるいは、

「大西洋からの、アメリカ大陸発見」

 というものが、発見されたことで、

 欧米列強による、

「キリスト教の布教」

 あるいは、

「貿易の振興」

 というものが、盛んになってきた。

 その中で、スペインやポルトガルなどは、作戦として、

「まず、キリスト教の宣教師を送り込み、さらに、そこから、貿易船を入り込ませ、貿易を始める。その中で、キリスト教と、その国から元々あった国の宗教との間に、問題が起こると、居留民保護を名目に、宗主国が軍事介入を行い、そのまま武力にて、国を治めることで、結果、植民地とする」

 ということになるのであった。

 というのも、

「居留民に対しても、相手国の信教徒が、必ず迫害をしてくるのがわかっているからだ」

 といえるだろう。

 何しろ、もし、そのような対立が起こらなければ、先に送り込んだ宣教師が、新しく信仰するようになった人々を煽るからだということである。

 どこまでが本当のことなのかはわからないが、少なくとも、信憑性のようなものはあるかもしれないだろう。

 そういう意味で、

「国民をいかに洗脳するか?」

 ということはこの頃から行われていたことであろう。

 日本という国は、植民地にならずに済んだという、

「数少ないアジアの国」

 だったのだ。

 考えられることとしては、

「島国だった」

 ということかも知れないが、琉球は、中国から侵略を受けた。

 なんといっても、日本のその時代は、

「群雄割拠の戦国時代」

 ということもあって、

「日本への侵略というのは、難しい」

 ということであろうか。

 それでも、幕末といわれる時代に、アメリカが日本に、

「砲艦外交」

 という形で、無理矢理に開国させた。

 その間に、

「尊王攘夷」

 と言って、

「天皇を敬って、外国を打ち払う」

 という考え方だった。

 それは、長州藩、薩摩藩などの勢力が考えていたことであった。

 しかし、薩摩藩は、

「生麦事件」

 さらには、長州藩は、

「関門海峡における外国船打ち払い」

 ということに対して、薩摩藩は、

「薩英戦争」、

 長州藩は、

「四国艦隊砲撃事件」

 という形で、圧倒的に敗北し、

「外国にはかなわない」

 ということを痛感したことで、今度は、

「尊王倒幕」

 つまり、

「天皇を敬って、幕府を倒す」

 というやり方に、方向転換を行うことになったのだ。

 実際に、幕府というものが、いかに曖昧で、優柔不断だったのかということを、諸藩は、痛感したことであろう。

 そして、ここで成立した、

「明治新政府」

 が考えたことは、

「まずは、国を富ませて、国防を強化し、さらに、外国のいいところを受け入れて、いかに海外に追い付け追い越せという状況を作ることができるか?」

 というのが問題だった。

 というのも、諸外国と日本は、修好通商条約をいうものを結ばされたのだが、それは、あくまでも、

「表向き」

 であり、内容は、

「完全な不平等条約」

 であった。

 というのも、

「領事裁判権の問題と、さらには、関税の問題とが、完全な不公平であり、日本で外人が罪を犯しても、日本で裁けないということ。そして、貿易の関税も、自由に決めることができない」

 というものだった。

 それをどうにかするには、

「日本という国が、いかに、諸外国のような先進国になるか?」

 ということが問題だといってもいいだろう。

 それだけ、

「諸外国から見れば、日本は、まるで原始時代にでも見えたのかも知れない」

 そこで、日本は開国後、いろいろな施設団を海外に送り、諸外国を見て回ることで、

「いかに日本という国を、欧米のようにできるか?」

 と考えたのだった。

 さすがに、マネだけではなかなか難しい。

 しかも、日本は開国したこともあって、諸外国から狙われる可能性も多くなった。

 特に問題としては、

「ロシアの動向」

 だった。

「とにかく、ロシアをけん制するうえで、安全保障の観点から、朝鮮を開国させる必要がある」

 ということだった。

 その当時、朝鮮は、鎖国状態であったが、

「清国の属国だった」

 といってもいいだろう。

 清国は、まわりのいくつかの国を属国として、支配していたといってもいい。

 ただ、植民地というほどの搾取はしていないということで、当時の朝鮮内部では、

「清国寄り」

 という連中もいれば、

「開国をして、独立国家としての道を歩む」

 という考え方もあったのだ。

 結局日本は、朝鮮を、

「砲艦外交で開国させ、さらには、独立派を擁護する形で、朝鮮を支配していた」

 というのだ。

 ただ、これは、どうしても、ロシアの南下政策のけん制でもあったのだ。

 もし、朝鮮がロシアと共同で、日本を襲ってくると勝ち目はないということだった。

 何といっても、日本は、まだまだ、

「アジアの小国」

 で、

「貧しい国」

 というイメージだった。

 そんな中で、清国と一戦交え、結果、勝利することができたことで、外国からも、少しは見直されたことで、

「独立国というものに、少し近づいていたのだろう」

 といえる。

 ただ。そこで、ロシアを刺激したのは、当然のことだった。

「日本は、ロシアと戦争をするには、時期尚早」

 という考え方もあったが、

「これ以上先延ばしにすると、機会を失ってしまう」

 ということで、当時、ロシアに対して、

「ロシアの南下政策」

 という意味で、

「いかに対応するか?」

 ということが問題となり、結果として、

「日英同盟」

 が締結された。

 これは、実に日本にとってはありがたいことであった。

 表向きには、

「ロシアのバルチック艦隊が、ヨーロッパを回って、日本に向かう際、当然途中で、その食料などの補充が必要になることで、いくつかの港での、補給が必要であった」

 しかし、

「ほとんどの港が、イギリスの支配下にあることで、ロシアの補給を拒むことができた」

 というのだ。

 さすがに、敵国と同盟関係にある国の息のかかったところで、寄港などできるわけもないだろう。

 それを思うと、バルチック艦隊が、日本につく頃には、ボロボロの状態だったといってもいいだろう。

 そのため。日本は、連合艦隊を最新鋭の状態でぶつけることができ、日本海海戦に勝利した」

 というわけだ。

 だが、その時、イギリスの諜報員が、かなりロシアに入り込んでいて、いろいろな情報を得られたというのは、ありがたいことであろう。

 イギリスは、その後も、

「アラビアのロレンス」

 などを使って、

「現地をかく乱し、自分たちの都合のいいように操る」

 ということを結構やっているようであった。

 そんな諜報活動という意味では、日本は、まだまだイギリスの足元にも及ばななったようだが、結局は、日本もそのあと、諜報というものの必要性を感じたことで、特務機関というものが発展していったといってもいいだろう。

 そして、日本は、満州事変を経て、かの

「大東亜戦争に入ることになるのだが、

 日露戦争からこっち、中国大陸、

 特に満州においては、かなりの国家体制を築いているといってもいいだろう。

 そもそもの、

「植民地」

 と、

「傀儡国家」

 というものが、どのような違いなのかということは、わからない。

 しかし、日本が傀儡国家ということにしたのは、元々の日本における。

「食糧問題」

 が絡んでいるのだった。

 というのも、

「当時の日本は、人口が爆発的に増えていて、しかも、世界恐慌であったり、東北地方のコメの不作などがあり、娘を売らないと食事もできない」

 ということが言われたりしていた。

 そこで考えたのが、

「満州を占領し、まだ未開の土地に日本人を移住させ、そこを開発させて自分の土地ということにさせれば、ロシアへの抑えであったり、日本の食糧問題という二つを同時に解消できる」

 という考えだったのだ。

 日本において、作戦であったり、戦術的には、

「成功だった」

 といえるだろうが、中国が国際連盟に訴え、調査団が組織され、その報告が、

「日本の自作自演」

 ということになってしまったので、

「日本は世界から孤立し、国際連盟も脱退」

 ということになったのだった。

 そんな世界情勢から、さらに日本は、中国に進出することで、次第に、全面戦争に突入することで、

「世界大戦がアジアにも飛び火する」

 ということになったのだ。

 そんな間にも、日本における諜報活動も大きかったことだろう。

 中国に対しての、けん制もあったのだが、なかなかうまくいかないということもあり、「日本が孤立する」

 ということからも、

「特務機関」

 というものが、活躍するということになるのだろう。

 日本という国は、他の国に比べて、どうしても、

「遅れている」

 という意識が強いだろう。

 しかも、決定的な問題は、

「資源のない国」

 ということだったのだ。

 だから、今まで日本が敵国として相手をした国は、

「みんな大国」

 ということで、

「日本が勝つためには、決まった方法しかない」

 ということであった。

 その一つに、諜報合戦というものがあるであろう、

 日露戦争の時のように、日本が、どこかの国と結んで、諜報活動ができていれば、少しは違ったのだろうが、何しろ、

「大東亜戦争」

 というのは、世界の列強といわれる、

「米英蘭」

 を敵に回したからだ。

 というのも、太平洋上、あるいは、東南アジア系の国というのは、そのほとんどが、それらの国の植民地である、

「フィリピンがアメリカ」

「香港やシンガポール、マレーなどが、イギリス」

「インドネシアがオランダ」

 ということになっていた。

 ただ、ここにフランスがないのは、ある意味、不幸中の幸いだったのかも知れない。

 というのも、当時のフランスはm日本と同盟国のドイツに侵略され、そこには、ドイツの傀儡国家である、

「フィジー政権」

 というものが樹立されていたのだ。

 だから、戦争前夜における、

「仏印進駐」

 というのは、あくまでも、

「フランス政府の同意の下」

 ということであるが、これは明らかに、

「傀儡政権」

 というものの、

「おこぼれに預かることができた」

 ということであり、そういう意味でも、

「傀儡国家」

 というものの都合のよさがわかっていたということであろう。

 日本という国において、この戦争は、

「アジアを、アングロサクソンから解放する」

 というのが、スローガンだったのだが、それは間違いではない。

 戦争に負けたことで、

「勝てば官軍」

 ということで、日本は、

「アジアを侵略した」

 という悪い印象を与えたが、実際には、

「日本敗戦後」

 に、ほとんどの国が解放され、

「一度は退却した宗主国がまたやってきたところを、それぞれの国が独立戦争を起こし、ゲリラ戦などにおいて、独立を獲得したのは、ある意味、日本の成果なのかもしれない」

 ただ、この問題はそんなに簡単ではなく、

「信憑性がどこまであるか?」

 ということになるが、

 この独立運動、さらには、

「独立戦争」

 ということにおいて、

「社会主義国」

 というものの、思惑が働いているということが言われている。

 特に、彼らの先頭方式は、

「ゲリラ戦」

 というものが多い。

 これは、日本軍にも多いことであったが、独立戦争においては、統率がとられているということから、ほとんどが成功している。

 その社会主義国というのは、ソ連であり、彼らの諜報部員が各国で暗躍することで、武器の供与であったり、戦闘方法の教授であったりと、

「ソ連の影響が大きい」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、元々日本は、

「日ソ不可侵条約」

 というものを結んでいたのだ。

 これを、

「ソ連が一方的に破棄し、日本に侵攻した」

 ということになっているが、実は、その前に、

「ソ連との密約があった」

 ともいえるのではないだろうか?

「ソ連というものを、アメリカの仮想敵国」

 ということにして、

「東西冷戦」

 というものを、どうしても作りたかったという組織があったのではないか?

 というのは、奇抜な考えなのであろうか?

 それを思うと、

「社会主義国というのは、恐怖政治に成り立っている」

 と言われているが、それだけではなく、資本主義のいいところも分かっていて、それを吸収しようとする組織があったのかも知れない。

 と考えられるのだ。

 それはあくまでも、国家としての体制ではなく、裏組織ということであるが、その裏組織という考えは、こちらも、国家を憂いているということで、

「今の政権が、倒れそうな時は、こちらの政権が、すぐに収集する」

 ということで作られた組織だったといえる。

 ただ。これは、あくまでも、信憑性のある話ではなく、

「限りなく、信憑性のない話だ」

 といえるのかも知れない。

 しかし、この考え方は、いろいろな国に輸出されたようだ。

 それには、国家としての輸出ではなく、あくまでも、

「特務機関」

 というような組織の暗躍が考えられるということになるだろう。

 特務機関というのは、そもそも、社会主義だけのものではない。スパイというものは、昔からあったものだが、今では、社会主義国の代表のように言われているが、本当にそうなのだろうか?

 ただ、そんな特務機関が、

「占領下での日本においても、暗躍していた」

 というのは、

「公然の秘密だ」

 といってもいいかもしれない。

 というのも、

「大学というところは、留学生というのを名目としている」

 ということが言えるのではないだろうか?

 今であれば、日本に大量に来ているというあの留学生。やつらが、どんな、

「任務を持っているか?」

 と思うと恐ろしいだろう。

 最近では、

「日本という国は、外国から土地を買われている」

 と言われている。

 これは、

「侵略の際の、内側から混乱させる」

 という意味での、戦術としては。オーソドックスなもので、

 昔、中国で、

「反日運動」

 なるものがあった時、

「朝鮮人を含めた日本人に、土地を貸したり売ったりすれば、死刑だ」

 ということがあったのだ。

 つまりは、

「敵国に国を売る」

 という。売国奴だということである。

 しかし、今の日本では、土地を買いあさる外人たちに対して、制裁を加えるどころか、

「金が入るからありがたい」

 と思っている。

 実際に、国が買われたことでどうなるか?

 ということを、誰が真剣に考えるかということになるのであろう。

 それを思うと、

「どれだけ日本人や日本政府」

 というものが、

「お花畑」

 の中にいるかということになるのであろう。

 そんな日本のことを憂いているのは、実は大学関係者だった。

 特に政府に対しての信頼のなさや、お花畑的な考えに、

「ほとほと、情けなくなる」

 というものである。

「教育の場である大学から、そんな日本を正さないといけない」

 ということで、それは、少々のことでは、どうしようもないということに相違ないといえるだろう。

 それが、日本という母国だと思うと、情けないと感じるのだった。


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