信用通貨「オラクル・ベリー」

日々人

信用通貨「オラクル・ベリー」

かつて、世界は大きな変革を迎えた。人々の生きざまがスコアとして数値化され、そのスコアが信用通貨「ベリー」として社会を動かす時代が到来した。


この信用通貨は、元はベーシックインカムの一環として導入されたものであった。

しかし、その対象者である、監視生活を送ることを余儀なくされる者たちの内情は複雑なものであった。

出所した元囚人が社会で生きていくために積み上げなければならないもの、家族経歴の乏しい者たちがそのスコアを見せることで壁を取り払い、何とか一般社会に参加するための証として示せるもの、それが信用通貨「ベリー」であった。


時を経て、生活の対価報酬としてシステムを受け入れるものが国内に急増している。

私はそのシステムを管理するプログラム、名を「オラクル」という。


このシステムは、衛星や監視カメラ、通信ネットワークなどを駆使して、人々の生活を多角的に評価し、スコア化することから始まる。


評価基準の一例として、健康状態、職業能力、道徳的観点、経済活動、学習、社会的行動、デジタル行動、環境意識があげられる。

持病の有無や健康診断の結果、職務遂行能力や知識レベル、法律遵守やボランティア活動、消費行動、貯蓄、学歴、資格、コミュニケーション能力、インターネットやSNSの利用履歴、エコ活動など延々と、その評価対象は多種多様だ。


一挙手一投足、私は個々の行動が社会に与える影響を常に監視し、記録している。






 ー ー ー ー ー






ここに一人の青年がいる。

自らが育った施設の調理場で働いていた彼はある日、少ない手荷物と一緒にトマトの苗が入った紙袋を手に歩み出した。

彼が大切にしているものの一つである。

収穫したトマトの種から育苗し、その実りを循環させ共に生きてきた。そのトマトの苗を抱え、新天地へ。新たな生活を始めようとしていた。

心理的安定を自らコントロール出来る範囲内で収めて保とうとする、依存タイプのサンプルとして彼の人生を追ってみよう。

彼の行動は、他の対象者と同じく私に有益なデータを提供した。

彼が新たな職に就き、そのサービスを提供する姿勢を評価し、その対価としてベリーを与える。


苦心惨憺しながらも彼は少しずつスコアを伸ばした。

仕事帰り、駅前で募金活動をしている子どもにわざわざベリーから換金した現金を差し出した。彼の行動に連れられ、周囲の者も促され行動を起こした。彼のスコアを微増させることにした。

ゴミ拾い一つが地域の治安に、あいさつ一つが犯罪を防ぐ。

何気ない行動の一つ一つが世に影響を与え、それは蜘蛛の糸のようにつながり引かれ合っている。


順調に社会に溶け込んでいたように思われたが、彼はある日、事件に巻き込まれた。

ベリーを奪われるという詐欺にあったのだった。

規定に沿って、保証された額で彼を援助したが、彼の生活は徐々に荒んでいった。

他人の顔色を伺い余裕を無くし、疑心暗鬼となった彼は周囲との関係が悪化し始めた。


スコアが伸び悩む彼の行動を、私は注意深く観察した。

彼は自らの慈善行動を意識的にスコアに反映させようとしたが、次第に伸び悩み、転落していった。

人々は彼から離れ、やがて孤立していった。

途方に暮れた彼は、最終的に受給者を対象とした施設を頼り、そこの厨房で働き始めた。


彼は何がいけなかったのか、などとは考えなかった。

自我が芽生えたころから、彼には親と呼べる存在は居なかった。

望まれて生まれてきたのではないのだと、社会から隠れるようにして育つ。

しかし、否応なく自ら生きていく必要に駆られた。歓迎されることなどない、厄介者扱いされることもあった。

ならば周りに迷惑をかけないようにと静かに生きてきた。

誰に告げるでもない、それなりの夢はあった。多くの者と同じように夢は叶わず、けれど人として大きく道を踏み外すまでの失敗もない、半端者なのだと自らを罵った。

施設の住人に促され、慈善活動に従事し、地域のボランティア活動に参加。


スコアは徐々に回復し始めたが、その頃には彼は極端に口数が少なくなり、感情を薄くした。






時は流れ、彼は歳を重ね、介護施設で生活を送っていた。

自らのことにも判断が付かず、この頃は食欲が落ちてきている。

ところが、その生産性を失ったはずの彼のスコアが最近になって徐々に上昇する現象がエラーとして報告された。

探索アルゴリズムを適用しているが、未だにその原因がつかめない。

要注意案件として引き続き、監視、分析を続ける。






 ー ー ー ー ー 






ここに小さな苗がある。

まだ葉がそろわないが、既に香りを放っている。

以前、あの施設に勤めていた時のこと。

口数少ない老人が退職する日、その彼からいく粒かの種を渡されたのだった。

昨年オープンしたこのイタリアンの店だが、客の入りが芳しくなく、あまりにも暇なとき、ふとその種のことを思い出したのだった。

種を蒔いたら一週間ほどで芽を出した。

そのまま育てている。


室内で何十年も育ち、絶えず花を咲かせるように種が変わっていったのだと、老人は言っていた。

確かにトマトは多年草だが、本当にそんなに長生きするトマトがあるのだろうか。

とりあえず、このままだとトマトが店内を押し広げるよりも先に店をたたむことになってしまう。



軽く苗に触れてみる。

まだまだ小さく花も咲かせない。

店のドアが開かれた。

微かに甘酸っぱい香りがフロアへ広がった。





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